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<国連調査で「世界一の豊かさ」> GDPを超える新経済統計。日本の強みは設備・インフラと教育力 - 福島清彦(立教大学特任教授)

※本シリーズは、11月26日発売の「文藝春秋 SPECIAL冬Kindle版)」との共同企画です。本誌掲載記事の一部を4週にわたって配信いたします。(BLOGOS編集部)

 日本は世界で一番豊かな国である―。こう述べると、自信喪失のただなかにある多くの日本人は「空元気はやめてくれ」と言いたくなるかもしれない。長期デフレを克服できず、GDPでは中国に抜かれ、人口減で衰退の道を進むほかない。そんな日本像が蔓延しているからだ。

 しかし、それは誤解である。GDP中心主義、すなわち経済成長率が豊かさを計る唯一の基準だという誤った認識に基づいているからだ。日本のように成熟した経済先進国が、大幅な経済成長を続けられるはずがないし、それを目指す必要もない。

 実は、今、一国の豊かさについて、新しい考え方が、欧米各国に浸透しつつある。それは経済活動の規模(GDP)を前の年に比べてどれだけ大きくしたか(経済成長率)ではなく、国民の福利厚生度がどれだけ高い水準にあるか、将来にわたってその水準を維持し、さらに高めてゆく能力があるかを判断の基準にするものだ。

 すでにEUでは、二〇二〇年に向けての長期戦略で、GDPという言葉を使っていない。その代わりに眼目となっているのは、若者の学力向上や、貧困者数削減など五項目についての具体的な数値目標である。米国でも二〇一〇年度の予算教書では、母子家庭数、銃による死亡者件数、高校中退者数などの推移を「社会的な諸指標」として、それらの数値改善を政策課題として重視している。

 そして、こうした動きのさきがけとなったのは、二〇〇九年に米コロンビア大学のスティグリッツ教授が主査となってまとめた、新しい経済指標である。この報告書は『暮らしの質を測る』(金融財政事情研究会)として邦訳もされているが、これに基づき、二〇一二年、国連が主要二十国を対象として、新しい経済統計(以下、国連新統計)を発表した。

 この国連新統計では、①国民の頭脳力である人的資本、②ヒトが生産した資本、③国民の信頼関係である社会関係資本、④農業や鉱物資源を中心とした天然資本の四つの資本(この四資本については後に詳しく述べる)に着目し、これこそが、その国の国民の生活の豊かさと、経済の持続性を表すものだとしている。この四資本のうち、数値化の難しい社会関係資本を除く三資本の資本残高を計算した結果(二〇〇八年の統計データを使用)、日本は国全体ではアメリカに次いで二位、一人あたりでは四十三万五千ドル(二〇〇〇年米ドル換算)となり、二位米国の三十八万六千ドルを一三%も上回って、ダントツの一位となったのだ。

 特に高く評価されたのが、国民の教育水準や業務遂行能力である人的資本の水準が高いこと(日本三十一万ドル、米国二十九万ドル)と、生産した資本の水準が高いこと(日本十二万ドル、米国七万ドル)だった。つまり、ヒトが充実した人生を送るのに役立つ教育力と、経済が高い生産性を維持するのに必要な企業設備や道路港湾などの諸設備の水準が、日本は他のいかなる国より高いのである。

GDP偏重のアベノミクス

 こうした結果に、多くの日本人は戸惑うかもしれない。それは、従来のGDPによる価値観があまりに浸透してしまっているからだ。たとえば一人当たり国内総生産GDP(二〇一三年)を見ると、調査機関によって多少の違いはあるが、シンガポールの方が日本より上で、今後の経済成長率と為替レートの変化を考えると、韓国や台湾が一人当たりGDPで日本を抜く日はそう遠くないと思われる。日本の順位は二十四位から二十八位で、世界一位の人的資本や生産した資本に比べ、全く振るわない。この差は何によるのか。

 最も大きな要因は高齢化である。基本的にはもう働かない、六十五歳以上の人口が二五%にものぼるためだ。一九九七年以降、日本ではますます就業者数が減っている。働く人が作った生産高を、(働かない人の数をも含めた)全人口で割ると、一人当たりの生産高(GDP)はどんどん小さくなる。単純な算数の計算問題であって、日本人の生産能力が落ちたからでも、日本経済が「失われた二十年」を送ってきたからでもない。

