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裁判員裁判について

内田樹先生が、「裁判員制度によって、どんな『よいこと』があったのか、分からない」という趣旨のことをおっしゃっている。

私は、内田先生の文章が大好きだし、ブログの愛読者でもある。だから、内田先生風の文章を書くことだってできる。

だが、このご意見はちょっと失望だ。内田先生ほどの知性にして、この程度のことがわからないんだ。

裁判員制度の目的は、「主権者としての自覚」を国民に持ってもらうことにある。「主権者としての自覚」とは、「国家権力者としての自覚」ということだ。裁判員になった人や、一般国民が、その自覚を持ったなら、それは「よいこと」なのである。

人を殺したら、「死刑又は無期もしくは5年以上の懲役」になると、刑法は定めている。この法律を定めたのは、究極的には主権者である国民だ。国民はこの法律によって、人の自由や時間や、命までも奪う強大な権力を国家機関に付与した。裁判員裁判とは、一面で、この強大な権力の行使を、民主主義の原則に戻って、主権者である国民自身が取り戻す制度である。なぜそんなことをするかというと、国家機構は巨大で複雑なので、国民自身、自分が主権者であって、国家権力の源泉であることを、忘れがちだからである。かといって国民全員が裁判に関わるわけにもいかないので、くじで選ばれた数人に、その事件限定で国家権力の行使を委ねるのである。これも、民主主義の理念からすれば、一つの健全なあり方である。

危険運転致死罪という刑法の条文がある。この条文は、悪質な交通事故をきっかけに、遺族の運動と、民意の支持があって、制定された。この法律を定めたのも、究極的には国民である。そして国民から選ばれた裁判員が、被告人にこの条文を適用する。これは民主主義の一つの健全な形である。

だが、危険運転過失致死罪は、とても重い刑を定めている。実際に運用してみると、重い刑しか選択できないことが、かえって正義に反する、という事例があるかもしれない。不当に重い刑を選択せざるを得なかった裁判員は、法改正の必要性を強く認識するかもしれない。その結果法改正がなされるなら、それもまた、民主主義の健全な実現である。

裁判員裁判だって、誤判や冤罪は生まれる。当たり前である。プロの法律家も、素人の裁判員も、人間である以上、間違えることはある。裁判員裁判は、強大な国家権力を手にし、かつ、その運用を間違わないことが、いかに重要であり、かつ困難であるかを、国民に自覚させる。これもまた、民主主義制度の、大事な側面である。

裁判員裁判は、国民に、大変な負担を強いている。これも当然である。民主主義とはもともと、膨大なコストのかかる制度なのだ。裁判員制度は、しんどいのである。

もちろん、以上のことは理念にすぎない。理念が正しければ、何をやってもよい、というわけではない。「よいこと」があるからといって、「わるいこと」に目をつぶってはいけない。裁判員の負担や、被告人・被害者の人権、経済的なコストなどとバランスをとらなければならない。しかも、現行制度には、上記の理念とは似て非なる思惑が、いろいろ混じっている。

だから、裁判員制度については、不断の改善が必要である。だが、もともとの理念や目的すら理解できず、「よいことがない」だの「わからない」だの言っているのでは、改善すらできない。

ときどき不思議に思うのは、自由と民主主義を標榜する高い知性の持ち主の中に、国家権力を国民と対峙させる傾向が見られることだ。民主主義国家においては、国家権力の行使者は国民自身であって、国民と敵対する「誰か」ではない。それを認識させることが、裁判員裁判の意義である。もちろん、実態が理念通りでないことくらい、わかっているが、それでも、このタテマエを譲ってはならない。それは、民主主義を放棄することにつながるからだ。

裁判員が背負う責任と重圧は、主権者が背負う責任と重圧である。われわれが、このことに無自覚すぎることこそ、裁判員裁判が導入された最大の理由である。

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