記事

昨年10月23日マスコミ倫理懇での朝日慰安婦報道の検証に関わるスピーチを文章にしました

2/2

【軍の関与でなく軍の関与不十分こそが問題】

 93年以降今日までに発見された一連の公文書に照らせば、93年談話の言う「⑴軍の要請で慰安所が設置されたこと、⑵軍の直接・間接の関与で慰安婦の管理と移送が行われたこと」は動かない。クマラスマミ報告後の国際世論も、概ね談話通りの事実を踏まえて日本政府を批判する。それらは三つの焦点を持つ。

 ⑴業者による騙しや強制連行を放置する不作為・知ろうとしない不作為。⑵親による売り飛ばし等を含めて本人自由意志の確認を怠る不作為。⑶慰安婦労働からの離脱を認めない自由意志侵害ケースの存在。政府は従来、政府はやってない、業者がやったと責任逃れをするが、問題は業者の不埒を知って放置した不作為、知ろうとしない不作為だ。

 吉田清治証言(軍の強制連行)を前提にしないこれらの批判に対し、軍の強制連行はなかった、軍は知らなかったと言い訳することは、「それがたとえ真実であっても」救いようのない頓珍漢である。結論から言う。妥当な扱いは、軍の関与を問題にするのでなく、軍の関与不十分を問題にすることだ。説明しよう。

 まず、従軍慰安婦や慰安所設置に関する国際的批判の一部は、強制の有無ではなく、慰安所の存在自体に向けられる。これは歴史を踏まえない暴論だ。19世紀初頭のナポレオン戦争に対する反省から、公設慰安所(米国では私設慰安所への公的介入)が第1次大戦まで一般的だった。第2次大戦でも独仏は公設をし、英国は植民地でのみ公設をした。

 英国の施策は、売春禁止条約を1921年に批准したというアングロサクソン的文脈──19世紀であればビクトリア朝的と言う──に関連する。同じくピューリタンの宗教的新天地に発する米国でも、それゆえに、19世紀末のフィリピン占領以降、国際標準だった公設慰安所図式ではなく、私設慰安所公的介入図式を採用してきた。

 要は、軍による公設慰安所の設置や、私設慰安所の利用奨励(公認慰安所)は、20世紀の半ばまで全列強が採用してきたポリシーだ。なお軍による慰安所設置や利用が公的に不可欠だと論証したのが、M・ヒルシュフェルト『戦争と性』(原著1930年、訳書1956年)だ。私の働きかけで本年5月に訳書が明月堂書店から復刻された。

 本の冒頭に私が長大な解説を載せた(http://goo.gl/yVR5XW で読める)。本書の内容は一言でこうだ。ナポレオン戦争では性の現地調達(強姦)で、性病を軍内外に蔓延させ、かつ戦後処理が困難となった。加えて、第1次大戦の長期塹壕戦では、性病に加え、深刻な暴力が蔓延した。だから、性を兵站として提供する必要がある。

 武器弾薬や水食料と同じく性も兵站提供せよ。公設慰安所や公認慰安所(私設慰安所公的介入)を作れということ。彼に従えば女性の自由意志を担保するには公設が一番だ。さもないと業者に責任をなすりつける怠慢が生じる。むろん彼は提案の道徳的抵抗感を弁えた上、《文句を言うなら戦争するな! 戦争するなら文句を言うな!》と有名な言葉を残す。

 売春が合法な国は現在66(国連加盟国193)。リストは以下の通り。米国を除く主要先進国が合法化し、「斡旋合法化」という形で多くが管理売春を合法化する(2000年以降もオランダ・デンマーク・フランス・スイス・ドイツ・オーストリー・ニュージーランドが斡旋合法化)。こうした平時の売買春行政の法理も、ヒルシュフェルトの理念に基づく。

[欧州]ドイツ、アイルランド・イギリス・ポルトガル・スペイン・フランス・ルクセンブルク・ベルギー・オランダ・デンマーク・スイス・イタリア・マルタ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ポーランド・ブルガリア・ギリ シャ・ラトビア・エストニア・フィンランド
[アジア]台湾・シンガポール・インド・バングラデシュ・カザフスタン・キルギス・アルメニア・トルコ
[南太平洋]オーストラリア・ニュージーランド・トンガ・キリバス
[中東]レバノン
[アフリカ]シエラレオネ・コートジボワール・ブルキナファソ・ベニン・中央アフリカ・エチオピア・マラウイ・ナミビア・マダガスカル
[北米]アメリカ合衆国ネバダ州・カナダ
[中米]グアテマラ・ベリーズ・エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカ・パナマ・キューバ・ドミニカ
[南米]ベネズエラ・コロ ンビア・エクアドル・ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチン・パラグアイ・ウルグアイ・フランス領ギアナ

