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自己表現は人を<癒す>のか? ―― 「大変な社会」を生きるために

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人は自己表現しながら生きている。それでは、人は自己表現しなければ生きていけないのか? 自己表現は人にとってどれだけの意味があるのか。精神科病院・平川病院のなかで営まれている<造形教室>では、「心の病」を抱えたひとびとが、アートを通じた自己表現によって自らを<癒し>、自らを支えている。『生きていく絵』(亜紀書房)は、文学研究者の荒井裕樹氏が<造形教室>への取材を通じて考えた自己表現の意味や可能性を考えまとめた本だ。自己表現は人を〈癒す〉ことができるのか、そして社会にとってどんな意味があるのか、お話を伺った(聞き手・構成/金子昂)

さりげなく、やわらかな空気が流れる場所

―― 最初に、『生きていく絵』はどんな本なのかお話ください。

簡単に説明すると、東京都内の精神科病院・平川病院のなかで活動している〈造形教室〉を取材した本です。心を病む人たちのアートを通じた自己表現にはどのような意味や可能性があるのかを考えました。

―― その〈造形教室〉ではどんなことが行われているのですか?

心を病む人たちのアートと聞くと、多くの人は「アートセラピー」とか「作業療法」といったものを思い浮かべると思います。でも、そこの〈造形教室〉は、それらとはちょっと違う独特の試みがなされているんですね。

普通、「アートセラピー」や「作業療法」というのは、治療やリハビリを目的として行われます。そのため、精神科医・臨床心理士・作業療法士といった資格をもつ医療者が、患者さんたちの活動を指導したり、サポートしたり、場合によっては管理したりしています。

でも、この本でとりあげた〈造形教室〉には、そういった医療者がいないんですね。もちろんまったく無関係というわけではないのですが、適度な距離感を保っている。それで基本的には、この場を居場所に選んだ人たちが自由な時間にやってきて、それぞれが自分のペースで自由に絵を描いている。医療施設のなかにこういった場があるというのは、実はとても珍しいことなんです。

いままで何度も「本の舞台になっている〈造形教室〉ってどんなところですか?」っていう質問をいただいてきたのですが、答えるのがすごく難しいんですよね……編集を担当してくれた柳瀬さんも一緒に行ったことがあるのですが……。

柳瀬 時間の流れが独特でした。みなさん淡々と作業をされていて、どんどんと作品ができあがっていく人もいれば、ひとつの作品に何年もの時間をかけている人もいる。学校や職場で共同作業をするときは、漠然とみんなで同じ時間の流れのなかで働いていると思っている人がほとんどなのではないかと思いますが、〈造形教室〉ではひとりひとりがそれぞれの時間のなかで絵を描いているように映りました。

荒井 ぼくがなぜ〈造形教室〉に通ったかというと、そこの空気感がいいなぁと思ったからです。さりげなく、やわらかな空気が流れている。精神科病院のなかですから、みなさん何らかの「心の病」をもっています。大変な境遇のなかを生きのびてきた人も多いし、いま現在もつらく苦しい生活を強いられている人もいる。〈造形教室〉はそういった人たちを「支援」したり「サポート」する場所ではなく、なんとなく「一緒にいる」場所だといえるかもしれません。さりげなく、やわらかな気持ちで一緒にいることが、人を励まし、支えることができる。それがとても不思議でした。

OL_生きていく絵_カバー


人生の肯定的な意味を掘り下げる

―― 本書の中に、造形教室は「治す」ではなく<癒す>を目的としていると書いていました。どういうことなのかお話いただけますか?

病気になったら誰でも「治す」ことを考えますよね。「治す」というのは、医療者が患者に薬を処方したり、外科的な処置をしたりして、病気の原因や症状を取り除くことです。それはそれで必要なことだというのをお断りしたうえで付け加えると、「心の病」を「治す」というのは少し話が複雑になるんです。

「心の病が治る」というと、幻覚や妄想がなくなったり、抑うつ感が改善したり、といった状態をイメージすると思います。いまは精神薬も発達していますから、そういった症状を抑えながら社会生活をおくっている人もたくさんいます。でも、だからといって「心の病が治った」とは言い切れない部分があるんですね。

あたり前のことですが、「心を病む人」というのは、自分で勝手に苦しんでいるわけではないんです。家族や職場や学校といった生活の根幹に関わる人間関係に、自分の力ではどうすることもできない問題を抱えている場合が多い。そういった人間関係で生じる負の圧力が、弱い立場に置かれている人や、優しい気づかいをしなければならない役割を押し付けられている人に集中していて、それが個人の身体を通じて噴出していると考えたくなることがあります。そうすると、投薬や入院といった医療的な処置で症状を抑えることができたとしても、あいかわらず当人を取り巻く環境が生きにくいものだったとしたら、それは果たして「治った」と言い切っていいのか、判断が難しいですよね。

それから、「治す」というと、「悪い部分を除去する」というイメージがありますよね。内科的な疾患だと「悪い部分」というのは分かりやすんですけど、「心の病」の場合は難しい。「心」って漠然としていてよくわからない。でも「自分という存在の根幹に関わるもの」っていうイメージです。そうすると、「心の病を治す」という場合、自分のなかに「取り去るべき悪い部分」があるということになり、多かれ少なかれ自己否定の意味合いが含まれてしまいます。

「心の病」をもつ人たちには、ずっと人から否定され続けてきて、もうこれ以上否定しようがないというくらいの自己否定感を抱えている人が多い。だとしたら、「治す」ために自分を否定するということになってしまったら元も子もない。

〈造形教室〉の人たちのいう〈癒す〉というのは、「治す」とは違うようです。過酷な環境を生きなければならない人が、時々、痛いところを手でさすって温めてみたり、苦しい時に「苦しい」と口にしてほっと一息ついてみたり、というイメージですね。痛いし苦しいんだけれど、そんななかでも「生きている」という事実をひとまずは肯定しよう。そういったことを、アートという形で実践している人たちです。

〈癒し〉というのは、現場の実践からしぼり出された「生きていく知恵」みたいなものですね。病気が治らなくても、苦しい状況にあっても、症状が残っていても、その人の人生の肯定的な意味を掘り下げていくための実践です。医療や福祉が支えきれない部分を自分たちで何とかしようとする試みでもあります。

そもそも、ある限られた条件に合致した人でなければ自分を肯定できない、というのも変な話です。以前シノドスにも書いたことですが、その「条件」みたいなもののハードルが、この数年で高くなってきているように思います(生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会)。こんな時代を生きていかなきゃいけない私たちは、自分のことを肯定的に捉えられる価値観を少しでも多く持っていた方がいいんじゃないかと思うんです。少なくとも、自分を否定せずに済むような価値観のやわらかさは持っていたい。

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