- 2014年12月17日 13:42
遺伝子検査ビジネスは「疫学」か「易学」か(前篇) 遺伝子でわかること 遺伝子検査でわからないこと - 村中璃子
「あなたの遺伝子型の発症リスクは1.2倍」--この意味がわかるだろうか。さらには祖先解析、子供の才能分析まで広がる遺伝子検査に内在する問題とは。
「遺伝子検査、夫とやってみようかって話しています。生まれつきのことがだいたいわかるんですよね?」
こう聞いてきたのは金融業界で働く30代後半の女性。「わかることは非常に限られているようです」そう筆者が告げると、困惑した顔でこう言った。「え、遺伝子だから調べればきちんとわかるんじゃないんですか? ほら、アンジェリーナ・ジョリーはあれで乳がんを見つけたでしょ」
個人向け遺伝子検査がじわじわ浸透しつつある。大手ゲーム開発会社DeNAは、子会社DeNAライフサイエンスを設立して8月よりサービスを開始。容器に自分の唾液を入れて送ること数週間、結果がネットで見られるようになる。ウェブサイトには「約152種の疾患発症リスクと、肌質や太りやすさといった130種の体質に関する特徴、合わせて最大282項目の遺伝子を検査できる」とある。
[画像をブログで見る]米23andMeが有名人を招いて開催した「つば吐きパーティー」
The New York Times/AFLO
「アンジー」にはなれない
利用者に共通するのは「病院や人間ドックで受けるような検査項目に、病院ではみてくれない体質もわかって3万円は安い」というイメージだが、深澤優壽社長はこう言う。「医療のところは取り扱いません」。
この意味がわかるだろうか。
アンジーが高いリスクを負うとされた家族性の乳がんは、遺伝性がはっきりとしている病気。一方、個人向け遺伝子検査の対象は、家族性以外のがんや生活習慣病など、遺伝要因の大きさがはっきりせず、遺伝子検査が診断や治療にとって何の役にも立たない病気ばかり。同じ遺伝子検査といっても、病院と個人向けでは対象としているものが全く違う。個人向け遺伝子検査は、医療者の間でいういわゆる「治療方針に影響を与えない検査」だ。
個人向け遺伝子検査キットを販売する会社は国内だけでもすでに13社あった。今回改めて注目を浴びているのは、DeNAが東京大学医科学研究所と共同してサービス提供することが報道されたから。DeNAは数億円をかけて、東大医科研の建物の7階に最新の機器の入った自前のラボを設立。今まではあまり注目もされず、差別化もされていなかった個人向け遺伝子検査市場に「科学的で信頼できそう」というブランドイメージで参入した。
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こうした産学協同のブランド戦略はDeNAと東大にとどまらない。ヤフーは現役東大院生が代表を務めるジーンクエストと組んで、10月に同様のサービスを開始すると発表している。
「製薬業界の知り合いからも、占いみたいなものだよと言われました。それでも、知れるのなら知れるだけ自分のことを知りたい」
都内のビジネススクールで教鞭を執る40代のこの女性によれば、すでにSNSでつながりを持つ15人ほどがこのサービスを利用しており、その多くは「新しいもの好きでスマートな体形の高所得ビジネスマン」。彼女もアンジーが乳房切除をしたというニュースが流れた昨年5月頃から国内外の各社を調べはじめ、サービス開始前から申し込みをしたという。
「けっこう当たってるんですよね……。生まれたときの頭の大きさとか、子供のころの成長の仕方とか。余計なお世話ですけど、胸の大きさとか」
ヒトの遺伝情報は99.9%以上が同じである。しかし、人によって髪の色や目の大きさが違ったりするのは、わずか0.1%以下の遺伝子の差に関係している。遺伝情報はアデニン、チミン、シトシン、グアニンという4つの塩基(それぞれA、T、C、Gの記号で示される)の長い羅列としてDNAの上に書き込まれ「遺伝子」というユニットを形成しているが、例えば、塩基ひとつが抜けると、奇形や疾患などの「異常」となって現れる。
しかし、ひとつが他の塩基に入れ替わっているだけであれば、ほとんどの場合、髪の色や目の大きさといった「個性」として現れるに過ぎない。これが個人向け遺伝子検査で見ている「SNP(スニップ・一塩基多型)」と呼ばれる遺伝子型だ。
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個人向け遺伝子検査が対象とする、生活習慣病やがんなどの疾患は、生活習慣や職業環境などの「環境要因」と、先祖から遺伝的に受け継いだ「遺伝要因」の両方が複雑に絡み合って発症する。これらの疾患の発症に対する影響力は、環境要因が遺伝要因を上回るが、影響力の少ない遺伝部分にわずかな個人差がある。しかも、その個人差を決定する各SNPの影響力は、ほとんどが1.2倍以下という小さな数値だ。
関連SNPが複数あるときは、その値を単純に掛け合わせることになっているため、時には2倍を超えるような値になることもある。しかし、この計算にも根拠もない。心配は無用だ。
問題なのは、この数値が一見、「利用者が疾患を発症するリスク」のように見えることだ。しかし、実際に出しているのは日本人の平均発症リスクを1とした場合における、その人が属するSNP型集団の発症リスク比。平均点60点のクラスには20点の人もいれば90点の人もいるように、リスク0.84の集団にもリスクが0.55や1.75の人がいる。図に挙げた肺がん(肺腺がん)0.84倍という数値もクラスの平均点であり、そこに属する個人にとってはあくまでも目安でしかない。
