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お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事

「ああ、またか」。失礼ながら、それが正直な感想である。今週、私は取材先の台湾からやっと帰ってきた。私が日本を留守にしている間、朝日新聞が「吉田調書」なるものを“加工”し、「福島第一原発(1F)の現場の人間の9割が所長命令に違反して撤退した」という記事を掲げ、そのキャンペーンが今も続いている。

「ああ、またか」というのは、ほかでもない。ある「一定の目的」のために、事実を捻じ曲げて報道する、かの「従軍慰安婦報道」とまったく同じことがまたおこなわれている、という意味である。私は帰国後、当該の記事を目の当たりにして正直、溜息しか出てこないでいる。

故・吉田昌郎氏は、あの1号機から6号機までの6つの原子炉を預かる福島第一原発の所長だった。昼も夜もなく、免震重要棟の緊急時対策室の席に座り続け、東電本店とやりあい、現場への指示を出しつづけた。

東電本店のとんでもない命令を拒否して、部下を鼓舞(こぶ)して事故と闘った人物である。体力、知力、そして胆力を含め、あらゆる“人間力”を発揮して「日本を土壇場で救った一人」と言えるだろう。

昨年7月に癌で亡くなった吉田氏は、生前、政府事故調の長時間の聴取に応じていた。今回、朝日が報じたのは、28時間ほどの聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」の中身だそうである。

私は吉田さんの生前、ジャーナリストとして唯一、直接、長時間にわたってインタビューをさせてもらっている。私がインタビューしたのは、吉田所長だけではない。

当時の菅直人首相や池田元久・原子力災害現地対策本部長(経産副大臣)をはじめとする政府サイドの人々、また研究者として事故対策にかかわった班目春樹・原子力安全委員会委員長、あるいは吉田さんの部下だった現場のプラントエンジニア、また協力企業の面々、さらには、地元記者や元町長に至るまで、100名近い人々にすべて「実名」で証言していただいた。

私がこだわったのは、吉田さんを含め、全員に「実名証言」してもらうことだった。そして、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』が誕生した。

私は、吉田氏に直接取材した人間として、さらには100名近い関係者から実名証言を得た人間として、朝日新聞が「所長命令に違反」して9割の人間が「撤退した」と書いているのは「誤報」である、ということを言わせていただきたい。

今回、自分の意図に反して貶(おとし)められた故・吉田昌郎さんとご遺族の思いを想像すると、本当に胸が痛む。この意図的な捻じ曲げ記事に対するご遺族の心痛、精神的な打撃は大きく、今後、なにがしかのリアクションが朝日新聞に対して起こされる可能性もあるのではないか、と想像する。

朝日の巧妙な捻じ曲げの手法は後述するが、今回、朝日の記事で「9割の人間が逃げた」とされる「2011年3月15日朝」というのは、拙著『死の淵を見た男』の中でも、メインとなる凄まじい場面である(拙著 第17章 266頁~278頁)。

震災から5日目を迎えたその2011年3月15日朝は、日本にとって“最大の危機”を迎えた時だった。その時、免震構造だけでなく、放射能の汚染をできるだけシャットアウトできる機能も備えた免震重要棟には、およそ「700名」の所員や協力企業の人たちがいた。

朝日新聞は、その700名の「9割」が「所長命令」に「違反」して、原発から「撤退した」と書いている。そう吉田氏が調書で証言しているというのである。

だが、肝心の記事を読んでも、所員が「自分の命令に違反」して「撤退した」とは、吉田氏は発言していない。それが「意図的な」「事実の捻じ曲げ」と、私が言う所以だ。

これを理解するためには、あの時、一体、なぜ700名もの人が免震重要棟にいたのか。そのことをまず理解しなければならない。

震災から5日も経ったこの日の朝、700名もの職員や協力企業の人たちが免震重要棟にいたのは、そこが福島第一原発の中で最も“安全”だったからである。

事態が刻々と悪化していく中で、とるものもとりあえず免震重要棟に避難してきた所員や協力企業の面々は、「外部への脱出」の機会を失っていく。時間が経つごとに事態が悪化し、放射線量が増加し、汚染が広がっていったからだ。

免震重要棟にいた700名には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も数多く、女性社員も少なくなかった。彼らをどう脱出させるか――吉田所長はそのことに頭を悩ませた。

700名もの人間がとる食事の量や、水も流れない中での排泄物の処理……等々、免震重要棟がどんな悲惨な状態であったかは、誰しも容易に想像がつくだろう。

事故対応ではない「非戦闘員」たち、特に女性職員たちだけでも早くここから退避させたい。トップである吉田さんはそう思いながら、広がる汚染の中で絶望的な闘いを余儀なくされていた。

震災が起こった翌12日には1号機が水素爆発し、14日にも3号機が爆発。その間も、人々を弄ぶかのように各原子炉の水位計や圧力計が異常な数値を示したり、また放射線量も上がったり、下がったりを繰り返した。

外部への脱出の機会が失われていく中、吉田所長の指示の下、現場の不眠不休の闘いが継続された。プラントエンジニアたちは汚染された原子炉建屋に突入を繰り返し、またほかの所員たちは原子炉への海水注入に挑んだ。

そして、2号機の状態が悪化し、3月15日朝、「最悪の事態を迎える」のである。5日目に入ったこの日、睡眠もとらずに頑張って来た吉田所長は体力の限界を迎えていた。いかにそれが過酷な闘いだったかは、拙著で詳述しているのでここでは触れない。

