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大学に生息する「教員」という動物~教育編(前編)

僕の知り合いの小学校の校長先生が退職後、教育学関係の大学に再就職された。定年後に、受け入れ側に望まれて入ったくらいなので、教育者としてきわめて優秀、教育にも熱心な方だ。さて、再就職してそろそろ1年が経とうとしている件の先生に先頃お会いしたのだけれど、なんと先生は大学に不満を抱いておられた。それは「大学は不可思議なところ。教員がマトモに教育していない」というものだった。学生が授業に欠席しようが知ったことではないし、授業以外はほとんど関わることがない。逆に一生懸命面倒を見ている自分が白い目で見られるほど。

「大学の先生は教育者としての自覚って、どうなっているんでしょうか?」

これには僕も別の側面からではあるが同感だ。僕は大学教員になって17年目だが、それ以前は一般社会でフリーランスとして過当競争の中で働いてきた。当然、仕事できなかったり、失敗したら即クビという状況にあった(実際に、突然クビにされたこともある)。そんな僕、つまり民間で仕事をしていた目から見ても、大学教員の中にはきわめて不可思議な人間が存在する。一般社会ではあり得ないことをあたりまえに思っていたり、にもかかわらずそれがまかり通ってしまっていることもしばしばなわけで。あまりにそのかけ離れた行動に、僕はかえって関心を抱き(これも社会学者という奇異な職業の性分か?)、教員となって以来、いわば生態学的?あるいは文化人類学的に教員を観察してきた。で、研究会などで顔を合わせるあっちこっちの大学の教員にこのことを訊ねてみると。変わった「生態」があるわあるわ、いろんな話が返ってきて盛り上がってしまった。そこで、今回は、大学教員という動物の生態?(あるいは部族?)について集めたエピソードをご紹介してみたい(こりゃ、どっちかというと文化人類学的なフィールドワークかも?)。ただし、間違えないでいただきたいが、ここからご紹介するのは大学教員の一般的な傾向=趨勢というわけではない。あくまでも「こんな輩が存在する」というふうに理解して欲しい

大学教員の仕事は大きく分けて三つ。教育、研究、そして事務だ。なので、この三つに分けて事例を紹介したい。

教育は全て自己責任という立場

で、今回は教育についていくつか取り上げてみよう。

・学生が何もしなければ、何もしない

「大学は最高学府。選抜された大人が研究に対して自主性を持って入ってくるところ。なので大学教員としては、もっぱらその知識を提供するのが仕事。よって勉強する、しないは全て自己責任。やる気のないやつは放っておけばいい。要は自己責任なんだから」。

こういったスタンスで講義やゼミをやっている教員がいる。三十年以上も前の、進学率が10%程度ゆえ、実際に選ばれた人間が入学してくるというシチュエーションなら、まあ、わからないでもないが、もはや大学進学率は50%を超えている。でもって、もはやほぼ全入の時代なので、こちらの方から手招きし、手厚い保護を加えないことにはほとんどの大学は成り立たない時代に突入しつつある。つまり小中高の「生徒指導」レベルが要求される時代。だから、こんなこと言っているようではどうにもならないのだが、そんなことはお構いなしである。

・授業時間は正味一時間

授業を15分遅れで始め、15分前には終了する。一講義は90分なので、正味一時間くらいしかやらない。講義もちょくちょく休講にする。ちなみに、最近、文科省はこの手のことにかなりうるさくなっており、国公立の大学では必ず15回の講義(半期)をやるように指導しているところも多くなってきた。一方、私学となると、このへんはかなりイイカゲン。

