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伊藤博文と日韓併合

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)ニューズウィークの記事のおまけ。伊藤博文と朝鮮の関係については、テロリストの記念碑を建てようとする愚かな大統領は論外として、日本でも「伊藤は日韓併合に反対した」とか「暗殺事件が併合の引き金になった」とかいう話があるが、それも間違いである。

そもそも憲法を制定して初代の首相をつとめた伊藤のような「大物」が、問題ばかり多くてメリットのない韓国統監などという仕事を引き受けたのが奇妙である。1906年当時は、まだ国内でも立憲政友会を立ち上げたばかりで、山県有朋との権力闘争もあり、朝鮮などに行く状況ではなかったはずだ。

著者は、伊藤のねらいは「憲法改革」にあったという。藩閥政治の妥協によってできた明治憲法は、天皇と内閣の二元支配で分裂した統治機構を抱えていた。特に「天皇の軍隊」と自負する軍の自律性が強まり、それを基盤とする山県は二元支配を守ろうとした。これに対して伊藤は帝室制度調査局を創設し、憲法改正をはかる。

伊藤が改革のモデルケースとしたのが朝鮮だった。彼は文官でありながら軍を統括する統監に就任し、西洋でも中国でも当たり前の文民統制を初めて実行したのだ。これは現地軍の反発をまねき、日韓併合論が盛り上がったため、伊藤はハーグ密使事件をきっかけに大韓帝国の皇帝、高宗を退位させ、韓国の軍隊も解散して、1907年の第3次日韓協約で実質的に韓国を併合した。1910年の条約はそれを追認しただけだ。

これが抗日闘争の激化をまねいて暗殺事件に至るのだが、伊藤の真意は朝鮮半島の経営ではなく、朝鮮を足場にして満州侵略をねらう日本軍の阻止だった、というのが著者の見立てである。このため伊藤はロシアと和平を結び、国境を画定した。これによって軍は朝鮮半島に釘付けにされ、満州に出て行くまでにあと20年かかった。

伊藤が慎重派だったことは間違いないが、それは朝鮮のことを思ってではなかった。彼の最大の関心は、政府のコントロールを離れて膨張し始めた軍と、それを基盤として日本を実質的な軍政に変えようとしていた山県との闘いだった。政党政治を軽蔑していた山県は、軍と官僚機構を掌握して国内の実権を握った。

これに対する伊藤の憲法改革は「机上の空論」と批判され、何も成果を出さないまま、彼の暗殺で終わった。そして山県の非公式の支配による「官治国家」が、その後の日本の針路を決め、軍をコントロールできない明治憲法の致命的な欠陥が、日本を運命的な戦争に引きずり込む…

安重根を称える韓国人ばかりでなく、日本人にも伊藤が不慮の死をとげた意味は理解されていない。暗殺は膨張主義をコントロールしようとした彼を挫折させ、改革を断ち切ったのだ。その後の朝鮮統治や「満州国」の大失敗も、伊藤の路線を継承する政治家が出ていれば防げたかもしれない。それは日本にとっても韓国にとっても大きな悲劇だった。

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