明治維新以来、日本は第二次大戦に敗北するという挫折はあったものの、常に右肩上がりで経済成長を続けてきた。そして、その恩恵をより多くの人が特に戦後は受けたはずだ。
人間には誰しも向上心がある。そして、おそらく、向上心は努力に対して結果が伴ったと感じることができることでさらに強いものになるはずだ。また、達成感は人間の心をより豊かにするだろう。そこには達成→向上心アップ→努力→達成・・・というような正のスパイラルが存在するはずだ。
いくら、お金がもらえるからといってこれと言った目標もなく日々怠惰に生きていたのでは楽しくないと思う人も多いはずだ。人間は生まれながらにして怠惰な側面と向上心を持ち合わせているのだとぼくは思う。
そして、人間の向上心が多いに発揮され続けたのが明治以来のこの150年ほどの歴史だったのであろう。
そのような環境では人並みか、あるいは怠惰な人間でも自分なりに、頑張れば経済全体のパイがドンドン拡大する中で豊かになれたと実感できたはずだ。そして、それは多くの人の向上心を満たしたに違いない。
強いチームに所属してある程度つらい練習にも耐え、自然と甲子園優勝チームの一員となれるような感覚だろうか。もちろん、甲子園でいかに優勝しようともベンチ入りできなかった選手にとってはつらい思い出になる可能性もある。しかし、現実社会ではそこまではいかないだろう。ベンチ入りはできなくても、人並みに豊かになっていけることが実感できればそれなりの充実感はあったのではないだろうか?
翻って現代社会というのはどうであろうか?
おそらく、人並み以上の能力と努力をもってしなければ、豊かになっていることを実感できない世の中なのかもしれない。
そうなってくると、当然、人間の向上心はなかなか満たされないだろう。そして、以前書いたように、ゼロサムで世の中を見るような人間も増えてくるかもしれない。あいつが上手くいくと俺の取り分が減ると。(当然、パイがドンドン成長する社会ではあいつの成功は回りまわって自分の成功につながると感じられるはずだ。あるいは、そうやって自分の嫉妬心を抑えることがやりやすいはずだ。)だから、格差に対する怨嗟の声が広がっているのだろうか?
努力の結果が素直に評価されないことは人間にとてはつらいことだ。そして、多くの人が努力することをあきらめてしまうかもしれない。そうすると経済成長はますます停滞する。そういった悪循環が今起こっているのかもしれない。
明快な解決策は経済を成長させるだ。しかし、財政政策も金融政策もどの程度有効かは不明だ。だとすれば、政府にできることはない。イノベーションも徐々に起こりにくくなっている。もう一つの答えは、成長をあきらめるだろう。(あるいは、低成長を受け入れる)しかし、これは上記のような経路が成り立つならば、人々の向上心を削ぐ結果となり経済成長はさらに停滞するかもしれない。もちろん、偉大な起業家が大きなイノベーションを起こせば、また社会は変わってくるかもしれないが。。。今のところそれは望めそうにない。低成長を受け入れて勤労意欲を失うことはなく向上心という欲求を程よくセーブして心豊かに生きていく。これは至難の業でなかなか達成できるものではないかもしれない。
国家の没落とはそういったところから始まるのかもしれない。先進国の人々はもともと怠惰であったのではない。また、政府の政策の間違いのせいでもない。(もちろん、ぼくは政府による過剰福祉がそういった問題を引き起こしている面は強いと思っているけれども)低成長が人々の勤労意欲をさらに削ぎ、それがさらに低成長をもたらすという負のスパイラルが負のスパイラルが生じているのかもしれない。一方で正のスパイラルに入っている新興国はますますその発展を謳歌するのだろうか?
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