・授業はひたすらビデオ

国文学の授業なのだが、ひたすらビデオで映画(日本の古典)を見せるという教員がいた。映画のジャンルは自分の好きなヤツ。それを分析するとか、体系立てて説明するとか、そんなものは一切ない。で、映画が終われば、また次の映画。「この時代、原節子は大女優でした。いや~美人ですねぇ」って、どうでもいい話で授業は展開する。しかも、気に入っている場面では本人が介入して話をするので作品が中断されてしまい、真剣に見ている学生にとっては、かえって集中しづらい。ただし、この先生、人気があった。ほとんどの学生にA評価を与えていたのだ。ということは、授業中は、つまらない映画を上映している暗い教室内で昼寝していれば優秀な成績がもらえる。出席も採らない。ということは、手際よく単位を取りたい学生にすれば「よいセンセイ」ということになる。

・駅のコンコースと化す授業風景

受講生に全く関心を示さない。だから授業のプレゼンはメチャクチャ。ボソボソと喋ったり、ものすごい早口だったり、板書がべらぼうに多かったりする。また板書は書いた瞬間消してしまうので、実質学生たちはノートが取れない。ただし、学生に関心を示さないので、学生の方も適当にやる。だから教室は私語の嵐。さながら駅のコンコース状態。

・やたらと受講生に過敏

その反対もある。とにかく受講生に過敏なパターンだ。咳をしたら怒りだし、即座に教室から退出させた。体調が悪くなり退出した学生を再入出させなかった。次回の講義で件の学生が出席すると睨みつけ、学生は事実上、それ以降の出席が不可能になった。ただのアカハラなんだが、そのことが全くわかっていない。教員にとって、この学生は、ただ単に「態度が悪い」という認識しか無い。センセイはエラいのである。

・試験の解答を教える

期末テストは面倒くさいので「合理化」を推進しようとする教員がいる。○×式テストを実施する、ほぼ毎年同じ問題を出すなんてやり方がその典型(ちなみに授業内容が10年間同じというのもまま見受けられる)。また試験の前の週に「授業のまとめ」と称し、これまで学習した内容の復習を行う。なかなか丁寧な教員とおもえないこともないが、実はこの「まとめ」の内容がそっくりそのまま試験問題になる。こういったやり方をすると、受講学生と教員の間には、ある種のWinーWinの関係が成立する。学生としては毎年同じ問題ならカンペが回ってくるし、授業のまとめをやってくれるならその時だけ出席すれば単位ゲットは楽勝(にもかかわらず、なぜか成績に差が出るんだが)。で、こういう教員に限って出席をとらない。教員としても○×や同じ内容についての回答チェックなので、採点にかかる時間は一枚1分以下。それゆえ、こちらも楽勝。当然、ここでは「教育とは何か」なんて問いは不問に付すべき問題となる。

・自著の教科書の購入を義務づける

教科書を指定している教員の中には、新規購入を義務づける者がいる。授業以外ではほとんど購入者がいないので、毎年せっせと受講生に購入させて在庫分を処理しようという魂胆だ。学生たちは価格がバカにならない教科書(7000円以上するなんてスゴイやつもある。まあ、だから売れないんだろうけれど)を購入したくはない。出来れば先輩から譲り受ける(同じ教科書を使っているのだから十分使える)というかたちで節約したいところ。ところが、これができないように教員側もバッチリ対策を立てている。試験時は教科書持ち込み可。しかしその理由、実は教科書を購入したかどうかをチェックするため。試験最中、教員が教室内を回り、受験者全ての教科書を検分して回る。検分するカ所は奥付だ。ここに自分の印鑑を捺印するのだ。で、もし先輩から譲り受けた教科書なら、すでに奥付には印鑑が捺印されてある。これが発見された学生は即刻受験資格を失うのである。

・ほとんどの学生を不可にした

試験問題の出来の悪さに「学生が怠慢」と憤慨し、全体の8割に単位を認定しなかった。こういった教員の場合、わけのわからない授業をやっている可能性が高い。本人は高尚な授業をやっているつもりでも、学生たちには理解不能。つまり、学生たちが受けようとするレベルと教員が提供するレベルが全くかみ合っていない。しかし教員側はそれを受け入れないどころか(学生のレベルをマーケティングしようなどと言う意志はさらさらない)学生の学力低下を嘆き、それを「ゆとり社会の弊害」と言い放つ。

