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5月のテーマは「1万円から始める株式投資」 森永さんは常々、「恐慌のあとにはチャンスが来る、その時に備えて小額で投資の練習をしておきなさい」と言っています。 でも、投資と言われてもどうしていいかわ...


われわれ“メディア業界”人は、実は“コンテンツ業界”にいないのだとしたらどうする?いきなり冒頭から痛烈なパンチです。念のために整理すれば、FacebookやTwitter、Googleらは、コンテンツ自体の価値(意義)を問題にするのではなく、コンテンツへの関心や、コンテンツを紹介し合う人間関係に目を向け、それにより個々の人間へとアプローチする手法を体現していると理解します。
むろん、われわれはコンテンツを生み続けている。
だが、われわれが生み出す最大の価値は、実はそのコンテンツ自体にではなく、コンテンツが生み出すものの方にある。
それは、人々が関心を持つトピックやトレンド、その分野の達人などに関する情報だ。
それこそがFacebook、Google、Twitterらがコンテンツに見ているもの。コンテンツは“関わり合い(=リレーションシップ)についての信号機”なのだ。
彼らソーシャルメディアは、この信号を読み取っては人々にぴったりのコンテンツやサービス、広告を提供する。このようにして価値を精製しているわけだ。
彼らはコンテンツ業界にいない。リレーションシップ業界にいる。ならば、われわれもそうあるべきではないのか?
あるとき、米TVニュースの幹部が私にこう不満を漏らした。氏によれば、メディアの依って立つのは、サービスのように一人ひとりに奉仕するような営みではなく、工場のラインのように大量生産という仕組み、言い換えればマス向け事業でした。そのため、読者一人ひとりを識別したり、その好みに合わせるような行為が苦手なのだと指摘します。
「FacebookやGoogleは、(彼のコトバを借りれば--)メディアが生み出す鉄を使ってクルマを製造しているんだ」。「マーク・ザッカーバーグはコンテンツの価値を軽んじている」と。
それは違う。
ザッカーバーグ氏はわれわれ以上に、コンテンツに価値を見出している。
メディア業界人は、自分たちがコンテンツを作り続けているが故に、コンテンツには希少価値があり、自分たちがそれをコントロールできると思い込む。
他方、FacebookやGoogleは、コンテンツというものは、役に立たちそうもないもの、おしゃべり、そしてリンク等々、人々が際限なく生み出すものと見なした上で、そこから価値や利用用途を精製できることを知っているのだ。
この問いに対して、私はメディアを“プラットフォーム”と見なすことから始めるべきだと示唆しよう。筆者(藤村)の理解では、メディア業界にあるわれわれは、“コミュニティ”や“場”、そしてそこに集まる人々にもっと目を向けるべきだというのが、Jarvis氏の立論の中心です。
何かのテーマを知ろうとし、それに対しわれわれが応えることができるようなコミュニティ。そのためにあるプラットフォームである。
そして、コミュニティのメンバーが関心や知識を広く伝達・共有できるようにツールを提供する。Twitter、Facebook、ブログ、YouTube、Flickr、そしてTumblrがすでにある。
それらツールを膨大な流量の情報が通過する。われわれはこの大量な情報にいかにして付加価値を与えるかを学んでいるところだ。話題の選別、権威付け、品質、事実確認、文脈付与、整理……等々。
リアルな問いが生じる。何がビジネスモデルの問題か? 売上は? 利益は?氏の大胆な提言のおおよそは紹介できたと思います。結論部分の、「クリエーター」より「イネーブラー」、「製造」モデルから「シェア」モデルへのシフトは、従来のメディアおよびメディア人の定義を覆すものかもしれません。そのために気分を害される“業界人”もいることでしょう。
答えは、旧来の収入モデルを複製することからではなく、新たな効率性を見出すことから始まると信じる。
製造することは高くつく。共有(シェア)は安上がりであり、かつスケールする。
Facebookはもうすぐ10億人にも達するユーザーを、大きな新聞社程度のスタッフでサポートすることができるのだ。
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