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ナショナリズムと民主主義:世界史からみた2014年(上)(六辻 彰二)

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大衆社会におけるナショナリズムと民主主義

両者の結びつきがより強固なものになったのは、フランス革命からおよそ100年後の19世紀末から20世紀初頭のことでした。ここには、経済構造の変化が大きく影響していました。そして、少なくとも結果的に、ナショナリズムと民主主義がより一層強固に結びつくための触媒となったのは、社会主義でした

当時、ヨーロッパ各国では産業革命が本格化し、資本主義経済が普及するなか、都市での貧困が問題化し始めていました。貧困は単に低所得であることだけでなく、人間性の否定にも繋がるものでした。世界恐慌後の1936年にジョン・メイナード・ケインズが大著『雇用、利子および貨幣の一般理論』で「資本主義経済において失業は恒常的に存在する」と喝破するまで、アダム・スミスの「見えざる手」を信奉する自由主義者たちによる、「労働力の需要と供給は労働市場において自然に均衡がとれる=就労機会は必ずある」という想定が一般的でした。そのなかで貧困層は、「まじめに働こうとしない者=社会不適合者」の烙印を押されていたのです。また、初期資本主義経済のもとでは、雇用主による搾取も常態化していました。この背景のもと、労働者階級が自らの権利回復のために労働組合が結成されるようになり、「貧者のイデオロギー」として社会主義が普及したことは、不思議でありません。

各国でストライキが発生するなか、社会主義の広がりを恐れたエリート層は、労働者の不満を慰撫するため、その生活改善の改革を実施するようになりました。帝国主義の権化のようなドイツ帝国宰相オットー・ビスマルクが、社会主義者を弾圧した一方で、1883年に世界で初めて疾病保険など社会保障制度の導入に着手したことは、その象徴です。これと連動して、19世紀後半の各国では労働者階級の社会的影響力の高まりとともに、1848年のスイスを皮切りに男子普通選挙が、1893年のニュージーランドを皮切りに成人普通選挙が、それぞれ普及し始めたのです。

しかし、それまで選挙権をもっていた有産階級と異なり、新しい有権者は低所得層がほとんどでした。彼らが政治的影響力を増したことによって、政府が国民の要望に配慮し、サービス提供に努めざるを得なくなったことは、いわば必然でした。しかも、この時期に大規模化の一途をたどり始めた都市は、農村共同体と異なり、社会が流動的になりやすく、人々は「居場所」を意識的に求めやすくなります。つまり、大衆社会の到来により、人々の意識のなかで「国家」がそれまでになく大きくなる環境が生まれたといえます。こうして、ナショナリズムと民主主義が結びつきやすくなる土壌が整えられていったのです。

ナショナリズムと民主主義の結合がもたらす攻撃性

しかし、ナショナリズムと民主主義の結びつきは、時に攻撃的な様相を帯びることになりました。

19世紀、ヨーロッパでは国内に必要な農産物や天然資源の供給地として、そしてほぼ独占的に工業製品を輸出する市場として、植民地を確保することが一般的でした。いわば資本主義経済と植民地主義は並行して発達したのです。一方、当時は情報伝達手段が乏しく、また兵器の破壊力の低さもあって現代より犠牲者の数も少なく、さらに正規軍同士の衝突が中心であったために民間人や一般社会への影響も限定的でした。そのため、戦争や植民地支配が忌むべきものという感覚が薄く、これを背景に、普通選挙が実施される以前から、労働者階級が好戦的、排他的な主張に基づき、政府に海外進出を求めることも、稀ではありませんでした

井野瀬久美恵氏によると、19世紀末の英国なかでもロンドンでは、労働者階級が集うミュージック・ホールで戦闘的愛国主義を意味するジンゴイズム(Jingoism)を歌ったジンゴ・ソングと呼ばれる唄が数多く歌われ、大衆の帝国意識が高揚したといいます(『子どもたちの大英帝国』, 1992, 中央公論社)。18世紀以来、南下を目指すロシア帝国が度々オスマン帝国と衝突し、前者の勢力拡大を恐れた英国はクリミア戦争(1853-56)でフランスなどとともに後者を支援して参戦しましたが、露土戦争(1877-78)では軍事的な介入を行いませんでした。その1878年、ロンドンのミュージック・ホールでは、次のようなジンゴ・ソングが大流行していたといいます。「…俺たちには、船もある、兵士もいる、金もある。少し前に熊公とやりあったこともある。俺たちゃ、ほんとの英国人。ロシア野郎にコンスタンチノープルを渡してなるものか」(前掲, pp.42-44.)。

以前からあったこの傾向は、普通選挙の導入後も、基本的に衰えることはありませんでした。特に経済状況や国民生活が悪化した場合、特定の「自分たち以外の者」に責任があると捉え、「自分たちで自分たちの運命を選ぶ」ために、民主主義はより排他的・攻撃的なナショナリズムと結びつきがちでした。その典型は、当時世界で最も民主的といわれたワイマール憲法のもとで実施された1933年選挙により、ナチスが第一党になったことです。

第一次世界大戦後、ドイツは1,320億マルクという巨額の賠償金の支払いに苦しみ、その遅滞を理由に1923年にはフランスとベルギーがルール工業地帯を占領。翌1924年には100兆マルク紙幣が発行されるほどのインフレに陥りました。そこに世界恐慌が追い打ちをかけるなか、旧体制の打破、再軍備、ゲルマン民族の優越性を掲げるナチスが人心をつかんだのです。ユダヤ人虐殺を含む、その後の顛末を考えれば、結果的に当時のドイツ人は、民主主義をもって過剰なナショナリズムを選ぶと同時に、民主主義を葬ったといえるでしょう。(続く)

※Yahoo!ニュースからの転載

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