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【佐藤優の眼光紙背】北方領土問題をめぐる朝日新聞・土佐茂生記者の2つの事実誤認と一部外務官僚の思惑

佐藤優氏。(撮影:野原誠治) 写真一覧
佐藤優の眼光紙背:第131回

 6月18日(日本時間19日)、メキシコのロスカボスで、野田佳彦首相とプーチン露大統領が会談する。本件に関し、17日付朝日新聞朝刊が4面に土佐茂夫記者の署名による事前解説記事を掲載した。この記事には、2つの事実誤認があり、それ以外にも日本政府の交渉スタンスについてロシア側に間違えた印象を与える内容の記述がある。

 まず、土佐記者の記事を正確に引用しておく。

領土交渉まず「始め」 18日、日ロ首脳会談

 野田佳彦首相は18日(日本時間19日未明)、メキシコでロシアのプーチン大統領と初の首脳会談に臨む。膠着(こうちゃく)状態が続く北方領土交渉で「始め」の号令をかけるのが狙いだ。ただ、日本政府は解決への道筋を描けているわけではなく、交渉の道のりは険しい。

■足元の議論、固まらぬ日本

 プーチン氏は首相時代の3月、朝日新聞などのインタビューで「大統領になれば、両国外務省を座らせて『始め』の号令をかけよう」と、柔道になぞらえて明言。「領土問題を最終決着させたい」と語った。

 日本政府は前任のメドベージェフ氏よりもプーチン氏の方が領土問題に理解があると見るが、「始め」に対応する妙案があるわけではない。外務省幹部は「今回は『始め』の号令をかけるだけだ」と語る。

 背景には日本の事情がある。プーチン氏はインタビューで決着のイメージを「受け入れ可能な妥協」として、「引き分けのようなものだ」と説明。この解釈をめぐり国内対立が再燃しかねないのだ。

 野田政権は森喜朗元首相を特使としてロシアに派遣することを検討。玄葉光一郎外相が水面下で森氏に接触し、首相も森氏に要請し、前向きな回答を引き出した。プーチン氏とファーストネームで呼び合う森氏の影響力を借り、交渉を動かすのを狙った。

 だが、4月に鈴木宗男前衆院議員が首相に面会し、表立って特使問題に関わり始めると空気は変化した。森政権時代、自民党総務局長だった鈴木氏は「歯舞、色丹の引き渡し条件」と「国後、択捉の帰属問題」を分けて対応する同時並行協議をロシア側に提案。政権内を「2島先行か、4島一括か」に二分する議論になった経緯があるからだ。

 鈴木氏は3月のプーチン発言を「日本への大きなシグナルだ。4島一括を言い続けても前進はない」と評価。改めて森政権時代の姿勢で領土交渉を進めるべきだと訴える。

 一方、日本政府は小泉政権で「4島一括」に戻った。野田首相も3月の国会で「歯舞、色丹は面積で7%。残り93%が来ないのは引き分けにならない」と答弁し、4島返還を求める立場を強調した。政府関係者は「鈴木氏が割り込んできた」と漏らし、森氏の特使構想は宙に浮いたままだ。

 民主党内にも柔軟論がある。5月に訪ロした前原誠司政調会長は地元テレビに「互いの立場は56年間議論を尽くした。同じように繰り返すことが建設的とは思わない」と発言。外務省幹部は「『2か4か』という亡霊が歩いているうちは答えを出せない。プーチン氏の言う『引き分け』の中身まで、とても議論できる状況ではない」と話す。(土佐茂生)>(6月17日、朝日新聞デジタル)

 この記事の1つ目の事実誤認は、<森政権時代、自民党総務局長だった鈴木氏は「歯舞、色丹の引き渡し条件」と「国後、択捉の帰属問題」を分けて対応する同時並行協議をロシア側に提案。政権内を「2島先行か、4島一括か」に二分する議論になった経緯があるからだ。>という記述だ。同時並行協議をロシア側に提案したのは、鈴木宗男氏ではない。2001年3月のイルクーツク首脳会談で森喜朗首相がプーチン大統領に対して行ったものだ。なぜ、土佐記者は、このような基本的な事実誤認を記事にしたのだろうか。土佐記者と朝日新聞社には、事実誤認を訂正する義務がある。

 さらに<政権内を「2島先行か、4島一括か」に二分する議論になった経緯がある>というのは、評価の問題であるが、少なくとも2001年3月のイルクーツク日露首脳会談をめぐって、外務省内で見解の対立はなかった。2001年4月に小泉政権が成立し、田中真紀子氏が外相に就任してから生じた対立である。土佐記者の記述は不正確だ。

