教育問題というと「今どきの若者はなってない」とか、「最近の若い親はなってない」といった感じで批判され、家庭の教育力の低下などが悪者にされる傾向があります。
私は「今どきの若者はなってない症候群」と名づけて、あんまり気にしないように心がけています。「今どきの若者」が怠惰で無能で無礼になり始めて4千年ほどです。
エジプトのパピルスでも、メソポタミアの粘土板でも、中国の甲骨文字でも、イスラム原理主義者の最新サイトでも、「今どきの若者」を非難する文言を見つけられるでしょう。
教育社会学者の広田照幸さんの本におもしろい指摘があります。出典を明記して、そのまま引用させていただきます。(*)
1950年代には、青少年を苦しめる社会関係の多くは、「日本社会の前近代性」とか「封建的性格」で説明されていました。家父長が絶対的な権限をにぎるイエ制度や、主人が使用人を隷属させる封建的主従関係のなごりが、年少者たちを抑圧状況においている、というのです。
教育問題について語る人の多くは、家庭の教育力が低下したとか、コミュニティの絆(きずな)が弱くなったとか、親がダメだとか、深く考えていないような常套句を並べがちです。そして「昔は良かった」としみじみと思い出にひたりながら、映画館で「ALWAYS 三丁目の夕日」に感動して涙するのです。
「家庭の教育力」と封建的・家父長的な家族関係は、かなりの密接に関係していると思われます。父親がきびしく体罰なども含めて教育していたとすれば、「家庭の教育力」は強くても、子どもの精神的抑圧はひどく、それはそれで問題があったかもしれません。
コミュニティの「絆」は、時として「縛り」にもなります。昔の農村社会は、逸脱すれば村八分が待っている世界であり、息苦しさも同時に存在していたことも忘れてはいけません。そうじゃなかったら、農村から都市に人口は流失しません。経済的理由だけで、農村人口が減っているとは思えません。
意地悪な見方ですが、農村的な相互依存「絆」社会は、ある意味で相互監視的で不自由な社会です。治安はよく安定していて、同時に不自由さも持っています。それを居心地良く感じて守りたい人がいても自然ですし、息苦しく感じて都市に出ていく人がいても自然です。
「少年犯罪の凶悪化が進んでいる」なんてことを言うのが、ワイドショーの“コメンテーター”の仕事なわけですが、実際のところは、凶悪な少年犯罪は増えていません。単にワイドショー等のテレビの報道量が増えているので、そういう印象を受けているだけのことです。
凶悪な少年犯罪が多かったのは1950~60年代です。いまの60~70歳くらいの人たちが若かった頃が、若者が荒れていた時代と言えるかもしれません。統計的には「今どきの若者」は、さほど凶悪ではありません。
そう考えると「今どきの若者はなってない症候群」に陥り、あやまった政策判断を行わないためには、工夫が必要です。現在の尺度で過去を見ず、相対化して判断する必要があります。
そのために「教育社会学」という学問は有効です。広田照幸教授の本は、距離を置いて物事を見る訓練に最適です。昔読んだ広田先生の「日本人のしつけは衰退したか」という講談社現代新書(1999年)は興味深く、特にお薦めです。頭の体操に広田照幸教授の本、ぜひご一読を!
*広田照幸、伊藤茂樹著「教育問題はなぜまちがって 語られるのか?」、日本図書センター、2010年、154ページ
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わかりやすく政局を解説する、みんなの党所属の衆議院議員。