 総人口も減っているので、総消費額にも減ろうとする力が働いている。経済は生産と消費(供給と需要)で成り立つが、その両方とも増えにくくなっているのだ。

 現在、安倍内閣は依然として「二%の成長戦略」を目標に掲げ、いくつかの審議会を作って戦略の練り上げに余念がない。だが、二〇一四年十月九日に、民間のエコノミストたち約四十人の経済予測を集計した調査によると、一四年度の成長率は平均〇・三四%で、二%とは程遠いが、これは最近になって、弱気のエコノミストが増えたからではない。人口面だけみても、これからの日本に生産高を拡大する意味での「成長」はありえないのだ。そして、それは当然のことで、別に構わないのである。

 その昔、筆者が小学生の頃、健康優良児という表彰制度があった。身長体重とも特に大きい児童を学年で選んで表彰するのである。国民が栄養不足で悩んでいた時代の制度だが、育ち盛りの小学生ならば、それもいいだろう。しかし、立派な体格の成人となったあとも、まだ毎年二センチ身長を伸ばすことを目標に、過度な栄養を摂取し、ジムに通いつめたらどうなるか。失望感と疲れだけが残ることは明らかだ。毎年二%の成長戦略を求めてもがく安倍内閣を見ていると、立派な大人が健康優良児を目指しているように思えてならない。つまり、それは誤った目標の立て方なのである。

「四資本」を高めるには

 日本の目指す道は、国連新統計が示すような、国民に蓄積された資産とそれを維持し高めていける持続性である。では、それはどうやったら達成できるのか。それには、まず国連新統計が重視する四つの資本とは何かを説明する必要があるだろう。

 人が生産活動に従事するには、その人が与えられた課題を理解し、それに基づいて必要な肉体労働や精神的労働を行えるような能力を備えていることが前提になる。そのような能力は、幼少時から大人になるまでに行われた、人的資本への投資の成果である。  経済活動は、ただ労働者の数だけ集めれば出来るものではない。長年、政府や家族、あるいは本人による人的資本への投資が行われた結果として、一人の労働力が成立しているのだ。人的資本への投資が経済活動の出発点である。

 人的資本投資の結果、成立した労働力が、生産設備を使って生産活動を行う。この生産設備も、これまでに行われた、設備に対する投資の成果であり、「生産した資本」の残存高である。これまでに生産された資本の残存高が大きく、その質が高いと、労働者(人的資本の体現者)は大量に高品質の生産を行うことが出来る。

「ソーシャル・キャピタル」と呼ばれる資本。人と人とのつながりであり、信頼関係である。
 天涯孤独、誰ともつながりを持たないで社会に有益な仕事をしている人などいない。人とのつながりがあって初めて人間は働くことに目標を持ち、仕事にやりがいを見出すことが出来る。社会関係資本の最小単位は家族である。家族の信頼と愛情の中で人は生まれ、成長し、労働力として形成される。家族の次に学校、職場、あるいは所属する非営利組織、趣味の団体、町内会、宗教団体などが人を支える社会関係資本である。

 先に述べたスティグリッツ報告では、これをつながり(コネクテッドネス)と呼んで重視している。人と人のつながりが強いか弱いかは個人の生産性を左右するし、治安や社会の安定性とも関わってくる。したがって、国全体の生産活動を良好な状態で維持するには、社会関係資本を高くし、高水準を維持して行くことが必要不可欠になる。

 そうは言っても、社会関係資本を数値化する標準的な統計はまだ出来ていない。カナダやイギリスなど、国勢調査の際に国民の間の信頼度や主観的な幸福度を聞くことから始めている国もある。

 日本では、天然資本というと、石油や鉄鉱石などの地下資源を思い浮かべるだろう。しかし、国連新統計では、それらの資源のほかに、生産に役立つよう、人が手を加えた自然は、「天然資本」として考えられている。水田、牧草地、将来木材として出荷することを目標に植林した森林なども天然資本に入る。その意味では、日本は決して「持たざる国」ではない。

強みをもっと伸ばす戦略を

 GDPを高めることと、四資本への投資は、時として相反することがある。環境への配慮もそうだし、ある意味では、教育もそうだ。人的資本の水準を高めるため、幼児から高齢者まで、多くの人々をいったん生産の現場から離し、教育・研修を行うことは、生産に従事する労働力の投入量を減らすからである。

 しかし、長期的にみれば、四資本への投資は、その国の国民を確実に豊かにする。人的資本への投資をすると、教育水準が高まる。教育水準の高まりは、互いの信頼度の向上に貢献し、社会関係資本の水準も高まる。社会関係資本の上昇は、人にやる気と安心感をもたらす。国連新統計の開発責任者であるダスグプタ教授はこう述べている。「社会が進歩を評価する基準を、長期の持続可能度を把握できるものに変えない限り、この地球とそこに暮らす人々は、短期的な成長政策の重圧に苦しむことになる」と。

