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日本で言論の自由を擁護するデモが起きない理由

7日にパリで起きた新聞社襲撃テロ事件をうけ、言論の自由を擁護するデモが発生している。

翌日にはニューヨークやパリで「私はシャルリー(新聞社名)」と書かれたプラカードを持った人々が自然発生的に集まり、暴力反対のデモが行われた。また、近々、パリで風前の規模のデモが実施される予定になっている。

こういった大規模なデモが日本で起きる可能性は高くない。

もちろん、暴力による言論の自由に対する挑戦は決して認められるものではないし、その価値観は普遍的だということは頭ではわかるものの、自然に怒りがわいてきて行動を要請するという事態にはなりにくいように思う。

暴力は怖いし嫌悪すべきものだが、言論の自由ってそんなに大切なのか?正直なところ、言論の自由が侵害されることに対して心の底から自分のアイデンティティを揺さぶられるほどの切迫性は持てない。

「私はシャルリー」のプラカードを掲げた人たちを映像で見ていると、彼ら(西洋人)とは問題の切迫性が何となく違うんじゃないかと思う。

この辺りの違和感を歴史性、つまり、言論の自由を初めとする各種国民の権利を国民自身が革命によって勝ち取った国・地域と外国や上位階級からの教育によって「啓蒙」された国・国民の違いに見出す論者もいるが、あまり説得力を感じない。

というか、もっと根深い違いがあるのではないか。

それは簡単には、一神教的な精神構造→社会構造とそうではない精神構造→社会構造の違いとでも言おうか。

江戸幕府がキリシタン摘発の際、「転び」キリシタンが再び信仰に立ち返らないように「誓約」を書かせた文書、いわゆる「南蛮誓詞」に面白い表現がある。

「うへにはでうす(天主)、さんたまりあをはじめたてまつり、もろもろのあんじょ(天使)のおん罰こうむり、死しては、いんへろ野(地獄)という獄所に、諸天狗の手に渡る。すなわち、おそろしきしゅらめんと(誓詞)件の如し。」

これは、棄教者がでうす(天主)だのいんへる野(地獄)だのを信じている、と言っているようなもので、論理的には混乱している。

評論家の山本七平は、かつてエルサレムで講演した際、この「南蛮誓詞」を巡って徹底的な質問攻めにあい、往生したと著書「日本資本主義の精神」に書いてある。

彼ら(一神教者)から見れば、「神に誓って神を信じない」といっている「誓詞」はおそるべき謎であるが、日本人ならその時の様子は割合簡単に想像できる。

おそらく、取り調べの奉行と棄教者との間でなんらかの話し合いによる合意があり、その合意の証明として便宜的に「誓詞」が交わされたのだろう。

「誓詞」という言語表現がそれ自体ですべての合意をカバーするわけではない。むしろ、その前に話し合いによる合意ができていることが優先される。

人々の行動は神と個人との契約の結果のやり取りである、とする先鋭的な一神教的世界観は、人々の行動は話し合いによる合意が世間に承認された結果である、とする日本的な世界観とはかなり異質に感じる。

言論の自由だの人権を守れだのといった主張(あるいは神による救い・殉教といった主張)がどうしても胡散臭く感じるのは、そういった価値観が出来してきた場所になじみがないからなのではないだろうか。

そこは我々が生きてきた場所ではない。

西洋の(カントの)倫理学では「Aであること」と「あたかもAであるかのようなこと」をはっきり区別し、後者から前者へ安易に高跳びすることを厳しくいさめる。

両者を区別するために不可欠なツールは、言うまでもなく言語であり論理である。

翻って、「南蛮誓詞」の結果(棄教)は、誓詞に書かれたことや論理から離れて生み出されている。

そこでは話し合いの結果(合意)とおかみの承認が、共同体への回収という道徳律を保証しているのであって、棄教のしるし(言葉)が個人の倫理観(の転向)を決定づけているわけではない。

日本の社会はこの例にも見れるように、各人が不文律として体得している経験則が倫理として大きな役割を担っており、言葉による契約は大した拘束力を持たない。

(経験則は重視しても、自社の社則を細かく吟味し、徹底するような社長はあまりいない。)

結果に言語や論理が重要な役回りを担わないのなら、言論の自由に対する信頼や欲望が大きくなることはない。

それ以前に物事は解決している(=終わっている)のだから。

蛇足1

上記のような日本的世界観の生存できる場所はどんどん狭くなっている。

「はっきり主張しないとダメじゃないか」という「倫理観」の勢いが増す一方、そうじゃない、そうありたくないという層も減衰しておらず、軋轢とストレスが蓄積されてきているように見える。

蛇足2

地理的にイスラム圏と離れており、移住者との交流も薄い、という背景がテロとそのカウンター運動の盛り上がりの(日本と西洋での)大きな違い、というか違いを説明する唯一の理由だという地政学的な見解は(面白くはないが)正しい。

地政学的には、という条件付きで。

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