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“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー

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NPO法人「江戸しぐさ」が主催する「わたしの『平成しぐさ・ふるさとしぐさ』コンクール」のチラシ(共同通信社)
NPO法人「江戸しぐさ」が主催する「わたしの『平成しぐさ・ふるさとしぐさ』コンクール」のチラシ(共同通信社) 写真一覧
「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」「うかつ謝り」…。江戸っ子の知恵に基づくマナーとして注目され、公共広告機構(AC)のCMに利用された「江戸しぐさ」をご存じだろうか。江戸時代の歴史に基づいているとされ、道徳教育に適していることから、現在では、企業研修や学校の授業などにも利用されているという。しかし、この「江戸しぐさ」がまったく偽物の歴史だとしたら、どうだろうか。「江戸しぐさ」の内容を歴史的に検証した著書「江戸しぐさの正体」を上梓したばかりの原田実氏に話を聞いた【取材・文:永田 正行(BLOGOS編集部)】

歴史的考証にまったく耐えられない「江戸しぐさ」

―まず最初に「江戸しぐさ」の概略と、今回の検証本を書かれた経緯からお話しいただけますか?

原田実氏(以下、原田): NPO法人「江戸しぐさ」が主張するところによると、「江戸しぐさ」は、「江戸時代の町人文化によって形成された生活哲学、行動哲学」であり、それが200年以上続く江戸時代の平和を守る基本になってきたそうです。

こうした「江戸しぐさ」が本格的に社会に知られるようになったのは、今世紀に入ってからです。「江戸しぐさ」伝承の語り部とされている越川禮子さんが2000年に講談社から出した本(商人道「江戸しぐさ」の知恵袋)がきっかけとなって、様々な学校の校長クラスに働きかけが行われた結果、あちこちの学校の道徳教育に採用され、さらに企業の社員研修などにも使われるようになりました。

そして、2004~5年に公共広告機構(AC)のテレビコマーシャルに採用されることで、一気にメジャーになり、普及していきました。2008年にはNPO法人「江戸しぐさ」という団体が設立され、そこで現在流通している「江戸しぐさ」の内容を管理するようになっています。

私は、ACの広告を見た時から、「これはちょっとおかしいんじゃないか」と思っていました。何故なら「江戸しぐさ」と言いながらも、電車内での席の譲り方などといったものがメインだからです。現代の生活の中でしか通用しない、江戸時代に存在しなかったものを想定したマナーが、歴史的に正しいわけがありません。当時から私と同じことを考えている人がいて、ネットの一部では批判も出ていたのですが、「こんな荒唐無稽なものだから、それほど影響力をもたないだろう」と思っていました。

ところが、調べてみるとNPO法人「江戸しぐさ」が設立されてからは、特に教育方面の世界に非常に大きな影響力を持っていて、TOSS(教育技術法則化運動)のように、「江戸しぐさ」を教材に取り入れて、普及している団体も出てきていた。それで、「いや、これは基本的に江戸時代のものではありえないんだよ」ということを、きちんと誰かが説明しないとマズイだろうということで、本格的に調べ始めたんです。

―今回の著書の中で、原田さんは「『江戸しぐさ本』の中には、『江戸っ子はトマトをよく食べた』というような描写があるが、当時のトマトは観賞用だった」というように一つ一つ「江戸しぐさ」の内容を否定しています。こうした歴史的考証に耐えられない内容にもかかわらず、何故専門家から「江戸しぐさ」に対する批判が出てこなかったのでしょうか?

原田:専門家から見れば、あまりにばかばかしいので、「いちいち反論しようという気もおきない」というのが、正直なところだったのでしょう。ところが、歴史家からの反論がないということで、そこからちょっとずれた業界では、広く受け入れられてしまった。

例えば、学術論文のリストを見てみると、「江戸しぐさ」を扱った論文というのは、教育学や企業経営といったジャンルでは何十本もあります。一方で、歴史学、民俗学、近世文学など、実際の江戸の文化に関わるような専門分野での論文というのは皆無なわけです。

「江戸っ子狩り」という虐殺があったとする荒唐無稽な主張

―「傘かしげ」(狭い道などですれ違う際に、傘を少し倒して相手のためのスペースを作る動き)など、「江戸しぐさ」の代表的なものでも、ちょっとした考証にすら耐えられないのでしょうか?

原田:「傘かしげ」に関しては、和傘と洋傘の構造の違いが一番大きいですね。和傘であれば、かしげるのではなく、すぼめる方が早い。江戸時代においては、傘は大きく広げるよりも、すぼめるように持つのが主流でした。浮世絵などで大きく開いているのは、本当に見栄をきるような、非日常的ポーズとして描かれているからです。実際に歩いている人を描いた当時の絵などを見ると、全部開ききらないように持っている人の方が多い。

また、江戸の家の造りというのは、路地に土間が面していて、大きく外にむけて開いている構造になっているんですよね。その構造のところで、傘かしげをやると、下手をすると、店頭や人の家の台所に水をぶちまけることになってしまう。そういうおかしさが「江戸しぐさ」には所々あるのです。

―NPO法人「江戸しぐさ」は、「江戸しぐさ」に関する文献資料が残っていない理由を、「江戸っ子が明治政府によって虐殺されたからだ」と主張していますが、これも荒唐無稽ですよね。

原田:この本が出た直後に越川さんを招いて合宿を行った団体があり、それに参加した方のブログを見ると、「『江戸しぐさ』が嘘だといっている人がいるらしいけれども、歴史というのは、勝者の歴史から残らないんだ」というようなことを言っていたそうです。

彼らの「虐殺があった、そして虐殺があったことさえ隠蔽されてしまった」という歴史観は、ある種の人たちにとっては、非常に魅力があるわけです。それがなかったら、「江戸しぐさ」が何の記録にも残っていないということを説明できないわけですから。

ですが、江戸というのは、武士にしろ町人にしろ、とにかく書き物を残す人が非常に多かった時代なんです。実際、幕末から明治初期にかけては日記や随筆によって、かなりいろいろなことが復元できる。事実関係が相互に矛盾しているというケースというのは見られますが、そうした記録にまったく残らないものがあったというのは信じられません。

歴史学においては、考古学史料にしても、文献にしても、伝来の経緯は常に追及されます。しかし、「江戸しぐさ」はその追及に耐えないわけです。現代まで伝わってきた経緯そのものが明確な虚偽であるということが最も致命的なんです。つまり、ぐずぐずな土台の上に、立派な建物が建つはずがないんですよ。

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