 ヒルシュフェルトを踏まえれば売買春行政は3つしかない。⑴管理売春合法化(公設ないし私設公的介入)。⑵管理売春非合法化×業者目こぼし。⑶管理売春ガチ禁止。非管理売春は御手当付愛人(妾)を含め、どのみち取り締まれない。[管理売春×自由意志]だけが女性を暴力&性病から有効に守る。世論に感情的成熟がある場合は⑴、未成熟なら⑵。

 それを前提として結論だ。93年談話以降に発見された公文書529点が示す事実は以下4つ。⑴慰安所は軍の要請で設置。⑵軍の直接・間接の関与で管理・移送。⑶軍の強制連行は例外(後で補足)。⑷業者が騙し・拉致・人身売買(親による売り飛ばし)に関与。ヒルシュフェルトに従えば⑶⑷は日本政府を免罪しない。軍の関与不十分が問題になる。

 ちなみに軍人が女性を暴力的に慰安所に強制連行した事案に関わるオランダ政府公文書が複数ある(内容の紹介は山本まゆみ&W・B・ホートン「日本占領下インドネシアにおける慰安婦〜オランダ公文書館調査報告〜」『慰安婦問題調査報告・1999』女性のためのアジア平和国民基金 http://www.awf.or.jp/ が日本語では最も詳しい)。

 特に重要なのは、国際的に広く知られたスマラン慰安所事件死刑判決に関わる公文書である。日本政府の見解がどうあれ(衆議院ホームページ http://goo.gl/P3ft1m )、国際世論はこれらの公文書を前提としており、そのことを踏まえない「国連での見解表明」はクマラスワミ報告書の際と類似の国際的な恥晒しを招こう。

【問題の構図を理解するための素材】

 ヒルシュフェルトの言う通り、かつて戦争における性の兵站提供(公設慰安所ないし私設慰安所公的介入)が不可欠とされた。だがベトナム戦争の後になると社会的に許容されなくなった。そこで慰安所の機能的代替物になったのが男女混成軍化である。表向きの目的は「男女平等」だが、裏は「公認慰安所にかわる代替選択肢の提供」だ。

 米国大統領諮問機関「女性の軍務委員会」による、湾岸戦争に参戦した男女混成部隊4442人を対象とした調査では、64%が前線で異性兵士と性関係があったと答えた。ある駆逐艦では女性兵士の5%が妊娠した。同時期に米軍関係の病院で中絶が事実上解禁された。この間の事情は秦郁彦氏『慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999年)が詳しい。

 2015年5月、橋下大阪市長が《当時従軍慰安婦は必要だった》と発言、米軍将校に《米軍に風俗の活用を勧めた》ことを紹介し、世論が沸騰した。当時必要云々は間違いでないが、米軍将校に語るにしては米国の慰安所行政の歴史に無知すぎる。一般には許容可能な無知だが、沖縄米軍将校を相手にする政治家なら沖縄米軍の戦後史を踏まえる責務がある。

 2000年6月1日付ニューヨークタイムスの記事によれば、米軍の沖縄駐留後に米兵が強姦した女性の数は一万人。1945年の駐留当初から沖縄女性が強姦されて死者が出る事態に、沖縄民政府(1952年から琉球政府)が米軍に慰安所開設を要求したが、拒絶された。米国のピューリタン的伝統ゆえに慰安所の公設と管理に税金を使えないからだ。

 米国は、19世末のフィリピン植民地化以降、沖縄駐留を経てベトナム戦争に至るまで、同じやり方を続けてきた。基地周辺に現地民間業者の売春宿を終結させ、将校が現地行政や宿経営者と内通し、非公式に条件や要求を伝達する。だが性病管理は予算と手間がかかるので民間業者はスルーしがちで、性病が蔓延する。

 沖縄米軍も同じ図式を採用した。将校が行政や経営者と内通し、女性サービス付の特殊飲食店(特飲店)、通称「Aサインバー」を設置させた。かかる店が集結したのが特飲街。まず古座の八重島に出来、やがてBCストリート(現パークアベニュー)に移り、那覇市内の各所にも特飲街ができた。だが米軍は行政コストを負担しない。