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肺がんなら、こんな数値を気にするより圧倒的なリスク要因である喫煙を気にした方が、はるかに意味がある。小さな遺伝要因が日本人平均の1.24倍だろうが0.84倍だろうが、肺がんにならないためにやることは禁煙。肺腺がんは肺がんの中で最も喫煙の影響が少ないがんであるが、それでも喫煙により、発症リスク全体が男性で2.3倍、女性で1.4倍に跳ね上がることが知られている*。遺伝子検査をしなくてもやることは同じではないか。
*国立がん研究センター(http://epi.ncc.go.jp/can_prev/evaluation/783.html)より
「それでも確率論的に言われると、強烈なインパクトがありますよ。肺がんは、平均よりなりにくいと分かったので安心しました。禁煙しない言い訳に使えます」(40代、男性利用者)
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リスク値が大きく、不安を煽られて良い方に行動変容する分にはまだよい。DeNAの深澤氏は「きちんと説明してあり、利用者の予防に役立つ」と個人向け遺伝子検査の有用性を主張するが、遺伝子検査から導き出される限定的な情報が、利用者を誤った行動へ導く可能性があるとすれば、有用どころか危険ですらある。これを「禁煙しない言い訳」に使うという利用者のリテラシーの問題だけに帰すべきではないだろう。
祖先を調べる米、子供を調べる中
2013年11月、グーグルが出資する個人向け遺伝子検査世界最大手の23andMeが、米食品医薬品局(FDA)より遺伝子検査キットの販売停止を命じられた。
家族性乳がんのリスクやワーファリン(抗凝固薬)の感受性など、日本では医療として自主規制している項目を含む検査サービスを提供していた23andMeは、「利用者の安全が担保出来ない」として、FDAから警告を受けていた。FDAは最終的にこのキットを承認基準に満たない医療機器にあたると判断。結果、23andMeは疾患や体質に関する検査サービスを停止し、多民族国家のアメリカならではの「祖先解析」に特化する形に切り替えた。
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これにより、75万人分という巨大なゲノムデータを持つ同社は顧客の伸びを鈍化させたが、キット承認を待ちつつ、年内にも海外進出の予定だ。
一方、日本人の子供たちの遺伝子が上海に流れている。ひとりっ子政策で富裕層の教育熱が過熱する中国では、世界最大の才能遺伝子検査会社、上海バイオチップがひときわ目を引く。
上海バイオチップは、01年、中国政府の9割出資によって設立された遺伝子研究・開発の拠点。日本にも20社以上の代理店があり、58000円の料金で、記憶力、注意力、理解力、想像力などの「学習能力(IQ)」、勇気、羞恥心、楽観、探究心、同情心、社交性などの「感情(EQ)」、聴覚、音感などの「音楽能力」、色覚、美的感覚などの「絵画デザイン能力」、音感、耐久力などの「ダンス・リズム感」、筋力、速度、瞬発力などの「運動能力」の6分野41項目を検査できる。
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「石」の多い玉石混交
才能のように定義がなく数値化できないものをどのように見ているのか、検査対象として公表されている遺伝子について調べてみた。色彩感覚の敏感性が分かるというCBP、CDBは赤緑色覚異常の診断に用いる遺伝子。おそらくは、色彩感覚の「個性」ではなく「色覚異常」やその重症度を判定しているのだろう。色覚異常でないことが分かれば、色彩感覚の敏感性は「優」、軽度の異常であれば「良」という結果がくるのだろうか。
続けて見ていくと、音感については難聴に関連する遺伝子を、理解力については認知症などに関連する遺伝子を見ているほか、業界関係者によれば、社交性については1匹のマウスが入った箱に別のマウスを入れた際、もう1匹に近寄っていくかどうかを調べた動物実験の論文を元にしているらしいという。ここだけ見ると検査全体が詐欺的といった印象も受けるが、そうとも言えない。運動能力分野について調べているのは瞬発力や持久力との関連が報告されるACTN3という遺伝子。多くのいい加減な情報の中に、それなりの信頼度をうかがわせる情報が少し混ざるのが利用者を惑わせる。
DeNAをバックアップし、共同研究を行う東大医科研ヒトゲノム解析センター教授の宮野悟氏も「項目ごとに情報の信頼性はかなり違いますね」と、現在の個人向け遺伝子検査が持つ有用性の限界を認める。
シークエンサーやスーパーコンピューターの進歩による検査時間の短縮や低価格化は、遺伝子検査そのものが進歩したような印象を与える。しかし、ある特徴を見るために適切な遺伝子が存在しない場合、また、遺伝要因が疾患発症要因のどのくらいを占めるのか、そのSNPがどう疾患や体質と関連しているかがブラックボックスである以上、分かることが増えても「占いの域」を完全に脱するのは難しい。
機械が賢くなっても、東大がやっても、その数字の持つ影響の曖昧さは変わらない。では、今後、利用者が増え、データが蓄積していけば本当に検査の信頼性は上がっていくのだろうか。
「SNPだけ見ていても未来はありません。今、SNPだけを見ているのは単にコストの面から。もっと利用者が集まって検体が蓄積し、コストも下がってきたら、本当にやりたいのはフルゲノム解析です」(宮野氏)
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