- 2014年12月07日 12:51
「戦略」はなぜ日本には向かないのか
■日本人は「戦略」が苦手か
僕は、子ども若者支援の関西の老舗NPOの代表を10年務め、その後一般社団法人代表を2年務めている。NPO代表時代、働き過ぎ(カウンセリングからマネジメントまですべて統括していた)のため脳出血で死線をさまよったが奇跡的に(文字通り)復活し、いまは格差社会を背景とした貧困問題から生じる若者支援(不登校・ひきこもり・ニートほか、発達障がいや虐待を背景としたPTSD〈心的外傷後ストレス障害〉等)を行なっている。
「サードプレイス・カフェ」と総称して、3段階に分かれた「居場所カフェ」もマネジメントし(高校内カフェの「となりカフェ」、15才以上無料居場所「tameruカフェ」、中間的就労支援「tameruカフェ」)、サードプレイスを通した若者支援をなんとか推し進める。
そんななか、ソーシャルセクター(NPOや一般社団法人の公益法人、非営利活動を行なう株式会社等)にとってマネジメントとは何か、ということを常に考えている。マネジメントには、「法人」「事業」「機能別(人事・広報等)」の3オーダーがあり、たとえば法人マネジメントでは「理念・ビジョン・ミッション」の確定とSBU(戦略的事業単位)の年度ごとの決定等を行なう。
だから長い間「戦略」は僕にとって大きなテーマだったのだが、正直に言って、何冊本を読んでもよくわからなかった。
脳出血後すっかり衰えてしまった記憶力をはじめとした脳機能の問題もあるのだろうが、読書を重ねれば重ねるほど、この頃はこんな結論に到達しようとしている。
つまり、日本人は(経営のプロも含め)「戦略」というものが苦手なのではないか、よくわかっていないのではないか、ということだ。
■戦略とは、「1.情報、2.アセスメント(評価)、3.目標、4.アクションプラン(戦術)」という一連の流れ
経営戦略本を見ると、「戦略とは何か」という根本的な問いにクリアでシンプルに答えてくれる本はあまりない。いろいろな戦略の定義があふれ、SWOT等の現状分析の手法については詳述されている。
が、肝心要の、「そもそも戦略とはなにか」という点について、本の1ページ目に書いてくれる書物とは残念ながら僕は出会わなかった(といいつつ戦略本は30冊くらいしか流し読みしていないので、決定版があったら教えてください)。
強いて言うと、日経新書等の入門書に、「経営とは戦略と組織だ!」等のわかりやすい言葉があったが、それでも僕は満足できなかった。
が、そうした何冊かの入門書(意外と入門書が一番役に立った)をミックスしていくと、なんとなく戦略というものが見えてきた。それは、下記のような一連の「流れ」としてまとめることができる。
1.情報
2.アセスメント(評価)
3.目標(長期→短期)
4.アクションプラン(戦略)
法人(戦略のレベルにもよるので、これを「事業」や「人事や広報(等の機能)」に変えてもいい)をとりまく情報を収集し、その情報にもとづいて現状を評価し(ここで現状分析の様々な手法が使えるが机上の空論になることも多い)、目標を立て(数年から半年先の「長期目標」をまず立て、そこに向かうための半年から2週間単位の「短期目標」をたてる)、それに向けて具体的なアクションプランを練り上げる(これを「戦術」と表現してもいい)。
これらのイニシャルをとって、IAOA( information、assessment、objective、action plan)としてもいいが(笑)、またよくわからなくなるのでやめておこう(経営書にはこんな略称が多すぎる)。
とにかく、この一連の流れ(情報、アセスメント、目標、アクションプラン)の総合を「戦略」とすると、すっきりする。
この「戦略思考」を思考の「土台」とし、世の中に溢れかえるさまざまな戦略タイプ(経営学者の名前をとったものからキャッチーなネーミングなものまでさまざまだ)をその上に乗せて行くと、さらにすっきりするだろう。
