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評価経済だって?貨幣の「互換性」を甘く見るな、と。

村上春樹は「もちろんお金には名前はない。もしお金に名前があったなら、それは既に金ではない。金というものを真に意味づけるのは、その暗い夜のような無名性であり、息をのむばかりに圧倒的な互換性なのだ」と書いた。

これを下世話に私風に解説すると
「浅草の場末感ヤマ盛りのピンク映画館の入場料」と、「都心のオサレなシティホテルで飲むアールグレイの紅茶」は、その値段が1200円の貨幣という意味で表されるということに、入れ替え可能な互換性があるということ。そして、文房具屋のオジサンが、「このボールペン、田端君には500円で売るけど、他の人には100円だよ。だって田端君の財布に入ってるカネはFXで楽して稼いだカネだからね。」と言ったりするのはありえないよね、ということだろう。

岡田氏のアジテーションがきっかけになって、貨幣経済から評価経済への移行が云々という議論がネットのごく一部界隈でやかましい。一部で「貨幣経済の終わり」的なムードもあり、まあ、気持ちは分かるんだが、もし、そういうアジ演説を真に受ける人がいるとすれば、人間社会が、なぜに貨幣を必要としたのか?ということを、きちんと、考えてみたほうがいいのでないかと思う。

貨幣がなければ、世の中で必要な財が一個人の枠を超えて流通するためには、全てが物々交換になる。世の中には、ほぼ無限に等しいくらいの財・商品・サービスの種類がN個ある。それらの物々交換においては、全ての交換比率が、N対Nの交換レートとして決定されることになり、取引への参加者はそれを記憶することが必要になる。 (この組み合わせはNの数が増えると爆発的に増える。)

具体的なイメージ例でいえば、
・ガソリン10リットルは白米5Kg
・トイレットペーパー10ロールは豚バラ100g
・タクシー初乗りは、マッサージ10分
とイコールの価値がある、というような具合である。

これでは主婦はスーパーでおちおち買い物もできない。上記のような交換比率を全て記憶するのは不可能だ。そこで、N対Nの組み合わせ全ての交換比率を記憶しなくてもいいように、貨幣による値付けということで、あるモノやサービスの価値を表すことが生まれたのだ。これならば、ある商品Nに対して1通りの数値を代入すればいい。

めでたしめでたし。各人は、交換比率の暗記から逃れて、自分が得意な財やサービスの生産に打ち込んでください、というわけである。

さて、ここからが今日の本論。「評価」経済における評価というものは、当然ながら、ある人からある人への評価ということになろう。そして、「評価」というのものは、当然に評価する人によって影響され、厳密には一意には定まらない。AKBの熱烈なファン同士でも推しメンを巡って論争のあるように、あるいは、役員同士での査定・昇進判定会議における開発1課のA君の人事評価のように・・・当然に評価する人が違えば、ある人への評価というものは「割れる」わけである。

全ての人が評価者になり、被評価者になるであろう「評価経済」社会では原理的には、N人からN人への「評価」ポイントというか、評点的なものが、多様にあり得るわけだ。評価経済への参加者は、こういうN対Nでの多様な評価軸というものを脳味噌に入れたうえで振る舞えるものが望ましい、ということになる。

例の裁判で、木嶋被告が案外モテて?ていたことに驚愕した人が多いだろうが、人間の性的魅力や美醜というものは、古来から、相対的には「貨幣」経済に比べて「評価」経済の比率が、一定割合で存在感を持っていた。このことを下敷きにしながら、貨幣抜きの評価経済における流通・仲介機能というものを説明すると、「あ、今度の合コン、一人、ぽっちゃり(一般的な男性から見れば、残念な)女子が参加しちゃいそうなんだよなあ。うーん、仕込んだ連中からクレームが来るかも・・・どうしよっかな。お!、そういや営業のヤマダはポッチャリ好きで有名だったな!誘っとこ!」的な場面こそが、評価が「多様」だからこそ、あり得たマッチングなのだ。

評価経済での 流通・仲介業 は、このような非常に高度な合コン幹事的スキルを参加者に恒常的に求めることになる。これでは、実際には、ハードルが高過ぎて機能しないし、社会経済全体に適用される、という意味でのスケ―ラビリティなど望むべくもなかろう。

もし、N対Nでの多様な評価ということでなく、概ね「まあ、あの人は優秀だよね」「美人だよね」的にコンセンサスが定まってしまうたぐいの「評価」ならば、それは結局は、現状の貨幣経済にも接続されうるものである、と考える。身も蓋もないけど、「 高学歴は平均年収が高い」というたぐいのものだ。

私は基本的に岡田トシオ氏や高城剛氏的な炭鉱のカナリア的なアジテーション議論というものは大好きだ。

しかし、こと「貨幣経済」ということに関しては、単なる技術イノベーション(石炭から石油、フィルム⇒デジカメ)的な意味で、代替されうるものでないだろう、と考える。 あくまで現状起こっていることを正確にいうと、「評価」(資本)による貨幣経済の高度な拡張だと思う。

貨幣経済の「抽象度」というものを甘く見るべきではない。

いわゆるネットを通じた「評価」「評判」により、貨幣抜きで、ピュアに人どうしが性善説でユートピア的に繋がる的な議論というものは、あくまで超高度に発達した貨幣経済という土台のうえに咲く「砂漠のオアシスの花」という「美談」的なものでしかなく、「評価」の、ほとんどは、拡張された貨幣経済として回収されるのでないだろうか、と私は思っている。

最後に、余談だが、ヤップ島の巨石貨幣というものについて、(特に、難破した船で運ばれた巨石の持ち主にも、財産性が継続した、ということについて)、貨幣経済と評価経済の中間?事例というよりは、貨幣経済の拡張性の原始的形態として、非常に面白い事例なので、ぜひお読みを頂きたいものだ強く思う。これ、原始的な部族社会なんだか、超高度な評価経済なんだか、よーわからん面白バナシだけど、実に深い話である。


ま、そうはいっても超面白い本↓なので、未読の方は、お読みください。
かつての堺屋太一のポジションを岡田さんが取ってしまった気がします。

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている
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