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【読書感想】ロスジェネ心理学

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ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

内容(「BOOK」データベースより)

ロスジェネ世代が得てきたもの、失ったもの、残されているもの。オタク出身、ロスジェネど真ん中の精神科医が放つ渾身の1冊。大人になれない現代人の心理構造を読み解く。



【COI開示】著者(『シロクマの屑篭』のid:p_shirokumaさん)より献本していただきました。


著者は、冒頭で、いわゆる「ロスジェネ世代」について、こう定義しています。

 1970~80年代前半にかけて生まれた世代は、有史以来、どの時代の子どもたちよりも物的に恵まれた”飽食の時代”に生まれ、育てられてきました。高度成長期は終わっていましたが、それはあくまで大人の世界の話。当時の私達(私もこの世代の人間なので、本書では1970~80年代前半生まれの世代のことを”私達の世代”と書きます)子どもは、テレビ・ファミコン・ビデオデッキ・エアコン・子ども部屋・漫画雑誌といったものが子ども専用アイテムとして普及していく過渡期を身をもって体感した世代でした。

”末は博士か大臣か”と親から期待され、激しい受験戦争を戦った世代でもあります。勉強さえ出来れば立身出世につながるという受験システムが、知識階級の子弟ばかりでなく庶民にまで認知され、出自や親の職業とは無関係に誰でも自分の夢に向かって突き進めるようになりました。

 では、未曽有の豊かさに恵まれた子どもだったところの私達は、どのような大人になって、どれぐらい幸福に生きているでしょうか。

 皆さんもご存知の通り、私達の多くは、幸せにも満足にもほど遠い日々を、のたうつように過ごしています。とりわけ経済面において、「こんな感じじゃなかった」と思っている同世代人は非常に多いと思います。


 僕は1976年生まれの著者より少し早い、1970年代初頭の生まれなのですが、これを読みながら、確かに「そういう時代」だったよなあ、なんて考えていました。

 突き詰めて考えれば、僕みたいに「中学生になったくらいにファミコンの直撃を受けた世代」と、1980年代前半生まれの「物心ついたときには、当たり前のようにファミコンが家にあった世代」とでは、またちょっと違うところもあるんじゃないかな、とも思うのですが、こういうのは、ある程度「定義」をつくらないと、語りようがないところがありますし。


 団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、心理面でもかなり困難な、前後の世代とは景色の違った立場に立たされています。というのも、この世代はバブル以後の価値観の影響を色濃く蒙っていながら、なおかつバブル以後の生活や境遇を余儀なくされているからです。

 価値観という面で言えば、私達の世代は20世紀的・旧世代的な立場に属します。すなわり、受験戦争を頑張って乗り切り、良い会社に入って、結婚して、一戸建て世帯を持つことを良いこととする価値観を信じて育った世代に属します。また子ども時代に、80年代的な”オシャレな消費=格好良い”という時代の気分を吸い込みながら育った世代でもあり、バブル景気の華やかなりし頃を実際に覚えてもいます。


 このため、もっと後の世代に比べると、私達の世代はこうした価値観をプレインストールされている度合いが高い、と言えます。「いい大学に入っていい会社に就職すべき」「自由な恋愛をやって結婚すべき」「結婚したら一戸建て世帯を持つべき」といった”かくあるべき”を内面化している度合いが高いとも言い換えられるわけで、実際、親世代や周囲の人から「かくあるべき」という”アドバイス”を受ける機会も多かったことでしょう。また、生活の次元でも、”オシャレな消費=格好良い”ということを身をもって示していた諸先輩がたを見ながら育ったため、”オシャレに消費できない=格好悪い”という価値観を形成しつつ育ちました。

 こうした価値観の内面化は、80年代後半生まれ以降の世代においてはさほど強くありません。


「ロスジェネ世代」の一員として、僕がこの本を読んでいていちばん印象に残ったのは「梯子を外された」という言葉だったんですよね。

僕より前、いわゆる「団塊の世代」の人たちの時代は、梯子があって、そこをのぼったら、また次の梯子があった。

どんどん「上へ上へと向かっていく」ことができた世代だった。

僕より後の世代、1990年代以降、物心ついたときから、スーパーファミコンやプレステがあった世代の人たちには「梯子」がなかった。あるいは、彼らは「梯子」をのぼっても、くたびれるばっかりで、望むものなんてないことをすでに知っていた。

その真ん中の時代にある僕たちは、「がんばって、この梯子をのぼれば、幸せになれるはず」と信じてのぼってみたものの、そこには何もなくて、上に向かうこともできず、振り返ってみたら、いまのぼってきたはずの梯子も外されて、宙ぶらりんの場所で、呆然としながら佇んでいるのです。


ただ、そういうのって、正直言って、「時代の責任」「社会の責任」なのか、「僕個人の問題」なのか、ずっとわからないところではあったんですよね。

この本を読んでも結論が出る話ではないし、「ロスジェネ世代」でも、上手くやっている人はやっている。

それでも、多くの世代の問題を抱えている人に、文字通り「直面」してきている著者の言葉を読むと、ある程度の「傾向」はあるのだろうな、という気がします。


「人は汗水垂らして働くべきだ」「恋愛は男女が人間と人間として向き合うべきだ」

そういう「高度成長期的な価値観」をインストールされて育った僕たちが大人になったとき、世界は変わってしまっていたのです。

汗水垂らして働いても、「企業で搾取」され、恋愛よりも恋愛ゲームやキャラクターを愛したほうが楽しい、ような気がする。

「ロスジェネ世代」の次世代たちは、「それなら、フリーターでも、ニートでもしょうがないんじゃない?」「アニメのキャラクターのほうが、生身の女の子よりめんどくさくないし、別にいいんじゃない?誰に迷惑かけるでもなし」と、そういう「変化」を違和感なく、自分のなかで「処理」できているように見えます(いや、内心はどうかわからないし、やっぱりそこには葛藤があるのかもしれないけれど)。


でも、僕たちにインストールされている「価値観」は、「そういうのは、人間としてどうよ?」と、エラーメッセージを送り続けてくるのです。

ライブドアの堀江元社長に対しても、僕の親世代は「あんなの『仕事』じゃない。金の亡者!」と切り捨て、1990年代以降生まれの人たちは「あれこそが、いまの時代の『仕事」じゃない。何が悪いの?みんな妬んでいるだけだろ?」と受容する。

しかしながら、その中間の僕は、「うーん、わかるんだけど、なんかわかりたくないというか、ああいう拝金主義は『間違っていない』のはわかっているんだれど『正しい』とも思えない……」みたいなスタンスになってしまう。


著者は、この本のなかで、「自己愛」について、詳しく書いておられます。

僕もこの年まで、ずっと「自己愛」と「自己嫌悪」(実はこのふたつって、正反対のようで、似たものどうしではあるんですよね。「好き」の反対は「嫌い」じゃなくて、「無関心」なんだよなあ)を飼いならすことに苦労し続けていたのです。


この「自己愛」についての解説は、著者がずっとネットでも仰っていたところでもあり、時代による自己愛の投影対象の変遷、などというのは「なるほど」と唸らされました。

こういう話って、「専門家向けの難解なもの」と「一般向けの、噛み砕きすぎて原型をとどめているのかわからなくなってしまった、ニーチェの『超訳』みたいなもの」が多くて、ちょうど良い塩梅のものって、読んだことがなかったものですから。

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