記事

「切り抜きジャック」 は「切り裂きジャック」と同罪だ

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.324 9 Apr 2014
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

東京、横浜の公立図書館や書店で「アンネの日記」と、同書に関連する図書約300冊が破損された事件は、3月中旬に犯人が逮捕された。新聞によると犯人は「著者はアンネ・フランクではないから破いた」など、意味不明のことを言っているらしい。

ともかく、犯行動機に複雑な政治的背景はないようでひと安心している。1月下旬に事件がマスコミで大きく報道されるようになってから犯人逮捕まで2か月近くかかった。図書館には、防犯カメラが設置されているだろうし、本の検索、貸し出しには相応の手続きが必要だ。常識的に考えれば、犯人はすぐに見つかると思っていた。

しかし、犯人逮捕までの時間は予想以上に長かった。その間、私が描いた犯人像は、昨年夏3年ぶりに再開した中東和平交渉を快く思わない一派。次はネオナチ思想にかぶれた愚か者。最後はナチの亡霊が日本国内に彷徨っている印象を世界に与え、日本の印象を悪くしようと企てる人たちだ。3月末、「核安全サミット」のためにオランダを訪れた安倍総理が、わざわざアムステルダムの「アンネ・フランクの家」を訪れたのは、この事件が反日宣伝に悪用されるのを恐れたためだろう。

私は新聞記者時代"ドタ勘"と先輩たちにからかわれ、昭和の名刑事、平塚八兵衛氏のような鋭い事件勘が働かなかった。年齢を重ねても相変わらずの"ドタ勘"のようで、今回も私の犯人捜しは見事に外れたが、外れて良かったような気もしている。

図書を毀損するという蛮行で思い出すのは、「日本外国人特派員協会(FCCJ)」が設立50周年を記念して刊行した年代記「Foreign Correspondents In Japan(在日外国特派員-激動の半世紀を報道して 1945年から1995年まで)」の1980年の項にあるユーモア溢れる文章だ。「切り抜きジャック」という見出しの一節は「秋に入ってクラブはエスカレートしつつある問題に取り組むことになった。それは図書室から本や雑誌が盗まれ、夜間に新聞がひそかに切り抜かれる事件である。『切り抜きジャック(Jack The Clipper)』は誰ですか。そのカミソリの刃を捨てなさい(要約)」というものだ。

Jack The Clipperは、19世紀末、ロンドン市民を恐怖の坩堝(るつぼ)に巻き込んだ連続売春婦殺し「切り裂きジャック(Jack The Ripper)」をもじったものだ。切り裂きジャック事件は、世界史に残る凶悪事件であり、100年以上たった今でも知る人は多い。新聞を切り抜く不心得者を非難しながらも、RipperをClipperに置き換えて、反省を促す外国人特派員のウィットに富んだ一文が印象的だった。

私は自分の人生の大半を新聞ジャーナリストとして過ごしてきたので、印刷物には特別の思いを持っている。「新聞は1日たてば、ただのゴミ」などとも言われるが、その記事を書くために心血を注いだ記者たちの苦労を思うと、いつまでたってもゴミには見えない。もちろん、これは個人的な価値観であり、同じことを他人に強要する気はないが、最近の日本人の印刷物を粗末に扱う傾向には、いささかの不満がある。

日本は古くから高い教育レベルを誇り、何世紀にもわたって文学や学術書の出版を続けるなどハイレベルの文字文化を育んできた。今もよほど高価な専門書でない限り、誰もが読みたい本を手にすることができる恵まれた社会だ。しかし、あまりに容易に出版物が手に入ることから、本に有難味を感じなくなっている。さらに、デジタル時代になって紙の印刷物による面倒なコミュニケーションは敬遠されるようになった。書物は置き場所ばかり取る厄介者となり、読み終わると捨ててしまう人も多い。

話は変わるが、アフリカやアジアの後発途上国の小学校を訪問したおり、黄色く変色して今にもちぎれそうなボロボロの教科書を、数人で回し読みしている授業風景を見た方も多いだろう。7,8年前、私もカンボジア中部農村部の小学校で、四辺が破れて丸くなった薄い教科書を、大切そうにカバンに仕舞って帰宅する児童の姿を見たことがある。担任の先生は、4人の兄弟が5年ほど同じ教科書を使っていると言っていた。それでも、教科書を持っている子は恵まれた方だ。家に帰ったら一冊の教科書もない児童もたくさんいる。こうした国々の子どもにとって、本はボロボロでも宝物だ。

途上国の子どもたちに思いを馳せれば、誰もが書物をおろそかにする気になれないはずだ。しかしながら、現代日本人の書物軽視の性行は簡単には直りそうもない。日本人が印字出版物を粗末に扱っている証拠の一つに、紙の消費量の多さがある。段ボールなどに使用される厚手の工業用紙は別にして、書籍に使う薄手の紙の年間消費量は、中国、アメリカに次いで世界3位(資料:Annual Review of Global Pulps and Paper Statistics 2012)だ。さらに、同年の1人あたりの消費量を比較すると、中国の約4倍となり、日本だけで全アフリカの薄紙消費量の約2倍も使っていることをこの資料は示している。

書物を捨てるだけでなく、切り抜く行為も書籍軽視の証左だ。今回のアンネ事件とは別だが、スマホを使えば簡単にページを写し撮れる時代になっても、各地の図書館で本が切り取られる被害が絶えないという。いかなる理由があるにせよ、本を毀損する行為は絶対に許せない。

「切り裂きジャック」は、残忍な手口で20人の女性を殺した。出版物を不法に切り抜く行為は、書籍の命を切り取るのと同じ悪事だということを忘れてはならない。

あわせて読みたい

「アンネの日記」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    迷走続ける立民 最低の支持率に

    WEB第三文明

  2. 2

    石破氏との討論拒否する安倍首相

    猪野 亨

  3. 3

    政治には期待薄な満員電車の解消

    LM-7

  4. 4

    安倍首相 皇太子さまの人脈懸念?

    NEWSポストセブン

  5. 5

    若者の性交離れ 女子に顕著傾向

    NEWSポストセブン

  6. 6

    左翼に理解も 若き愛国者の訴え

    AbemaTIMES

  7. 7

    税金垂れ流しJR北海道は合併せよ

    中田宏

  8. 8

    夏時間の推進派を沈黙させる一文

    早川忠孝

  9. 9

    よしのり氏 2歳児発見の男性凄い

    小林よしのり

  10. 10

    サマータイムは試算出したら終了

    永江一石

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。