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- 2014年12月02日 23:41
ジューク・ボックスというメディアの消滅~音楽メディアと音楽聴取形態の変容(1/3)
ジューク・ボックスって?
ジューク・ボックスをご存知だろうか。70年代前半くらいまで喫茶店やゲーム・センター、ボウリング場、レストランに設置されていたミュージック・プレイヤーだ。いわば大型のレコード・プレイヤー(いちおうステレオだが、スピーカーが近すぎてほとんどステレオとしては聴けなかった)で、やって来た客がこのマシンにコイン(20円程度)を挿入して、楽曲リストの中から聴きたい曲の書かれている札(手書きの場合もあった)の横にあるボタンを押すと当該の曲を一曲だけ聴くことができる(ストック数は200くらい。ただしA面とB面を合わせて。B面なんか誰も聴かなかったが)。中には内部構造が透けて見えるようになっているものあり、これだとドーナツ盤(ジューク・ボックスでマシンがねらいを定めやすいようにレコードの真ん中が大きくくりぬかれた、さながらドーナツのように見えるレコード)をマシンがチョイスし、ターンテーブルにレコードを乗せてピックアップが落とされ、終わると元に戻すというギミックの一部始終を見ることができた。東大大学院の片桐早紀氏によると、ジューク・ボックスはもともとアメリカ産だが、これが日本にやってきたのは50年代の米軍キャンプあたりで、その後ユダヤ商人たち(そのひとつは現在のタイトー。ちなみに、これはユダヤ人ではないがセガもジューク・ボックスを手がけた大手だった)がこれを国内のバーやクラブに売り込み、次第に普及していったと言うことらしい。
1960年生まれの僕はジューク・ボックス最終世代?
僕は1960年生まれで、このジューク・ボックスにワクワクし、そしてその後、消滅していくのを経験した最後くらいの世代。60年代後半、ませガキだった僕は近所の高校生のお兄さんのお姉さん宅に勝手に上がり込み、彼らのレコード・コレクションをこれまた勝手にかけまくっていた(これが許されたのは当時、僕が住んでいた田舎・静岡県島田にはまだ共同体的な紐帯が残っていたから、そして僕がレコードを絶対に傷つけず、なおかつキレイに掃除して返していたから。なんのことはない掃除が好きだっただけなんだけど(笑))。また筋向かいの知り合いの家が喫茶店を経営していて、ここにも勝手に出入りし、ジューク・ボックスをいじることができた。加えて週イチのテレビ番組「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)をワクワクしながら見ていた(洋楽と邦楽がゴチャゴチャでランキングされていた)。なんて状態だったので、僕にとってジューク・ボックスは「夢の音楽箱」みたいな位置づけだった。テレビや近所で仕入れた新しい音楽(歌謡曲、そしてポップス、つまりビートルズやモンキーズ)をあらためて聴くマシンがジューク・ボックスだったのだ。いわば「ハレの音楽聴取」。60年代当時、一般家庭にあった再生装置は、いわゆる「電蓄」。モノラルか小さなステレオ・プレイヤーだった。それに比べるとジューク・ボックスは巨大で、メタリックな感じと演奏に至るメカニカルなギミックがHI-FI+テクノロジー的なアウラを放ち、たまらなく魅力的な存在に思えたのだ。音も家庭に置いてあるものに比べれば段違いによかった(まあ、とはいっても今聴いたら解像度の悪い低音がこもりながらボンボン出ているだけなんだろうが)。ところが、その後(1971年)、田舎から東京に引っ越し、ジューク・ボックスは僕の身近な環境からは疎遠なものになってしまう。四年後の1975年、中学3年で修学旅行に伊豆に行ったときのこと。宿泊先の旅館のラウンジに、偶然一台のジューク・ボックスを見つけた。「おお、なつかしい」とばかり、近寄ってみると、そのラインナップはなんと遙か昔の曲がそのまんまだった。つまり更新されていない。言い換えれば、設置こそされてはいるけれど、ほとんど誰もジューク・ボックスなんかに目を留めないというメディアになっていたのだ。で、僕が思わず「なつかしい」思ってしまったのも同様。つまり70年代半ばにはジューク・ボックスは完全にオールド・ファッションとなり廃れてしまっていたのだ。でも、なぜなんだろう?実は、そこには音楽環境を巡るメディアの大きな変容があったのだ。
70年代、メディアと音楽聴取形態は大きな変容を遂げていた! で、今回はこれを考えてみたい。ただし、もちろんメディア論的に。ジューク・ボックスの衰退、実は60年代末から70年代半ばにかけて音楽聴取形態のドラスティックな変化があり、その流れの中でこういった現象が起きたのではないかと、僕は踏んでいる。メディア論(とりわけカルチュラル・スタディーズ)の分野には「メディアの重層決定」という言葉がある。メディアが廃れたり新たにメディアが定着するにあたっては、たったひとつの要因ではなく、様々な要因、とりわけ関連するメディアとテクノロジーの絡みによってこれが発生するという考え方なのだけれど、ジューク・ボックスの衰退はまさにこの言葉がピッタリの現象なのではないか。
これまで音楽メディアと視聴形態の変容と言えば、専ら語られてきたのは80年代のウォークマン、0年代のiPodといったところなのだが、70年代についてはなぜか語られることが少ない。しかし、この時期、メディアと音楽聴取形態の変容はかなりドラスティックに発生していたはずだ。
というわけで、ジューク・ボックスの衰退を、この間の音楽聴取を巡るメディアシーンの変遷との関連で考えていこう。で、オマケでジューク・ボックス以降の音楽を巡るメディア状況も考えてしまおう。
60年代、電蓄、ステレオ、そしてジュークボックスの時代
60年代後半から家庭における音楽聴取は次第にポピュラーなものとなっていく。その形態は二つ。一つは前述した電蓄=レコードプレイヤーだ。原則EPレコード(直径17cm)に合わせたターンテーブルだが、ピックアップの軸、つまりプレイする針のアーム軸がちょっと離れたところに取り付けてあるのが一般的だった。これはLPレコード(直径30cm)も再生できるように配慮したため。スピーカーは一つ。それにスイッチとボリュームというのが最低限の組み合わせで、一台数千円程度で購入が可能だった(とはいっても、当時の物価からしたら消して安いとは言えない)。もう一つはHI-FIステレオ、あるいはセパレート・ステレオと呼ばれるもので、プリメイン・アンプとターン・テーブルが一体化したコンソール・ボックスが木製のスピーカーに挟まれた、巨大な、さながら食器棚・本棚みたいな装置だった。これはもちろん洋風化が始まった日本のリビング・ルーム(まあ、どちらかというと応接室だが)に家具、あるいは調度品、はたまたステイタス・シンボルみたいな意味づけで設置されるものだった。当然、これは安くても5万円以上だった。で、これらはジューク・ボックスと競合すると言うよりも共存するメディアだった。前者の場合、ジューク・ボックスは音質、迫力とも圧倒的に優れていた。なので、僕がやっていたみたいに電蓄=リハーサル、ジューク・ボックス=本番みたいな棲み分けが出来ていた。また、セパレート・ステレオに対してには、最新の曲を聴くという点でジューク・ボックスにアドバンテージがあった。ステレオはあくまで家庭のコレクションを聴くものだったのだ。
だが70年代、この棲み分けに変化が始まる。それはどういったものだったのだろうか?(続く)



