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「自分は何のために働くのか」と悩んでいる人にこそ読んで欲しい~ベストセラー小説「海賊とよばれた男」作者・百田尚樹氏インタビュー~

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作家の百田尚樹氏
作家の百田尚樹氏 写真一覧
敗戦で、すべての資産を失った老経営者を描いた小説が、全国の書店員が投票で決定する「本屋大賞」を受賞した。作品のタイトルは、『海賊とよばれた男』。出光興産の創業者・出光佐三をモデルに主人公・国岡鐡造の奮闘を描いたこの小説は120万部を越える大ベストセラーになっている。今回その作者である百田尚樹氏に、作品に込められた思いや執筆時の苦労話などを聞いた。【取材・執筆:永田 正行(BLOGOS編集部)】

日本人全体が自信を失っている今こそ書かねばと思った


―まず執筆の動機をお話いただけますか?

百田尚樹氏(以下、百田):僕は、もともと放送作家(いまも現役)なのですが、同業者の女性が「世界を驚かせた日本人」という内容の特集をやろうとしていたんです。そのための調査をしていて、「日章丸事件※」という事件に、ぶつかったというんですよ。それを聞いて、「知らんかった!そんなすごい事件があったのか」と思ったんです。それで、知らないのは僕だけかと思って、いろんな人に聞いて回ったら、知っている人間が誰もいなかった。

※編集部注:1953年に、イランの石油国有化に反発したイギリスによるイラン石油の禁輸措置を無視し、出光興産が自社のタンカー日章丸二世をイランに派遣した事件。

日本は、敗戦後から7年間占領されていて、サンフランシスコ講和条約によって主権を回復することになりましたが、国内にはまだ進駐軍が居座っていましたし、日本政府はアメリカやイギリスの顔色をうかがわないとやっていけなかった。そんな時代に小さな石油会社が戦勝国のイギリスに一泡吹かせた大事件があった。これは、当時の新聞が連日トップで報じ、日本人に誇りと勇気をとりもどした大事件だったのです。

これほどの大事件が、60年経って忘れられているのはどういうことだろう、とさらに興味を持って調べているうちに、日章丸事件を立案・計画・実行した出光佐三という人の生き方に驚かされたんです。日章丸事件もすごいが、出光佐三も圧倒的にすごかった。佐三の95年の生涯を追いかけていくうちに、「これは今書かねば」と思ったんです。

日本では20年以上前にバブルがはじけ、ずっと景気が低迷しているところに、リーマン・ショックが日本経済を直撃、また経済的に台頭著しい韓国・中国に追い上げられ、日本の閉塞感はつのる一方。日本人全体が自信を失っている中で、一昨年の2011年、東日本大震災が起こり、一種の諦めムードみたいなものが漂っているように感じたんです。僕自身、「こんな痛手を被って、やっていけるのか?」と思いましたし、こんな状況下で、いったいどんな作品を書いたらいいだろうという悩み、迷いがありました。

ちょうどその頃に、出光佐三のあまりに圧倒的な生き方を知ったんです。物語の冒頭に描きましたが、昭和20年8月15日に日本は戦争に負けました。これが東日本大震災直後の日本とダブって見えました。でも、「あの頃はもっと酷かったかもしれない」とも思ったんです。確かに東日本大震災も非常に凄惨な災害でした。しかし、300万人の人が亡くなり、日本が焦土となり、がれきの山と化した68年前はそれ以上に酷かったでしょう。東京、大阪、名古屋といった大都市が焼け野原になって、会社も工場もすべて燃えてしまった。

そんな中で、会社も何もかも失った60歳の経営者が立ち上ったのです。当時の60歳は今の80歳くらいの感覚でしょうかね。そんな老人が、「絶対に日本は立ち直る」という信念を持って、終戦の2日後に「直ちに建設にかかれ」と号令を出した。一人の社員もクビにすることなく、一丸となって日本の復活のために戦い続けた。この強靭な男の人生を知ってもらいたいと強く思ったんです。

――歴史小説ですから、膨大な資料が必要になったと思います。構想から執筆までに苦労も多かったのではないでしょうか。

百田:資料は当時の新聞の縮刷版など、ダンボール箱で二箱くらいでしょうかね。執筆は正味半年、7ヵ月くらい掛かりました。あと、執筆途中に体調を崩したというか、あまり自慢になりませんが、3回救急車のお世話になりました。

一回目は去年の3月頃、東京のホテルにいるときに、胆石発作を起こして七転八倒しました。ホテルに救急車を呼んでもらったんですが、痛みで失神状態だったので、どうやって救急車を呼んで、どう運ばれたか覚えていません。その時に医者から「これは早めに手術しないとえらいことになる。緊急に手術しろ」と言われました。

でも、入院期間しているがもったいないので、とにかく第一稿を書き上げようと思ったんです。僕が出版社に原稿を渡してから、それが実際にゲラになるまでには10日間ぐらい掛かります。だから、入稿してから入院しようと。そうこうするうちに、さらに2回救急車で運ばれました。もちろん医者には怒られましたよ(笑)。

