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「今まではやるしかなかった。震災が風化しつつあるこれからの方が不安」―被災地で事業を再開させた蒲鉾店の奮闘記

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かつての工場があった宮城県南三陸町の様子(撮影:野原誠治)
かつての工場があった宮城県南三陸町の様子(撮影:野原誠治) 写真一覧
及善かまぼこ店は、創業130年、及川専務で6代目となる老舗のかまぼこ店です。代々、南三陸町で事業を営んできましたが、今回の震災で自宅兼工場を失うことになりました。しかし、現在は宮城県登米市で工場を稼動させ、営業を再開しています。専務である及川善弥氏に、事業を再開させるまでの過程を聞きました。【取材・執筆:BLOGOS編集部 田野幸伸・永田正行 取材協力:福田記子】

震災発生直後に社長と事業再会を誓って離れ離れになった


――3月11日震災発生時、及川さん自身は何をしていましたか?

及川善弥氏(以下、及川氏):私は仙台で催事をやっていました。

――南三陸には、ご自宅兼工場があったわけですが、ご家族と連絡を取ったり、工場がどうなっているかなど状況を把握されるまでの過程を教えてください。

及川氏:3.11に地震が起きて、携帯も繋がらずパニックでした。30分後に父親である社長から家族は全員避難したというメールが入りましたが、そこから二日間くらい連絡が取れませんでした。

その言葉を信じて、1日仙台で待つことにしました。その日はパニック状態でしたし、信号機もついていない状況でしたので移動しないほうがよいと思ったんです。南三陸町の状況もわからなかったですし。

その次の日の朝にワンセグで上空から撮った映像があるニュースを見ました。確かNHKとフジテレビだったと思います。あっちも急ぎで撮っているので、編集と場所がグチャグチャでよくわからなかったんです。話を聞くと、現地に行っても携帯は繋がらないし、渋滞で立ち往生するとのことでした。

3日目の朝に南三陸に出発しました。2日間で得た情報の中には嘘も本当もあり、通れる道、通れない道がありましたが、安全な道を選んで南三陸町へ向かったんです。移動している間は、建物が傾いたりしていましたので、「津波があったのかな?」と思っていましたが、南三陸町に入った瞬間には瓦礫の山。これは、20mくらいの津波が来たんだろう、ということがわかりました。

――その時に工場の様子もご覧になったんですね

及川氏:はい。目の前までは行かなかったのですが、高台から工場を見渡しました。その日に社長と「これからどうするんだ」という話になりました。お互いのこれからの意志とか想いを、今持っている範囲で出しあったんです。

まずは避難することが優先でしたが、その次には事業を再開したいという二人の想いがありました。その確認をしただけで、どこで何をやるというのは全然決めていませんでした。自分には自分の家族、女房と子供2人がいます。自分の家族のめんどうは、事業を再開するまで、なんとか見るようにする。親父とおふくろ、おばあちゃんは残していくから、そっちはそっちで頑張ってくれと伝えました。完全に家族が2つに分かれて、自分の子供と女房を車に載せて、仙台へ引き返し、仙台の親戚の家に数日お世話になりました。

そのうちに原発事故が起きて、仙台にもいられないということになりました。ガソリンもなくて、ガソリンスタンドでアルバイトしている友達とかから、こっそりガソリンをもらったりして、奥さんの実家である神奈川県の大磯町を目指しました。そこまで連れていければ安全かなと思いまして。高速がダメだったので、4号線を突っ切って神奈川県まで行きました。

女房と子供二人を預けて、いつになるかわかりませんけれど、落ち着くまでお願いしますということで引き返し、自分はそこから仙台を拠点にしました。

再開後の工場内の様子(撮影:野原誠治)
再開後の工場内の様子(撮影:野原誠治) 写真一覧

――仙台にお戻りになったのはいつ頃でしたか?

及川氏:震災発生から2週間後くらいでした。2週間くらいで自分は仙台、女房と子供が神奈川の実家、両親と祖母が南三陸町の避難所という状態になりました。

無理に南三陸町に行っても避難民の一人になるし、身動きが取れなくなるのが嫌だと思って、自分だけ仙台にいました。いままで蒲鉾を納めていた業者に商品を逆に買わせてくれと言って、自分が今まで催事でお世話になった人たちに頭を下げて、場所を借りて蒲鉾を作れるようになるまで違うもの売らせてもらおうということで、海産物を売っていました。それで日銭を稼いだんです。

――すごいバイタリティですね

及川氏:普段と違う商売ができて、良い経験になりました。面白かったですよ(笑)。もう一度蒲鉾が作れるようになるまでの間、そういうやり方をしました。家族分はなんとか飯を食っていけました

――どのぐらいの時期から落ち着いてきたというか、「さあやり直すぞ」という気持ちになったのでしょうか?

及川氏:先程、社長と事業再開の意思を確認したとお話しましたが、正直「もう無理だろう」とも思ったんです。店をたたんで、一から考えようと。自分としては引き続き蒲鉾作りはしたかったので、「隣町にでも移って、俺は小さく自分の店を作る。だから親父は親父でやったら?」という話をしました。でも、親父としてはまたやりたいという。借金はどうする?とか色々考えましたが、倒産するよりマシだということで、「じゃあもう一度やるか」という意思決定があった上で離れ離れになったんです。

そうしているうちに震災一ヶ月ぐらいで、また大きい地震がありました。それでまた、仙台もだいぶやられて。その一ヶ月は全然落ち着かなかったです。その後になって、今後について電話でちょくちょくやりとりをするようになりました。南三陸町の工場はどうにもならない状態でしたが、事業を再開したいという気持ちは自分も親父も同じでした。

私は慌てる必要はないと思っていました。国がどういう助成をしてくれるかもわからないし、資金もありません。「急いでもしょうがない」と言ったのですが、親父の性格はそうでもなくて「いや、一日でも早く始めたい」と(笑)。隣町の人たちにも昔からご愛顧して頂いているので、その人たちから「こっちに来い」とか、「水産の加工場に向いている土地があるかもしれない」とか、様々なお話をいただきました。そういう状況の中で、手探りで動き始めました。

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