 このように欧米各国が重視し、統計開発を始めている新指標で見ると、幸いにも日本はすでに一人当たりの資本残高(豊かさ)で世界トップの水準にある。その強みは、これまでに生産された資本の蓄積と、人的資本のレベルが高いことだ。そして、今後、人的資本と生産した資本をさらに高めるためには、政府による投資を大幅に増やす必要がある。政府投資の強化は、国民の福利厚生度と経済の持続力を高めるだけではなく、中期的には生産高を増やすことにもつながっていくからである。

 日本人はもっと自信を持っていい。「経済成長をし続けなければならない」という古い思い込みから自由になり、四資本の充実という、日本がすでにトップを走っている目標にむけて、経済戦略を設定し直したとき、日本経済は新たな未来を見出すだろう。

プロフィール

ふくしま きよひこ 1944年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科卒業後、毎日新聞社に入社。プリンストン大学に留学後、野村総合研究所に。ジョンズ・ホプキンス大学客員教授、野村総合研究所ヨーロッパ社長などを歴任。

「文藝春秋SPECIAL 2014冬」目次

▼ノーベル賞興国論 一匹狼中村修二型か チームカミオカンデ型か(立花隆)

▼SPECIAL白書2015
・衝撃レポート これが日本の実力だ
資本 国連調査で「世界一の豊かさ」 福島清彦/ASEAN 人口6億人が日本経済の生命線に 大泉啓一郎/科学 21世紀だけで13人 ノーベル賞量産の秘密 馬場錬成/治安 「子供の送り迎え不要」は世界の例外 河合幹雄/財政 国民を分断する税システムを変えよ 井手英策/生産性 「おもてなし」は両刃の剣 黒田祥子・山本勲/アジア・マーケット 韓流ソフトパワーに勝つには 原田曜平/農業 「農家」は成長企業である 浅川芳裕/不動産 「負動産」時代の価値観革命 牧野知弘

▼グローバル経済の時代は終わった ニュー・ノーマル経済の勝者は日本だ!(中野剛志)
▼追加緩和も公共事業も百害あって一利なし 安倍首相よ経済の足を引っ張るな(ぐっちーさん)

▼日本型組織の弱点
・内幕ルポ 朝日新聞メルトダウンの病根を暴く(チームTKJ)
・ニッポン株式会社 ソニーの崩壊(川端寛)

▼新発見講義録 学生との対話 悪に耐える思想(福田恆存)
▼東大発企業シャフト元CFO激白 世界一の国産ロボットはなぜグーグルに買われたのか(加藤崇)

▼チェンジ! 弱点が強さに変わる
・日本人が目指すべき21世紀版『坂の上の雲』ヒトの値打ちが急騰する 日本文明の大転換(橘玲)
・過酷な自然条件が日本人をつくった 天災大国 日本はまだまだ強くなれる(大石久和)

▼「空気」は「ディベート」より客観的だ 日本人の壁(養老孟司)
▼緊急提言 日本を最も愛する作家が語る 慰安婦、靖国 朴正熙との一夜(石原慎太郎)

▼地方に勝機あり
・規制緩和だけでは再生しない 地方版「所得倍増計画」を実施せよ(冨山和彦)
・むしろ地方は生き残る「地方消滅」より危険な首都崩壊(松谷明彦)

▼黒船、敗戦をしのぐ大転期がやってくる 日本人が日本を捨てるとき(磯田道史)
▼明治のグローバル化を乗り切った男 「和」をもって尊しとせず リーダー伊藤博文(福田和也)
▼協調性がない日本人、喧嘩が出来る中国人 京都在住アフリカ人学者の日中論(ウスビ・サコ)

▼賢人、日本の未来を予言する
・人類はどこへ向かうのか 二つに割かれる日本人(渡辺京二)
・ジブリとモノづくりの運命 アジアで日米アニメ戦争が始まる(鈴木敏夫)

▼日本企業で働く外国人に聞きました ニホンのカイシャ9つの不思議(森健)

▼グローバル人材と女性はカヤの外
・日本ニューエリートの苦悩(三浦瑠麗)
・仲良しコミュニティからガバナンスへ 日本に眠っている「政治」の遺伝子(竹井隆人)

▼『昭和天皇実録』徹底解読 昭和天皇三つの顔(半藤一利×保阪正康)




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