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【赤木智弘の眼光紙背】江戸しぐさって、本当にあったの?

赤木智弘の眼光紙背:第275回

 「江戸しぐさ」をご存知だろうか?
 江戸の商人たちの間で口伝をもって伝えられた、人の上に立つものたちの行動哲学が、江戸しぐさである。(*1)
 例えば「傘かしげ」。狭い道ですれ違うときに、傘を少し傾けて、傘が当たらず、かつ相手に雨がかからないようにする行為。(*2)
 次には「こぶし腰浮かせ」乗合船などで、こぶし1つぶん腰を浮かせて、席を詰めるて譲りあう行為。(*3)
 そして「時泥棒」。待ち合わせなどの定時に間に合わないことを「時泥棒は10両の罪」といい、時間を非常に大切にしたという。(*4)

 などなど、これが現代社会にも通じる「マナー」であるとして、ACジャパンの広告(*5)に採用されたり、学校教育に活用されたりなど、地道に広がっているという。

 確かに、他人を思いやるマナーというのは重要であることは間違いない。しかし、この手のマナーの喧伝は、僕がみるに、たいていは「それって、普通にやってるよね?」という事ばかりである。前の人とすれ違うときに傘をかしげたり、電車に座っている時に、横に人が入ろうとすれば少しずれる。で、人と合うときは、あらかじめアポイントを取り、時計をみて時刻を確認……ん? 時刻を確認?

 時泥棒に関して、こんな記事がある。江戸しぐさにおいては、相手との約束の時間からプラスマイナス5分であればAランク、そこからずれればずれるほど、汚名を受けるというのである。(*6)
 うん。明らかにこれは変だ。

 そもそも5分とは何か。今の日本においては5分は300秒であり、時計の長針が1つ進んだ状態が5分という時間である。それは夏だろうが冬だろうが、一切替わることがない不変の定義である。
 しかし、江戸時代においてはそんな定義は無かった。なぜなら江戸時代の時間の定義は、今の時間と違い「不定時法」だったからだ。

 不定時法とは、日の出から日の入りと、日の入りから日の出をそれぞれ6等分(6等分したそれぞれが一刻)して、時間を表す方法である。もし、太陽が出ている時間が必ず1日12時間であれば、一刻は今の2時間と同じである。しかし、太陽の出ている時間は季節によって大きく変化する。夏至の頃の昼の一刻は約2時間40分で、冬の頃では1時間50分程度である。

 そんなあやふやな時刻観しかない社会で、果たして「5分」などという時間感覚は、存在したのだろうか?
 当時の時間は、日時計やロウソクや線香が燃え尽きる時間といった、相対的な指標に、その基準を頼るしか無く、5分という短い時間を測ることはできなかったし、したとしてもほぼ無意味だったはずである。そんなことを基準に他人の評価を決めるとは、江戸の商人たちというのは随分とせせこましい性格をしていたのだなぁ。

 ほかにも、この「聞き上手」(*7)などは「その場でメモを取らない」などと書かれているが、メモ用紙などは潤沢に紙が使える時代の産物であり、江戸時代にありえないだろう。

 もちろん、現代に向けて脚色している部分も多くあるのだろうが、それにしてもあまりに江戸時代が都合よく利用されている気がする。彼らが主張する江戸時代の商人たちは、本当にこんなことを口伝で伝えていたのだろうか?

 僕には、江戸しぐさがあまりにも今の日本社会に対してのみ、都合のいい道徳であるように思える。これは本当に江戸時代の道徳観念だったのか? 本当は江戸という過去の権威性を、道徳の押し付けに利用しているだけではないかと考えてしまう。

 こうした「都合のいい道徳」といえば、僕には「水からの伝言」が思い出される。水に「ありがとう」と話しかけると、綺麗な形の結晶ができるが、「バカ野郎」などの言葉を話しかけると、形は汚いものとなるという。これは子供たちに綺麗な言葉遣いを教えるためとして、学校教育などでも盛んに取り入れられたと聞く。

 しかし、実験の内容がずさんであり、全く科学的根拠を持たなかった。また「綺麗=いいこと」という価値観も問題があるなどと批判を受け、やがて下火になっていった。

 僕は江戸しぐさというのも、水からの伝言と同等の怪しさがあるのではないかと考えている。
 水からの伝言が学校教育などで用いられたように、江戸しぐさも学校の道徳教育に用いられている。(*9)(*10)

 しかし、子供であっても上に挙げたような、時間の問題などに気づく子供が居るかもしれない。そうした時に、江戸しぐさを本当のことだと思い込んでいる教師は、一体どのように答えることができるのだろうか?

 結局は教師の権威性を利用して子供を黙らせるしかないのではないだろうか。そしてそれは、江戸時代という過去の権威を利用している江戸しぐさの本質と、全く同じものなのである。

 「江戸時代にあったのだから、俺達が提示する道徳は正しいのだ。そんな俺達は高潔で正しい人間だ。反する奴は悪人だ。」  江戸しぐさを翼賛する人たちの、そんな心の声が透けて見える。僕には、そんな気がするのだ。

*1:江戸しぐさとは?(NPO法人 江戸しぐさ)
*2:傘かしげ(NPO法人 江戸しぐさ)
*3:こぶし腰浮かせ(NPO法人 江戸しぐさ)
*4:時泥棒(NPO法人 江戸しぐさ)
*5:2005年度作品(ACジャパン)
*6:江戸しぐさ/「時泥棒」は十両の罪(朝日マリオン・コム)
*7:江戸の時刻制度“不定時法”:お江戸の科学(学研)
*8:聞き上手(NPO法人 江戸しぐさ)
*9:「江戸しぐさ」から学ぶ相手への心配り(TOSSランド)
*10:「江戸しぐさ」に学ぶマナー(TOSSランド)


プロフィール
赤木智弘赤木智弘(あかぎ・ともひろ)
1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。

@T_akagi - Twitter


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