 ⑴米軍は、特飲店での性交は自由恋愛だとの建前で公認売春批判を回避する一方、⑵民政府(琉球政府)が保健婦に特飲街を回らせ、業者や女性を相手に性病対策を啓蒙、スキン配布もした。ベトナムでも同じだったが、事実上の公認慰安所に関わる道徳的・行政的な責任と経費は沖縄が担った。「だから」米軍将校に言ってもダメなのだ。

 だが、問題は橋下市長の瑕疵より、米軍によるフリーライディングの反倫理性だ。「慰安所を公設してないから性奴隷化に加担していない」は詭弁。抑鬱状態に置かれて性的に暴走する兵士への道徳的説教が無効な以上、公設慰安所か公認慰安所(私設慰安所公的介入)の設置がむしろ倫理的だ(ヒルシュフェルト)。それが通らなくなったから混成軍化した。

 時代が変われば規準も変わる。問題は当時の規準に照らして妥当だったか。その点、繰り返すと、軍の関与不徹底こそが問題だ。右からの「軍は手を下していないから悪くない」との擁護と同様、左からの「慰安所設置自体が奴隷化だ」という批判も愚劣。沖縄米軍の「慰安所を公設していないから性奴隷化は存在しない」の言い草の愚劣さと同列だ。
 最後に93年談話の評価を確認する。前段の「⑴軍の要請で慰安所設置、⑵軍の直接・間接の関与による慰安婦の管理・移送」との事実認識は公文書で裏付けられ妥当だが、後段、《甘言・強圧》がなぜ生じたのか説明がなく、何を謝っているのか不明。軍関与の謝罪か、軍関与不徹底の謝罪か。何となく謝るのでは、「やっぱ謝らない!」の中二病に道を開く。

【見たいものしか見えない〈感情の劣化〉がマスコミを覆う】

 冒頭、メディアの劣化と〈感情の劣化〉が連動していると述べた。私は知り合いの新聞記者を何人かつかまえ、ここに述べた認識を語り、右からの政府擁護も、左からの政府批判も、愚劣極まりないことを述べた上、なぜ「軍の関与不徹底こそが問題」という国際標準の枠組(米国は特殊!)に乗れないのか質した。社を問わず答えは同じだった。

 いわく、インターネットを調べれば国際標準の枠組に関わる記述が多数見付かるものの、認知的整合性理論が説明する通り、社論が与える予断に事実的・価値的に整合しないものが頭に入らない、と。つまり「見たいものしか見えず、見たくないものが見えないのだ」と。そう。これはヘイトスピーチの周辺に見られる〈感情の劣化〉と同じだ。

 マスコミ各社がヘイトスピーチを上から目線で批判する資格はない。右も左も、上も下も、「見たいものしか見えず、見たくないものが見えない」のは同じだからだ。その結果、社会に一定の帰結を呼び込むことより、実存上の感情浄化を達成することが優先される。従軍慰安婦問題はその事実を突きつける。それで良いのか。

あわせて読みたい

「従軍慰安婦問題」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    混雑する観光地、お休み中の飲食店…「国民の祝日」が多すぎることのデメリットを痛感

    内藤忍

    09月21日 11:56

  2. 2

    引きずり下ろされた菅首相の逆襲が始まる「河野内閣」で官房長官で復活説も

    NEWSポストセブン

    09月21日 08:42

  3. 3

    順当トップ交代人事では払拭できぬ三菱電機の"悪玉"企業風土とは

    大関暁夫

    09月21日 12:37

  4. 4

    「政高党低は悪?」 報ステは自民党批判ありきではないか?

    和田政宗

    09月21日 22:55

  5. 5

    賃上げ・労働分配率向上策は、河野氏の法人税減税よりも高市氏の人材育成投資が有効

    赤池 まさあき

    09月22日 09:04

  6. 6

    中国恒大デフォルト懸念広がる、影響の大きさなお不透明

    ロイター

    09月22日 09:00

  7. 7

    全国フェミニスト議員連盟の釈明は、明らかに虚偽を含み極めて不誠実である

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

    09月20日 16:58

  8. 8

    「感染ゼロではなく、重症化ゼロを目指す。医療と経済は両立できる」現場医師の提案

    中村ゆきつぐ

    09月21日 08:28

  9. 9

    三菱UFJが傘下の米銀80億ドルで売却、USバンコープと提携模索

    ロイター

    09月21日 20:06

  10. 10

    連休明けに大幅下げの株式市場 実体経済からかけ離れた金融バブルは破裂すべき

    澤上篤人

    09月21日 15:32

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。