・結果として各種ハラスメントをしてしまう

大学教員の多くが大学、大学院という人生を歩んできて、専ら勉強だけだったので異性との関係についての経験値が低い。なので大学に就職し、ゼミで学生の面倒を見ることになるとエラいことをやりかねない。face to faceの関わり、研究室という密室での指導。慣れない異性との関わりの中で、親密性を恋愛感情と勘違いし、気がつけば気分はエロモードへ。そこでセクハラが発生する。また、言うことをきかないと、今度は一転してストーカー=イジメモード、つまりパワハラへと転じる。これもやっちゃいけないことなんだが、社会経験が低いのでわからない。

・評価されることを極端に嫌う

FDと称して、授業改善などを目指して大学は「授業評価アンケート」を実施している。で、この存在を端っから否定する。アンケートは選択式の質問項目が20項目程度で、これらが五段階評価になっているのだけど、これを極端に嫌うのだ。「授業を評価するなんてのは研究の自由に対する侵害だ」「学生には評価能力が無い」「この評価アンケートは真実を反映していない」というのがその理由。ちなみに、この評価アンケート自体、確かに実はほとんど役に立たないことは事実。何のことはない、きわめて差が出にくいのだ(ほとんどの教員が同じような成績になる)。ただし、ひとつだけわかることがある。それは極端に評価が高い教員と極端に評価の低い教員については当たっているということだ(これはグッド)。ただし、自分が評価されることに慣れていないので、とにかく成績を付けられることがイヤ。なので、実施すること自体に大反対が起こる。「授業評価」という名称についても「評価するとは何事か!」というツッコミがなされるほど。センセイはやっぱりエラいのである。で、最近では大学によっては「授業改善アンケート」なんて名前に改められている……まあ、どっちでも同じなんだけど。当然、評価については公表を嫌う教員が多い。なので、大学によっては教員だけに結果が知らされるというところも。しかも返却に当たっては集計する側が事前に自由回答をチェックし、誹謗中傷と思われる部分を削除してから手渡すなんてご丁寧なケアまでやっているところも(ちなみに、これも最近ではアウトソーシングだ)。で、そのままゴミ箱に捨てられるなんてことになれば、実施すること自体に意味がなくなるんだけれど。

またアンケートには自由回答項目が設けられている場合が多い。この欄は、匿名であるがゆえに時にかなり誹謗中傷めいたコメントがなされることがある。ところが成績の公表すら嫌う教員。当然、こういった文面には「怒り心頭に発する」状態になる。「あんな連中は人を評価するような能力が無いんだから、そもそもこんな回答をさせることそれ自体が間違っている」。まあ、評価されることにホトホト慣れていないんだろう。お客様の学生を「あんな連中」呼ばわりするのも、大人気が無い。

・学生の卒論の公表を嫌う

論文というのはあたりまえの話だが「第三者に見られることを前提に作成するもの」。ところが自分が指導した学生論文の公表を頑なに拒む。「あんな連中はて・に・を・はすらわからない。文章を書く能力がない。だいいち個人情報に関する知識もないので、書いたものを公表したら、場合によっては裁判沙汰になる」というのがその理由。でも、よく考えてみて欲しい。これらを指導するのが「卒論指導」なんじゃないの?なんのことはない、指導していないのがバレたら困るだけのことなのだ。で、いちばん見られたくないのは同僚の先生だったりする。論文の質自体が指導の質と量を反映しているからだ。

さてエピソードをいくつか紹介したが、どれも一般社会では到底通用しないといってもいいレベル。で、一括りにしてしまえば「社会性が低い」ということになるんだけど。

ただし、繰り返すが、あくまで「こんなセンセイもいるんですよ」ということで、了解していただきたい。(続く)

大学に生息する「教員」という動物~研究・事務編(後編)

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