メディアの未来像を考える~進化するネットメディア 変化するマスメディア~

放送

更新:2011年11月21日 23:10

■「テレビはいい加減なメディアだった」

大谷:今回集まった皆さんは、そもそもなぜメディアに携わろうと思われたのでしょうか。そして、メディアが変わり始めたのはいつ頃なのか、その辺りからお聞かせ下さい。

池田信夫氏(以下、池田):僕は1993年までNHKに勤務していて、『クローズアップ現代』が立ち上がった時の初代デスクでしたが、NHKは僕が辞めた頃から、ある意味、良くも悪くもほとんど変わっていないんです。この17年間は海老沢勝二会長の時代でした。あの人はテレビを知らない人で、"何もやらない"と決めていましたからね。

本当はテレビにも変われるチャンスがあったはずですが、インターネットが出て来た時も乗り遅れてしまった。NHKに関しても、地デジを辞めた方がいいと幹部に言ったけれど、分かってもらえなかった。結局、NHKオンデマンドも中途半端な形でスタートしましたし、インターネットへの対応も後手後手にまわってしまった印象です。一方でNHKがお手本にしているBBCは凄いですよね。『iPlayer』は、1000万の利用者がいる欧州で最も人気のあるサイトになっている。

BBCのマーク・トンプソン会長が、NHKの理事会に招かれた時、「BBCはもう放送局ではない。BBCはウェブ、テレビ、ラジオ、iPlayerなど4つのチャンネルに対して同じ情報を配信している。どのチャンネルを利用したとしても、BBCはライセンス料(受信料)を課金できている。カスタマーがチャネルを選ぶ時代だ」と言ったそうです。でも、NHKの理事の皆さんはポカーンとしていた。このように海外と日本では非常に大きな差がついてしまった。このギャップを埋めるのは容易ではありません。今日は大先輩の田原さんもいらっしゃいますし、その辺りのお話をできたらと思っています。

大谷:ありがとうございます。田原さんは最初、テレビ東京のディレクターとしてキャリアをスタートなさっていますね。

田原総一朗氏(以下田原):私が東京12チャンネル(現テレビ東京)に入ったのは、東京オリンピックの前年(1963年)、つまり開局直前でした。それまで勤めていた岩波映画からテレビに移ったのは、テレビがいい加減なメディアだったからです。岩波に在籍していた当時、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)から、ある番組の構成を頼まれたんです。当時の若い女性ディレクターが幼稚園に関する30分番組をやりたいと。私が思いつくまま企画を話すと、「それで行きましょう!」となった。その後も何度もやりとりがあると思って、「台本はいつまでに書きますか?」と聞いたら、「今晩中に」だって(笑)。台本を渡した後、やり取りをしながら直していくのかと思ったら、「明後日が本番です」と。こんないい加減な世界なのか、これは魅力的だと思ったんです。
岩波映画では企画を立てると、10から20回の企画会議があります。映画とテレビはスピードが違う。テレビはいい加減に喋ったことが、二日後に本番になるという。この世界なら、なんでも好きなことがやれる。その通りでしたよ。何でもできましたから。なぜなら誰もテレビを知らなかったんです。

今、テレビが駄目になってしまったのは、管理主義が台頭しているからです。部長、局長、役員がテレビを知ってしまった。彼らは「テレビとは……!」なんて言っています。そして、もうひとつ問題はどの局にもコンプライアンス部があること。文句を言う所なんです。「こんなことはやるな」、「今日の番組のこれは駄目」と。こんなことが朝日新聞にはありませんでしたか?

蜷川真夫氏(以下、蜷川):コンプラアインス自体はありますが、そこまではやってないかもしれませんね。

田原:たぶんやっているでしょう。「この人は出しちゃ行けない」と言ったりね。例えば鈴木宗男さんが来週(12月6日)収監されます。私は彼の最後のメッセージをやりたいんです。でも、テレビはどこもだめ。結局今週の金曜日(12月3日)にニコニコ動画でやることになった。鈴木さん最後のメッセージですよ。面白いと思うでしょう? 堀江貴文も駄目、佐藤優も駄目。テレビはコンプライアンスが入って、駄目ばかりになってしまった。これでは良くなる訳がない。

最近、僕は既存のメディアが終ったなと思いました。尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国の漁船が衝突しましたね。日本政府は動画を公開しないと決めた。でも、海上保安庁の保安官がそれを流した。どこで流したか? YouTubeで流したんです。これまでならばテレビですよ。でも、テレビではどこも流せない。既存のテレビや新聞がネットの情報を後追いしている。世の中逆転したなと。これは大変だと思っています。

■「新聞は時代によって、他のメディアを気にします。」

大谷:蜷川さんは早い段階から、ネット専門でニュースを配信する「ジェイ・キャスト」を立ち上げて、成功させました。また、朝日新聞やAERAという経歴もお持ちです。ネットとマスメディアの違いを教えて頂けますか?

蜷川:おふたりの話を聞いていて、活字とテレビも違うな……と思いました。新聞社にもコンプライアンスに似たものがある。それが編集方針なんです。それに従って、「出す」、「出さない」を決める。校閲のような記事審査はありますが、コンプライアンス部が活躍することはあまりありません。テレビよりも古くから続いているので、コンプライアンスよりも前に編集方針がデンと構えている。

僕が就職した当時は、今の学生のようにたくさん受けなかったんです。自分は原稿書くのが一番いいかなと思いましてね。編集は面倒臭いな……と(笑)。自分で書くのならば、遊んでいるようなものだと、非常に単純な理由で新聞社に入りました。新聞社は原稿が上手い下手、取材の巧みさもありますが、ほとんどが肉体労働だと思います。とにかく早く情報を出す必要がある。僕は社会部だったんですが、あまり物事を深く考えなかったように思います。そういえば、田原さんを取材したこともありましたね。「お前が番組を終らせたんだ」と言われたことを覚えていますよ(笑)。

田原:NHKからのクレームで番組が中止になったんですよ。

蜷川:田原さんが、かつてテレビ東京でやっていたドキュメンタリーシリーズは本当に素晴らしかった。田原さんの原点がそこにあるのかな……と思っています。僕が新聞記者だった当時はジャーナリズムについて深く考えることがなかった時代でした。新聞全盛の時代です。新聞は時代によって、他のメディアを気にします。民放が登場して面白い番組を作るようになると、誌面でテレビのように面白い記事を書けないか模索する。その次に週刊誌が面白くなると、週刊誌のように書けないかって具合ですね。現在はビジュアル面を強調しようとしています。今はあまりにも他からの影響を受け過ぎて、新聞のあるべき姿を失いつつある気がします。

僕が新聞社をやめたのは10年以上も前ですが、将来的にインターネットが隆盛して、その中でニュースや情報が配信されるだろうと思っていました。ただ当時はまだWindows95の時代でスピードも遅かった。自分が思っていたようには、情報の新時代は来ませんでした。「ジェイ・キャスト・ニュース」を作ったのは2006年ですから、ずいぶんと時間が経ってからです。いま思うと、この辺りが転換期だったと思いますね。2004から2005年くらいからブロードバンド化が進んで、いろいろなことができるようになった。今は重たい動画でもアップ出来ますが、以前は回線が弱かったので制限もありましたし、表現の幅が非常に狭かった。ようやく2005年くらいからユーザーも多くなったし、ネット上の表現に多様性がでてきました。95年当時、yahooの利用者の男女比が7対3だったのが、現在では5対5になっています。ごく普通の人たちにとってネットが近くなった。そんな時代に、やるべきことは、衰えた新聞の受け皿ではなくて、全く違うメディアです。

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