第2つ目の事実誤認は、<日本政府は小泉政権で「4島一括」に戻った。>という記述だ。日本政府は、1991年10月に政策転換を行った。東西冷戦時代の旗を降ろし、「四島への日本の主権が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する」という内容をソ連(ロシア)側に提案した。それ以降、日本政府が「四島一括返還」という要求をロシアに対して行ったことは、文字通り一度もない。

 もっとも、返還が実現されなくても、日本の主権あるいは潜在主権を「四島一括」で回復するという具体的提案を日本政府は、橋本龍太郎政権、小渕恵三政権のときに行ったことがある。しかし、そのときであっても「四島一括」でないと平和条約を締結できないという立場を日本政府が取ったことはない。この日本政府の立場はその後も変化していない。従って、<日本政府は小泉政権で「4島一括」に戻った。>という記述は、事実と異なる。

 さらに、事実誤認ではないが、<野田政権は森喜朗元首相を特使としてロシアに派遣することを検討。玄葉光一郎外相が水面下で森氏に接触し、首相も森氏に要請し、前向きな回答を引き出した。プーチン氏とファーストネームで呼び合う森氏の影響力を借り、交渉を動かすのを狙った。/だが、4月に鈴木宗男前衆院議員が首相に面会し、表立って特使問題に関わり始めると空気は変化した。>という記述もミスリーディングだ。森喜朗元首相を特使として派遣するという案を3月末に固めていた。そして、初動の段階から鈴木氏は森氏との根回しに関与している。玄葉外相が森氏に接触するよりもかなり前に、首相官邸、鈴木氏は森氏から特使を受けるという内諾を得ている。4月25日に首相官邸で鈴木氏が野田首相と会談し、特使問題に関わり始めたというのは、取材不足による事実誤認か、意図的な情報操作である。土佐記者は、「表立って特使問題に関わり始めると…」と「表立って」という限定語を入れている。裏返して言うならば、それまでに鈴木氏は水面下で関与したということを知っているという含みなので、この記述は情報操作に基づくものと筆者は判断している。

 それでは、朝日新聞のこの記事は、対露外交でどのような意味を持つのだろうか。筆者は、北方領土交渉を進めることに躊躇する一部外務官僚の思惑を反映した記事と見ている。

 今回の日露首脳会談は、6月18~19日に20カ国・地域(G20)首脳会議が行われる機会を利用して実施される。国際会議の際の二国間首脳会談は、日程が窮屈なので過去の例からして30分程度しか時間を確保することができない。日露首脳会談は逐次通訳を通して行われるので、実質的な会談時間は15分しかない。野田首相の持ち時間は7分半である。7分半の会談で、日本側の立場をすべて説明することはできない。それだから、4月29日から5月4日にかけて民主党の前原誠司政調会長が訪露し、プーチン氏に近い人々と会って根回しを行った。

 それに加え、G20前に森特使がモスクワを訪問し、プーチン大統領と会談して野田首相の親書を手渡すというのが、首相官邸の立てた戦略だった。森・プーチン会談の日程を外務省は本気になって取り付けようとしたのだろうか。

 さて、土佐記者の記事には、匿名の外務省幹部が、以下の発言を紹介している。

 「今回は『始め』の号令をかけるだけだ」。

 「『2か4か』という亡霊が歩いているうちは答えを出せない。プーチン氏の言う『引き分け』の中身まで、とても議論できる状況ではない」

 この匿名の外務官僚は、野田首相が北方領土問題と本格的に取り組む準備ができていないというメッセージをロシア側に送ろうとしている。野田首相は、北方領土問題の解決に意欲を持っている。首相を支えるのが仕事のはずの外務官僚が、朝日新聞を通じて、北方領土交渉の「中身まで、とても議論できるような状況にない」と日本政府内部が混乱しているというような情報操作を日露首脳会談の直前に行うのは、尋常な事態でない。

 首相官邸の意向を実現すべく、首脳会談の準備を行うのが外務官僚の仕事だ。それをせずに、野田首相の足を引くような外務官僚は更迭するのが筋だ。(2012年6月17日脱稿)

■関連記事 ・ロシア大統領選挙後の対露戦略をどう構築するか? 朝日新聞・土佐茂夫記者の不正確な解説記事が国益を毀損する危険を危惧する - 3月5日

プロフィール

佐藤優(さとう まさる)
1960年生まれ。作家。1985年に外務省に入省後、在ロシア日本大使館勤務などを経て、1998年、国際情報局分析第一課主任分析官に就任。 2002年、鈴木宗男衆議院議員を巡る事件に絡む背任容疑で逮捕・起訴。捜査の過程や拘留中の模様を記録した著書「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、第59回毎日出版文化賞特別賞受賞)、「獄中記」(岩波書店)が話題を呼んだ。
2009年、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決が確定し外務省を失職。現在は作家として、日本の政治・外交問題について講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。近著に「予兆とインテリジェンス」(扶桑社)がある。

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