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建国記念の日の産経「主張」を読んで

 これが一般紙の社説か。
【主張】建国記念の日 歴史への誇りこそ底力に
2012.2.11 03:02

 昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの「建国記念の日」は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。

 大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。

 わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。

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 宗教団体の機関紙かと見まがう内容だ。
 試みに神社新報のホームページを見てみると、建国記念の日を扱った1月30日の論説に、似たような箇所が多々ある。

 さて、ツッコミ所は多々あるが(命を賭した一般国民も多かったろうに、まず自衛隊の活躍を思い起こしたいってどんな先軍政治?とか、「紀元前660年の建国」などと神話を歴史的事実であるかのように語ってよいのかとか、震災に対して一致団結せずに民主党政権批判に終始し国論を分断したのは誰なのかとか)、ここでは次の2点について述べるにとどめたい。

1.「自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか」

 いわゆる保守陣営から、こういうことはしばしば言われる。
 私も保守を自認しているが、前にも書いたが私はこうした主張に同調できない。

 産経「主張」の言う「反日的な自虐史観」とは、いわゆる東京裁判史観、田母神俊雄がアパ論文で批判したわが国は「侵略国家」だとする見方を指すのだろう。
 そんなものが本当に現在でも「勢いを増し」ているのかどうか疑問だが、それはここでは置く。
 しかし、東京裁判史観にしても、せいぜいが満洲事変以降のわが国の国策を批判しているのだろう。
 論者によってはわが国の侵略性をさらに対華21箇条要求や韓国併合、日清・日露戦争、征韓論にまでさかのぼることがあるかもしれないが、それにしも明治期が限度だろう。あとは豊臣秀吉の朝鮮出兵ぐらいか。
 歴史のある一時期におけるある国策を批判することが どうして「自国の歴史を否定する」ことになるのだろう。

 では、産経の論法では、自国の歴史は一切批判すべきではないということにならないか。
 大東亜戦争における敗戦と占領が、60年以上経た現在に至っても、わが国の在り方を根源的に規定していることに産経も異論はないだろう。
 そして普段の論調から察するに、産経はその規定のありように不満なのだろう。私もそうだ。
 ならば、何故そのような結果に至ったのかと、昭和戦前・戦中期の歴史を批判的に見るのはむしろ当然のことではないだろうか。

 そしてそれは、「健全な愛国心」とは全く関係ない。

 人はごく自然に、生まれ育ってきたふるさとを愛するものである。
 それは、ふるさとが他の地域に比べて優れているからではない。自らの歴史の一部がそこにあり、それ故に愛着があるからである。
 もちろん、ふるさとに何かしら優れた点があれば、それを誇りに思うことだろう。だが、ふるさとがこれといった特徴のない地域、あるいはむしろ世間的には評価の高くない地域であったとしても、そのためにふるさとを否定することは普通はないだろう。
 愛郷心とはそういうものであり、それが自然に愛国心にもつながるのだろう。
 それが「健全な愛国心」だろうと私は思う。

 わが国はこれほどまでに優れている、だから国民は国を愛すべきだと説き、歴史における汚点に目を向けようとしない姿勢は、決して「健全な愛国心」によるものとは思えない。

2.「日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか」

 とてもおかしなことを言っている。

 米国のような人工国家が、誇りと自信を取り戻すために独立戦争を思い出せと言うならわかる。
 あるいは、旧ソ連が、ロシア革命や大祖国戦争を思い出せと言うなら。
 中国が、抗日戦を思い出せと言うなら。
 北朝鮮も、1990年代に「苦難の行軍」という、抗日パルチザンに由来するスローガンを掲げていたな。

 それらは、確かに建国の原点であろうから。

 だがわが国のように有史以来連綿と続き、建国の経緯が神話のベールに覆い隠されている国家にとって、それを振り返ることにどれほどの意味があるのか。
 そもそも神武天皇による建国とはどのようなものなのか、産経の論説委員は知っているのか。
 神の子孫たるカムヤマトイワレヒコノミコトが、日向から統治の地を求めて東へ向かい、どこそこへ行ってだれそれを倒した、またどこそこではだれそれを下した、最後は橿原で即位し天下を治めたという、ただそれだけの話である。
 わが国の建国の経緯がこのように語り継がれてきたことは知っておくべきだろう。だがこの物語をもって、どのようにして「国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻す」ことができるというのか、産経には具体的に説明してほしい。
 わが国は神の子孫によって治められた神国であり、神聖不可侵であり絶対不敗であるとでも言うのか。そうした妄想こそがまさに60余年前の敗戦を招いたのではないのか。

 国難に際して、もし韓国や北朝鮮が檀君の偉業を思い起こせと、中国が黄帝の偉業を思い起こせと説いたら、馬鹿じゃなかろうかと私は思う。
 この産経の「主張」が言っていることはそれに近い。

 そもそも、建国記念の日の前身である紀元節が定められたのは明治6年のことだ。それまでは、わが国の建国の日など誰も気にしてはいなかったのだろう。
 そして、明治政府がわざわざ紀元節などというものを設けたのは、単に欧米諸国の模倣にすぎない。
 わが国古来の伝統とは関係のない話である。

 私は、神話は事実でないから無意味だと言いたいのではない。そうしたものを我々の祖先が生み出し、語り継がれてきたのは事実なのだから、それにはやはり敬意を払うのが当然であり、後世に伝えていくべきであろう。
 ふだんなかなか思い起こすことのない日本神話に、建国記念の日にぐらい思いを馳せるのもいいだろう。
 だが、古来から、わが民族が幾多の国難を凌いでこられたのは、何も神の子孫であり万世一系の天皇を戴いてきたからだけではないだろう(ならば何故そのような主張が最高潮に達した先の大戦であのような未曾有の大敗を喫しなければならなかったのか)。むしろそれは、先人たちの努力に対して、あまりにも不遜な表現だろう。

 そして、神話は神話として、歴史的事実としての建国の経緯はどうだったのかもまた検証されなければならないだろう。
 『古事記』や『日本書紀』などの記述を重視するあまりに、実証史学の成果を軽視するのであれば、嘘で塗り固められた金日成一族の歴史を奉じる北朝鮮を嗤えまい。

 近年の産経の論調を見ていると、もし現在に津田左右吉や美濃部達吉、桐生悠々らが存命していたら、彼らですらも反日売国、自虐史観と指弾されそうで、暗澹たる気分になる。

付記
 2月11日は「建国記念日」だと私はずっと思っていた。正しくは「建国記念の日」であることをこの記事で初めて知った。

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