最後まで所内に留まって注水作業を継続してもらう仲間、すなわち「一緒に死んでくれる人間」を吉田さんが頭に思い浮かべて一人一人選んでいくシーン(拙著 第15章 252頁~254頁)は、吉田氏の話の中でも、最も印象に残っている。

午前6時過ぎ、ついに大きな衝撃音と共に2号機の圧力抑制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった。「サプチャンに穴が空いたのか」。多くのプラントエンジニアはそう思ったという。恐れていた事態が現実になったと思った時、吉田所長は「各班は、最少人数を残して退避!」と叫んでいる。

たとえ外の大気が「汚染」されていたとしても、ついに免震重要棟からも脱出させないといけない「時」が来たのである。「最少人数を残して退避!」という吉田所長の命令を各人がどう捉え、何を思ったか、私は拙著の中で詳しく書かせてもらった。

今回、この時のことを朝日新聞は、1面トップで「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一 所員の9割」と報じ、2面にも「葬られた命令違反」という特大の活字が躍った。要するに、700名の所員たちの9割が「吉田所長の命令に違反して、現場から福島第二(2F)に逃げた」というのだ。

吉田所長の命令に「従って」、福島第二に9割の人間が「退避した」というのなら、わかる。しかし、朝日新聞は、これを全く「逆に」報じたのである。記事の根拠は、その吉田調書なるものに、吉田氏がこう証言しているからだそうだ。

「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。(中略)

いま、2号機爆発があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれとうつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。

それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

吉田調書の中の以上の部分が「吉田所長の命令に違反して、現場から逃げた」という根拠なのである。しかし、この発言をみればわかるように、吉田所長は「2F」、すなわち福島第二に「行ってはいけない」とは全く言っていない。むしろ、その方がよかった、と述べている。

これのどこが「吉田所長の命令に違反して、現場から退避した」ことになるのだろうか。サプチャンが破壊されたかもしれない場面で、逆に、総務、人事、広報、あるいは女性職員など、多くの“非戦闘員”たちを免震重要棟以外の福島第一の所内の別の場所に「行け」と命令したのだとしたら、その方が私は驚愕する。

サプチャンが破壊されたかもしれない事態では、すでに1Fには「安全な場所」などなくなっている。だからこそ放射能汚染の中でも吉田氏は彼らを免震重要棟から「避難させたかった」のである。

つまり、記事は「所内の別の場所に退避」を命じた吉田所長の意向に反して「逃げたんだ」と読者を誘導し、印象づけようとする目的のものなのである。

朝日の記事は、今度は地の文で解説を加え、「吉田所長は午前6時42分に命令を下した。“構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう”」と、書いている。

今度は、なぜ調書の吉田証言を「直接引用」をしないのだろうか。ひょっとして、そうは吉田所長が語っていないのを、朝日新聞の記者が“想像で”吉田氏の発言を書いたのだろうか。

この一連の朝日の記事の中には、実質的な作業をおこなったのは「協力企業の人たち」という印象を植えつける部分がいくつも登場する。しかし、これも事実とは違う。放射能汚染がつづく中、協力企業の人たちは吉田所長の方針によって「退避」しており、作業はあくまで直接、福島第一(1F)の人間によっておこなわれているのである。

吉田氏は、「いかに現場の人間が凄まじい闘いを展開したか」「部下たちはいかに立派だったか」を語っているはずだ。しかし、朝日新聞にかかれば、それとはまったく「逆」、すなわち部下たちを貶める内容の記事となるのである。

私はこの報じ方は本当に恐ろしい、と思う。一定の目的をもって、事実を「逆」に報じるからである。吉田氏は、政府事故調による28時間もの聴取に応じたことを生前、懸念していた。自分の勘違いによって「事実と違うことを証言したかもしれない」と危惧し、この調書に対して上申書を提出している。そこには、こう記されている。

「自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げましたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、様々な事象に立て続けに対処せざるを得なかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認してお話している部分もあるのではないかと思います」

そして、話の内容のすべてが、「あたかも事実であったかのようにして一人歩き」しないかどうかを懸念し、第三者への「公表」を強く拒絶したのだ。昼であるか夜であるかもわからない、あの過酷な状況の中で、吉田氏は記憶違いや勘違いがあることを自覚し、そのことを憂慮していたのである。

その吉田氏本人の意向を無視し、言葉尻を捉え、まったく「逆」の結論に導く記事が登場したわけである。私は、従軍慰安婦問題でも、「強制連行」と「女子挺身隊」という歴史的な誤報を犯して、日韓関係を破壊した同紙のあり方をどうしても思い起こしてしまう。

「意図的に捻じ曲げられた」報道で、故・吉田昌郎氏が抱いていた「懸念」と「憂慮」はまさに現実のものとなった。記憶の整理ができないまま聴取に応じたため、「公表」を頑なに拒否した吉田氏の思いは、かくして完全に「踏みにじられた」のである。

私のインタビューに対して、吉田氏は事故の規模を「チェルノブイリ事故の10倍に至る可能性が高かった」と、しみじみと語ってくれた。そして、それを阻止するために、部下たちがいかに「命」をかけて踏ん張ったかを滔々と語ってくれた。しかし、朝日の記事には、そんな事実はいっさい存在しない。

最悪の事態の中で踏ん張り、そして自分の役割を終えて私たちの前から足早に去っていった吉田氏。そんな人物を「貶める」ことに血道をあげるジャーナリズムの存在が、私には不思議でならないのである。

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