とにかく、一刻も早くこの本を出したいと思っていましたし、一週間遅れるのが耐えられない。だから、起きている時間のほとんど、一日十数時間は執筆と資料調べでしたね。

――主人公である国岡鐡造(出光佐三)の生き方は、もちろんですが、その経営哲学も非常にユニークです。

百田:僕は、これまで大企業の経営には、あまり関心を持っていなかったんです。しかし、この作品を書くにあたって調べてみると、彼には独特の経営方針があるわけですね。彼は、社員を信頼して家族と考えた。その理念から導きだされた経営方針が非常に変わっているんです。「出勤簿・タイムカード無し」「定年も無し」「クビも無し」。戦前の日本においても、周りからはこの会社はおかしいのではないか、といわれていたんです。従業員が20~30人くらいの小さな会社なら機能するかもしれませんが、従業員が1000人近くなっているにも関わらず、ずっと同じ経営方針を貫いていて、同業者からは時代錯誤だと言われていたわけです。

でも、出光佐三に言わせたら普通のことだと。「俺は社員を信頼しているんだ」といっている。信頼している家族同士の間に規則があるのはおかしい。信頼して仕事を与えているのだから、頑張って仕事をしてくれればいいと。だから何時から何時まで仕事をしましたと証拠を残せ、とか、そんなものはいらないというんです。しんどかったら休んでくれたらいい、しっかり仕事をしてくれればそれでいいと。しかし面白いことに、今欧米のITの先端企業では、一部そうしたやり方を取り入れていたりするようですね。

性善説と性悪説があって、自由を与えると人間はサボってしまうのではないかと考える経営者と、信頼をされれば信頼に応えようとするだろうと考える経営者がいる。何が正しい、これが絶対というのはないにしても、当時の佐三の考え方というのは、今の経営者にとってもヒントになると僕は思っています。

また、出光佐三と今の経営者の根本的な違いの一つに社員に対する考え方があります。今の経営者は社員をコストと考えています。一方佐三は、社員を会社の一番の資産だと考えていたんですね。企業の利潤追求を最優先に考えれば、そこの社長は利益のために社員を切る。でも、出光佐三は、まったく別の考え方をしていたわけですよね。

――実際に出光佐三にお会いしたことのある関係者からお話を聞く機会はあったのでしょうか?

百田:日章丸事件は、60年前の事件です。その当時を知っておられる方というのはほとんど全員亡くなられています。出光興産の取締役以上の重鎮の方々でも、出光佐三の最晩年をかろうじて知っておられるくらいです。亡くなられてから、32年経っていますから。

出光佐三は忘れ去られた偉大な経営者の一人だと思います。いま、経営者、ビジネスマンに「あなたの尊敬する経営者は誰ですか?」と聞いたら、出てくるのは松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫といった方々ではないでしょうか。あるいは、孫正義を挙げる人もいるかもしれません。出光佐三はベスト10どころか20にも入っていないと思います。その理由をずっと考えていたのですが、書いているうちに思い当たることがありました。

彼はずっと国と戦っていました。もちろん、役人の天下りを許すはずがない。だから、官僚にも嫌われた。また、同時に毀誉褒貶が激しい人でもありました。先程お話したタイムカードも無いような経営方針が批判されていたんです。より、大きな批判を受けたのは、労働組合がないところですね。従業員が数千人、一万人という会社になっても労働組合がなかった。当時の進歩的なジャーナリストからは、「明治時代の丁稚でも雇っている気分か」と批判をされていたようです。ジャーナリストからすれば、古くて時代遅れの経営者だと捉えられていたのかもしれませんね。外資が入っている同業他社も、民族資本であることを貫いた彼の業績を歴史から消したほうが好都合。そんなこともあり、彼が昭和56年に亡くなると、あっという間に忘れ去られてしまった。 出光佐三は、今こそもう一度再評価されるべき人物だと思ったんですよ。

――出光佐三も魅力的ですが、その脇を固めるスタッフも非常に魅力的で優秀ですよね。

百田:そうですね。佐三はもちろん、出光興産を支えた男たちもすごかった。でも、なんぼすごいと言っても500人、1000人の世界ですよね。その人数で日本を立て直すことはできないですよ。

日本は、わずか戦後20年ちょっとの間に驚異的な復興を遂げて戦勝国の欧米諸国のGNPを抜き去っていきました。なにも出光佐三、あるいは出光興産だけではない、日本全体に無名のたくさんの出光佐三がいたんです。この物語は出光佐三を描いていますが、日本の困難な時代を生きた偉大な男たちの象徴として描いているわけです。

68年前、日本はゼロからスタートしたわけではないんですよね。ゼロよりも遥かに下のマイナスからスタートしました。何もない焼け野原にほおりだされて、数百万人の人が住む家もなかった。失業者が日本中で1000万人以上いた。何の産業も工場も会社もみんな燃えてしまった。そこからたった20年で立ち直った。

奇跡ですよね。それをやり遂げたのは僕らの父親の世代であり、今の若い人たちから見たら、祖父の世代です。彼らが成し遂げたことを今の僕らができないはずがないですよね。

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