菅首相は典型的な「マジメ型」の日本人である。「マジメにやっているのに報われない……」という「マジメ型」日本人のボヤキによって政権交代が実現した先には、総理大臣自身がボヤキで常に受け身という現代ニッポンの「惰性」を体現することになった。
臨時国会閉会を受けて、菅首相が「マジメ」をアピールしている。
「『APECの前にはG20があり、その前の3日間は7時間、7時間、6時間の国会質疑があって、朝5時起きでやった』と強調。厳しい日程をこなす中、実績アピールの余裕がなかったと説明した。『冷静にみていただければ、(実績は)まだたくさんある。歴代の政権ができなかったこともやっているが、伝える暇がなかった』とも述べた」(
日刊スポーツ
)
菅政権では、仕事の結果ではなく、「マジメ」をアピールする閣僚が目立つ。それも、仕事の過程ですらなく、単に本人の「忙しさ」とか「大変さ」といった点を強調する。菅首相は「朝5時起きでやった」とアピールした。先日は、仙谷氏も
「朝の7時から夜の11時までしっかりやっている」
と努力をアピールしている。
そこでふと思い出したのが、リストラ候補となった中高年サラリーマンのエピソードだ。「このままではリストラだ。結果を出せ」と言われた彼は、何を思ったのか、次の日から朝一番で出社するようになり、デスクの掃除や花の水やりなどをするようになった。ただし、仕事の能率が上がったり、仕事上で何か新しいことにチャレンジするようになったわけではない。
「結果を出せ」と言われたのに、なぜか仕事とは直接関係ない「マジメ」をアピールする――これは意外に、現代ニッポンで「美徳」として蔓延しているように思われる。仕事で結果を出すよりも、組織への忠誠心を「マジメ」という形で強調することで評価してもらおうという魂胆がそこにはある。加えて、「自分はマジメに生きているのだから、非難される覚えはない」というように、仕事上の評価問題を道徳的な評価問題にすり替えていく。マジメが美徳なのは誰も否定しないが、「マジメ」を自己弁護に使うのは間違っている。
代表的なのが公務員の自意識だ。利用者からしてみれば、公務員の仕事には不満があり、だからこそ公務員人件費の削減(減給、民営化)ということが言われる。しかし、当の公務員にしてみれば、「毎朝ちゃんと出勤して、言われた通りのことをちゃんとして、マジメにやっているのに、どうして非難されなければならないのか」と納得できない。そこには評価基準の決定的なズレが存在する。
政権交代の原動力になったのは、このような「マジメ型」日本人の群れである。彼らにとって、仕事とは「毎朝ちゃんと出勤する」とか「言われた通りのことをちゃんとする」という以上のことではないから、「不況でリストラ」とか「年功賃金・定期昇給の崩壊」とか「既得権・ベネフィットの消失」ということが理解できない。「マジメにやっているのにリストラされた」「マジメにやっているのに給料が上がらない」「マジメにやっているのにベネフィットが消えた」と、不満タラタラである。
一方、業績を伸ばしたり、給料が上がったりしている他人を見ると、「マジメ型」日本人としてはどうにも許せなくなる。「自分はマジメにやっているのに報われない。しかし、あいつらは報われている。きっと、ズルイことをやっているに違いない。こんな世の中は間違っている」と考える。世の成功者は、凡人以上にそれこそマジメに忙しく働いている人がほとんどだが、「マジメ型」日本人は自分の「マジメ」しか見えないので、嫉妬心だけがたまっていく。
それをうまく煽ったのが民主党だった。まだまだ規制が多くて社民主義的な要素が色濃い日本型市場経済を「新自由主義」と批判し、「マジメにさえしていれば報われますよ」とバラマキ・既得権護持政策を謳った。そうして、怒れる「マジメ型」日本人が投票所に向かい、政権交代は果たされたのである。
興味深いことに、民主党の政治家たちも、単なる政治的ポーズではなく、本人が「マジメ型」日本人であるケースが多いように思う。しかも、より強烈な「マジメ型」なので、「マジメにやっている自分が報われないのは闇の組織の陰謀だ」と、陰謀論に走りがちだ。プライドをこじらせている人が民主党に多く見られるのは、彼らが強烈な「マジメ型」だからだろう。
民主党の陰謀論気質については、
「陰謀論にハマる権力者ほど危険なものはない」
に書いたことがあるのでご覧いただきたい。同時多発テロ陰謀論から永田メール事件、検察陰謀論、郵政民営化陰謀論まで、民主党は陰謀論のオンパレードだ。今日も一般人には見えない陰謀と戦うことで大忙しなのが民主党なのである。