いわば戦略を哲学的に「土台」づけると、それは「情報~アセスメント~目標~アクションプラン」であり、世にあふれる流行の戦略はこの「土台」の上に構築される。が、世の戦略は、この「土台」が当然のものとして看過され、その上にある目新しいネーミングに目が行ってしまう。
■「支援」でも戦略は使える
実は、現場仕事である「支援」の分野でも、この戦略思考は取り入れることができる。
それは、「個別支援計画」として障がい者支援に導入されようとしたり、「ケースカンファレンス」としてSSW(スクールソーシャルワーク)に取り入れられようとしているのだが、前者においては日本人らしく細かく取り入れようとするあまり現実的ではなくなっており、後者は新しいジャンルのためまだ汎用化されていない。
前者(「個別支援計画」)では、先日行なわれた内閣府主催の子ども若者支援者研修で僕が講師を行なった際、受講者の感想から伺い知ることができた(その他、最近僕が行なう福祉支援者の講演でも同じ感想が聞かれる)。
つまり、障害者自立支援法に基づく個別支援計画は、発想としては上記の戦略思考を取り入れているのだが、複雑な項目が並ぶため、逆に記述するほうは混乱してしまっている。
戦略とは、一連の流れをはずさなければ、できるだけシンプルなほうがいい。内閣府の研修で僕が上記の戦略思考を説明した際、出席者からは「シンプルでわかりやすい」という言葉があふれた。
だが今は、あまりに丁寧に個別支援計画を推し進めるため、支援にとって最も必要でかつ便利な「戦略思考」がないがしろにされている。
つまりは、多くの情報を収集し、正確なアセスメントを下し、目標を長期目標から逆算し、超具体的なアクションプラン(「幸福になる」「成功する」等の抽象的なものではなく、たとえば「◯◯という映像作品を△△であえて流して□□な言葉を印象づけ、長期目標の●●の点の第一段階を満たす」等の超具体的なものが望ましい~これはアイデアあふれるトリッキーな「~~戦術」という言葉を用いてもオッケーだ〈戦国時代で言うと「高松城水攻め」とかはこのアクションプランのレベルになる〉)をクリエィティブに展開する。
これら、クリエィティブである意味アートフルな戦術(アクションプラン)を伴った具体的流れの総合が、つまりは「戦略」なのだ。
こうした具体性、アート性、クリエィティビティが伴うものが「戦略」であり、紋切り的な「個別支援計画」をむしろはみ出ていくものだと思う。
■つぎつぎとなりゆくいきほい
が、日本人には戦略は不向きだと言われる。それは、丸山真男いうところの「つぎつぎとなりゆくいきほい」(「歴史意識の古層」)的な、その場での完全燃焼を美学とし、計画的長期的で目的性をもった発想を遠ざける国民性が背景にあるから、と今のところ僕は考えている。
この「古層」はしっかり現代社会の国民にも根付いており、たとえば、先日アイススケートの羽生選手が見せた、長期的な選手生命も顧みずに、外傷後も滑り続ける姿を美とする姿、それにたいしてポジティブな評価が溢れかえるメディアなどを見ていると痛感する(スポーツはわかりやすく、何日も延長した軟式野球大会決勝などもあった)。
土台としての戦略思考は、マネジメント(法人・事業・機能別)から、現場のケースカンファレンスまで幅広く生かせる。数週間~数ヶ月単位のモニタリング(目標の達成度の評価)をこまめに行なえば、この戦略思考こそが最強だと僕は思う。
が、日本人は、戦略の一部(分析手法等)を取り上げるだけであったり、戦略のさらなる手前に位置する「理念・ビジョン・コンセプトの意味」でさえ曖昧だったりする(世界的な市場で勝負するグローバル企業でさえも、それらの位置づけが曖昧なところもある)。
戦略は有効であり、求められている。が、日本人には「古層」があり、後天的に学んだとしてもどうしても戦略は向かない。
まずはそのことを認め、グローバル企業は戦略思考を手探りで探り、国内に残るほとんどのL型(ローカル型)企業・法人はむしろ「つぎつぎとなりゆくいきほい」に身を任せるか、あるいは苦手と意識したうえでそれでもさらに戦略思考型の法人を目指すか、だろう。
※Yahoo!ニュースからの転載


