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【特別寄稿】慰安婦問題の現状と安倍新内閣におけるこれからの対応 - 元外交官・東郷和彦

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日本のマスコミが、慰安婦問題を巡って爆発したかの感がある。8月5日、朝日新聞は見開き4面を使って「慰安婦問題どう伝えたか、読者の疑問に答えます」という大特集を発表した。特に、1982年吉田清治氏が証言した「済州島における強制連行」について「この証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」との公告を行った。慰安婦問題が日韓で取り上げられた初期に、吉田証言が日本軍の慰安婦に対する行動について一定のイメージを形成してきたことは、家永三郎氏の『戦争責任』(1985年)、国連『クワラスミ報告』(1996年)、米下院対日非難決議(2007年)などにおいて、すでに知られた話であった。

しかし、朝日による吉田証言否認の衝撃はその後波紋をひろげ、8月26日高市早苗自民党政調会長は菅官房長官に対し、朝日の一部証言取り消しをふまえ新談話の発出を要請、菅官房長官は、「考えていない」と応じた(8月27日『毎日新聞』)。 ここにジャーナリスト・池上彰氏が朝日のコラム『新聞ななめ読み』で、「過ちがあったなら訂正するのは当然。(中略)過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と記述、いったん朝日がこのままでの掲載を認めないという事態が発生した。一時は、池上氏の連載中止かという事態になったが、結局9月4日、朝日は「池上さんと読者の皆様におわびして、掲載します」との公告とともに、元通りの論評を掲載した。

9月11日木村伊量社長は記者会見の席上で池上問題について「責任を痛感している」と発言。更に、9月12日朝刊の紙面で木村社長より「吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします」と表明し、第三者委員会を立ち上げて事態の再検討を行うことを明らかにした。

以上の事態に対し安倍首相は、9月11日のニッポン放送ラジオ番組で「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」と発言。14日のNHKの番組では「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体が、もっと努力していただく必要がある」「日本兵が人さらいのように慰安婦にしたとの記事が世界中で事実と思われ、非難する碑ができている」「一度できた固定観念を変えることは難しいが、(日韓関係の)関係改善に生かしていくことができればいい」と述べた。
日本中が、また、世界の大勢と異なった方向に流れ始めたのだろうか。慰安婦問題について、2014年、年の初めの状況は、大変だった。2013年12月26日の安倍総理の靖国訪問をうけて、慰安婦問題における河野談話見直しの世論が加速した。27日日本維新の会は年明けに河野談話撤回要求のための署名運動を展開すると報ぜられ、産経新聞は元旦の記事で河野談話の欺瞞性を強く提起した。

この動きは明らかに米国を強く刺激したと思う。東アジアの最大の問題は台頭する中国であると見るアメリカにとって、日韓はこれに対する共同のパートナーである。歴史問題をめぐり深刻化する日韓関係をこれ以上複雑化させることは、許容範囲を超えることになったと思う。

3月12日と13日、斎木昭隆外務次官が韓国を訪問、これを受けた14日の参議院予算委員会で安倍総理は、河野談話について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と述べ、また、「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む。思いは私も歴代首相と変わりはない」と答弁した。これは2007年の3月安倍第一次内閣で「強制性否定発言」で猛烈な安倍批判がアメリカで起きたときに、安倍総理がブッシュ大統領に述べ、事態を鎮静化させた時の発言と同じだった。他方、この日の答弁で、菅官房長官は、「河野談話作成過程の実態を調査することが必要だ」と述べ、ここでその後の動きを規定する非常に重要な方向性が決まったのだと思う。 以上の動きは、直に外交関係の動きとして現われた。2014年3月にハーグで行われたオバマ大統領を間にはさんだ、安倍総理と朴大統領の三者会談は、この慰安婦問題をめぐる日韓の最初の妥協を基礎に行われた。この妥協が、更に、4月のオバマ大統領の訪日・訪韓という日程の形成を可能ならしめたと言ってもよいと思う。この訪問では、オバマ大統領の韓国での慰安婦発言という問題を後に残してしまったが、ともかく問題の過熱化をさけつつ、事態は次の局面に移ったのである。
次の局面は、菅官房長官が約束した河野談話作成の経緯の調査であった。かくて、6月20日「慰安婦問題をめぐる日韓間のやりとりの経緯」という長文の報告書が発表された。

