山口揚平さんと先日お話しをしてきた。山口さんはその日、「三層レイヤー理論」について語ってくれた。「今、社会において、三つの異なるレイヤーが生まれつつあるのではないかと考えている。<国家、グローバル企業、SNSを介して繋がる個人>、人それぞれによって、その三層に属している割合が異なる。そしてその所属割合の違いによって「見ている世界が違うのではないか?」ここでの所属割合は「精神的に」という形容詞をつけるとさらにわかりやすくなるだろう。今から非常に極端な例を以下に紹介します。
【グローバル人材】<1.8.1>
たとえば、Aさんは、東京大学を卒業し某外資投資銀行に勤務、リンクトインにも登録しており、「来年はシンガポールに本社機能をもつ、グロバール企業で働かないか?」というリクルートを受けている。ただし、業務柄、実名でブログを書いて意見を発表などは行っていない。SNSもリンクトインぐらいしか使っていない。ツイッターなどを使う時間的余裕もあまりないからでもある。毎日、超競争が激しいグローバル人材市場の中で自らの価値を上げるための勉強に余念がなく、「インド人に負けてたまるか。」が合い言葉である。
【digital nomad】<1.0.9>
たとえば、Bさんは、ウェブ上に自らのコミュニティを創造している。毎年、違う国に住みながら、仕事をしたり、情報発信を行っている。ウェブ上のコミュニティの参加メンバーから会員料が支払われる仕組みをすでに構築しており、オンライン上で生計を立てる方法を確立してる。また、オンライン上に蓄積した自身の信頼を通貨にして積極的な物々交換なども行っている、どこに住んでいるか?いつ仕事をするか?まったく拘束されることはない。しかし、有り余る自由時間を持て余し、精神不安定になるのもイヤなので、今滞在している国の地元企業で働くこともある。移動し続けることをアイデンティティの拠り所とし、不安定を楽しんでいる。「次はどこに移動しようかな」が合い言葉である。
【国内中小企業勤務】<9.0.1>
たとえば、Cさんは地元の大学を卒業し、地元の中小企業に就職した。国内市場に向けた商品を販売している会社で、毎年売り上げは下がっている。mixiで、友人との交流を行うが、ツイッターやブログを通して、友人以外の人々と繋がろうとする意志はない。最近飲食店を訪れる度に増加していると感じる、中国人、韓国人、に「自分たちの職が奪われるのではないか?」と危機感を覚えることもある。海外への恐怖心があり、日本でこのまま一生過ごして行きたいと思う。「そろそろ結婚したいけど自分1人で妻子を養えないしな。」が合い言葉である。
極端な例を示したが、自らのアイデンティティの拠り所となる場所が変われば、見ている世界観が変わるのは当然である。そして本日示した3つの、それぞれにおいて、生きる戦略そのものが異なるというのは言わずもがなである。
「将来どうなると思いますか?」この問いに明確なビジョンをもって答えることができる人を私は知らない。だからこそ私たちは自分で考えて「選択」を繰り返して行くしかない。今、「自分の頭で考える」という思考力をもつことは、生きるための必要条件だ。しかし、それが余りにもしんどい作業であることから、わかりやすい「モデル」にしがみつく、オピニオンリーダーの意見を妄信的に信じる人々、もいたりする。そしてそれらを「バカ」だと笑うことなんて許されない。「自分の頭で考えている」そう言う私たちだって、あまりにもその「脱定」さに、耐えられなくなり、いつか「バカ」だと笑っていた人々のようになってしまうかもわからないのだから。
「選択し続ける」落ち着く暇もない困難さが伴う。これを楽しめる人はそんなに多くない。しかし、それでも楽しもうとした人々の中から、何個からのロールモデルが生まれてくるのだろう。そしてそのそれぞれになるための、「リテラシー」は異なる。同じ大学を卒業したはずだけど、10年後には「生きている世界」がまったく違う。少し寂しいような気もする。でもそれだけ、多様な生き方が可能になったのだとプラスに捉えようとしてきた。今必要とされるのは、未来を洞察し続ける意志であり、それを楽しむユーモアであると私は思うのだけどね!(まだまだ続くw)
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