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「マスコミの人間に心はあるのか」問われる現場の取材手法

京都府亀岡市の府道で、少年が運転する軽自動車が集団登校中の児童に突っ込んだ事故で被害者の救命を担当した公立豊岡病院但馬救命救急センターがブログで取材手法を厳しく批判しています。具体的に、読売、毎日、朝日の新聞社名を出し、「マスコミの人間の心は腐っているのでしょうか」と問いかけています。


自分が事件や事故を取材する社会部の記者だったのは10年以上前ですが、大きな事故の病院取材はとても難しく、「こんな取材が本当に望まれているのか、何の意味があるのか」と自問自答する記者にとっても辛い取材であったことを思い出しました。

このような現場での無理な取材は、事故や災害で何度も批判を浴びてきました。なぜ繰り返されるのかという構造的な問題にも目を向けて考えて見ます。

なぜ被害者を取材しようとするのか

救急センターのブログを読んだ人が一番感じるのは「なぜ記者は被害者を取材しようとするのだ」という部分ではないでしょうか。それは、被害者や関係者のコメントをもらうためです。

不幸にして事故に巻き込まれたとき「何か伝えたい」ということがあります。最近ではツイッターを使って加害者や被害者の関係者が発信することもありますが、マスメディアが伝えることで社会課題の解決や支援につながることがあります。東日本大震災でも悲惨なニュース記事があるからこそ、支援が集まるという現実もあります。

センターは「もちろん必要があれば病院から情報を伝えます」と書いているわけですが、行政、警察、病院、学校といった機関からは経験的に情報が適切に出てくることはあまりなく、「いまはそっとしておくべき」とシャットダウンされてしまいます。これは、病院が伝えたい情報と、記者が取材したい情報に差があることも要因です。

しかしながら、直接関係者にあたると(当事者に近ければ近いほど)率直に想いを伝えてくれることがあります。信じがたい不幸があったとき、人は誰かに話をすることで落ち着く、ということもあるのかもしれません。

記者時代に交通事故の遺族の方を何人も取材することがありましたが、驚くほど穏やかに故人の思い出や素敵なエピソードを話してくれたり、「葬儀が最後の別れだけれど私は(故人が)お世話になった人全員を知っているわけではない。新聞で記事にして知らせてほしい」と託されたこともありました。直接聞かなければ分からないことは多いのです。

このような経験が新聞社内にあり病院や自宅取材は継続されていきます。もちろん、だからといって無理に取材するというのは問題です。次になぜこのようなマナー破りの取材が現場で横行するかを述べます。

なぜマナー違反の取材が横行するか

まず、被害者のエピソードは非常にニュース価値が高いということがあります。

新聞社内だけでなく、読者の反応も含めてです。取材手法は批判されるけれどもアウトプットして記事がでれば、インターネットでも共有され、拡散していきます。ひどいといいながら記事を読んでしまうという側面があることは認めなければ、先には進まないでしょう。

次に横並びの競争があります。もし、自分が記者で、他紙にエピソードや思い出深い写真が掲載されていたらどうでしょうか。新聞は翌朝になるまで取材の結果がわかりません、「もし他紙が載せていたら」という恐怖が記者やデスクをかりたてます。

さらに、組織の判断の問題があります。記者であればかなりのことが許されてきた時代があったのです。取材するために葬儀に乗り込んだといったエピソードは私が記者になったときにも編集部内で語り継がれていました。編集幹部の世代ではまだ「記事にするためなら多少のことは許される」といった甘えが残っています。

頭では人権意識の高まりは感じているから、ルールを守って取材をと研修で話していても、いざ現場となると電話口で「なんで取材できないんだ!」とどやしつけるデスクや幹部はいるはずです。これらが現場にプレッシャーとして伝わり、現場でトラブルになる、そうすると「ルールを守れといったはずだ」と言う幹部すらいます。

そして、マスメディアへの批判の目が向けられているとはいえ、今回のように公になることはソーシャルメディア以前はありませんでした。それも認識が甘い要因です。

どうすればいいのか組織と現場から

では、どうすればいいのでしょうか。組織としては現場取材のルールだけでなく、結果についての合意が行われる必要があります。センターの批判を記事にして有識者のコメントを付けたり、コラムで触れたり、紙面委員会で指摘したり、といった対応をする社もあるかもしれません、研修をするという社もあるかもしれません、しかし結果についての合意がなければ現場は記者に限らず無理をするものです。

つまり、他紙に掲載されていても載せない、取材しない勇気です。これは相当難しいですし、何より読者の理解と協力が必要です。取材手法を批判しながら、悲惨なエピソードを読み物として欲しいというのは、現場に無茶を言うデスクと同じです。

では、現場の記者として何ができるのか。私の経験でしか話せませんが、何度も病院や遺族への取材を経験するなかで、無理はしない、上司に怒られ評価が下がるのは甘んじて受ける、無理をするときはデスクやキャップに確認する、という行動基準をつくりました。これは現場であの記者がやっているなら、と赤信号皆でわたれば怖くないという心理になることを避けるためです。

ただ、結果が出ないのは悔しいので、もうひとつ決めました。なるべく当事者に近い人に誠心誠意取材の意図を伝える、ということです。周囲にシャットダウンされたときには、名刺や手紙を渡してもらったり、こちらの気持ちは伝えていました。これで後から連絡をくれたケースもあります。一人の記者がやっても無駄という考えもあるでしょうが、その一人ひとりの行動の積み重ねがいまの状況を作り上げているのです。

無理な取材手法はマスメディアの幹部が感じているより相当大きな反発を持って受け止められていることは理解しておいたほうがよいでしょう。ソーシャルメディア活用や電子新聞もよいのですが、その前に事件報道そのものの手法や記事のあり方を見直さなければ読者の距離はますます離れていくでしょう。記者としては、結局のところ組織の歯車として業務をこなすのか、一人の人間として向き合うのか、ということが問われているのだと思います。

ただ、これまで述べてきたようにマスメディアの問題というだけでなく、過激でより悲惨なニュース記事を望む読者もいます。なぜ、遺族や関係者に取材をするのか、それは意味があるのか、どのような取材手法がよりよいのか。答えは出ないかもしれないけれど、私もいまだに考え続けているし、このブログを読んでいる記者やジャーナリストを目指す学生だけでなく、ニュースに触れている皆さんにも考えてもらいたいと思っています。

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