発表された後の外国での受け止めは、芳しくなかった。韓国外務省は、ほぼその直後といってもよいタイミングで、「深い遺憾」の意を表明し、「報告書は、河野談話を見直さないという政府方針に逆行する」「河野談話は日本の独自の調査と判断によってだされたものであり、韓国政府は日本側の度重なる要請により、非公式に意見をつたえたにすぎない」という声明を発表した(6月21日『毎日新聞』)。

6月23日のニューヨークタイムズ紙は、「日本の歴史的めくらまし」という強烈な安倍批判の論説を掲載した。アメリカの友人からは、ワシントンの国務省やホワイトハウスの雰囲気も、概ね同じだという情報が入った。筆者は、この論説に対する反論を同紙のop.ed.欄に投稿したが、採用されなかった(注:その後、反論の趣旨を、オーストラリア国立大学の『東アジアフォーラム』特別号に投稿し、まもなく出版となる予定である)。

しかしながら、である。東京における事態は意外な方向に展開した。先ず、報告書自体、談話形成の過程で、慰安婦に対する狭義の強制性(首根っこを掴んでトラックに乗せて拉致していくような行為)を認めたような箇所はでてこなかった。韓国政府の役割についても、少なくとも筆者がこの記録を読む限り、良心的に仕事をする外交官なら当たり前のことをしていたに過ぎないし、これを聞いていた日本側が、談話の責任をいささかなりとも韓国側に押し付けるものでないことも、また明らかなことと理解された。 更に談話が発表された直後に、談話の当事者の河野洋平氏が、「(検証結果の)報告書に私が足すべきものも引くべきものもない。正しくすべて書かれている」(6月22日『毎日新聞』)と、いわば報告書の内容を追認する声明をだした。ここに、まったく予想されていない事態、河野談話が、その支持者のみならず、その批判者によってもそれなりに支持され、日本における立場が強まったという事態が起きたのである。
ようやくここまで来たのである。朝日新聞の検証報道の意図が、過去における「虚偽報道」を検証し、新聞としてのけじめと反省を明らかにしようとする意図に発することを、疑う理由はないと私は思う。けれども、この「虚偽報道」の否定を通じて、日本の世論が、いわゆる「狭義の強制性はなかった」という点に雪崩を打ち始めたのだろうか。

この点については、世界の大勢は、狭義の強制性があるかないかについて、ほとんど関心がないという点につきる。アメリカ世論の決定項は、今自分の娘がそういう立場に立たされたらどう考えるか、そして「甘言をもって」つまり「騙されて」連れてこられた人がいたなら、それとトラックにぶち込まれた人と、どこが違うのかという立場に収斂している(詳細は、拙著『歴史と外交』(講談社現代新書、2008年、92ページ)、『歴史認識を問い直す』(角川ワンテーマ21、2013年、163~166ページ)参照)。

従って、朝日新聞の吉田証言否定は、世界の大勢に対して、ほとんど意味をもたない。ましてや、吉田証言については、この問題について日本でもっとも権威を持って研究してきた秦郁彦氏と吉見義明氏との間で、すでに1997年に「強制連行を示す資料はなかった」との結論がでている、言わば決着済みの問題である(前掲拙著『歴史と外交』81ページ)。20年近く昔に専門家の間で決着した問題についていま大報道をしても、事態の本質に与える影響はわずかであろう。特に韓国との関係では、本件は、日本内部のマスコミの問題であり、大きな意味を付与させることは難しいと思われる。

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