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認知省を患った父の「忘れてしまったことは仕方ない。できれば、一からやり直したい」という一言が忘れられません - 「賢人論。」第69回岸見一郎氏(中編)

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2006年に心筋梗塞で生死の境をさまよった哲学者・岸見一郎氏はその後、介護を経験。認知症を発症した84歳の父を見送った。ギリシア哲学、アドラー心理学、そして自身の大病の経験は、岸見氏の死生観や介護に対する考え方にどのような影響を与えたのか。介護現場における父親との関係を軸に、岸見氏独自の思想を語っていただく。

取材・文/盛田栄一 撮影/岡屋佳郎

父の記憶喪失は、私と父の共有していた歴史がすべて失われたように思えた

みんなの介護 岸見さんは、お父様の介護を経験されたと伺いました。介護されていた期間は長かったのでしょうか?

岸見 2009年から2012年までのおよそ4年間ですね。最初の2年間は、一人暮らしをしている父の自宅に私が通う形での在宅介護で、その後の2年間は介護老人保健施設のお世話になりました。父が80歳から84歳まで、私が53歳から57歳までの期間です。

父に介護が必要となったのは、アルツハイマー型認知症を発症したからです。母が亡くなってから、父は長く一人暮らしをしていたので、父の病気に気づくのが遅れました。ある日、父のクレジットカードが残高不足で決済できないと銀行から私のところに電話がかかってきて、それでようやく父の病気に気づいたのです。

みんなの介護 お父様を介護していて、「まさか!」と驚かれたことがあるそうですね。

岸見 ええ。それは、父が多くの記憶をなくしていたことです。私の母、つまり父にとっては愛する妻の記憶をもなくしていました。母の写真を見せても、父には思い出すことができませんでした。私からすれば、私と父の共有していた歴史がすべて失われ、私の存在までもが消失してしまったように思いました。

しかし、父の身になって考えてみれば、忘れたことにも意味があるのだろうと思いました。「四半世紀も前に妻を亡くし、その後一人で暮らしてきた」という事実を覚えていることが、80歳の父にとって、はたして幸せなことだったのかどうか。もしかすると、思い出したくない記憶として、母の思い出まで抑圧していた可能性もあります。そうだとすれば、無理に思い出さないほうがいいのかもしれない、とも思いました。

みんなの介護 お父様には、大切な記憶をなくしているという認識はあったのでしょうか?

岸見 認知症の症状が出ているときの父は、自分が置かれている状況がわからないまま、霧の中で一日を過ごしているような感じでした。とはいえ、ときたま霧の晴れることもあって、そんなときは周囲の状況をはっきりと把握できました。

あるとき父の発した一言が、今でも忘れられません。「忘れてしまったことは仕方がない。できれば、一からやり直したい」。父は、母のことを忘れてしまいましたが、霧が晴れた日には、母のことを幾分かは思い出せていたようなのです。しかし、どうしてもはっきりとは思い出せない。ですから「忘れてしまったことは仕方がない」という父の言葉は諦めの言葉ではなく、父の覚悟を示す宣言だったのだと思います。

みんなの介護 お父様の介護は大変でしたか?

岸見 大変でした。しかし、今思えば、時期的にはタイミングがよかったのです。私にとっては心筋梗塞で倒れて3年後、冠動脈バイパス手術を受けて2年後にあたり、ちょうど仕事をセーブしている時期でしたから。それだけ時間に余裕があり、父が一人で暮らす家を毎日訪れることができました。父の人生の最期の時期に、父と再び時間を共有することができて、今では感謝しています。

介護も子育ても、明日どうなるかを考える必要はないと思います。大切なのは、「今日一日」をどう生きるか

みんなの介護 実際にお父様の介護を経験した岸見さんに伺います。親を介護する上で、最も重要なのはどんなことだとお考えですか?

岸見 ありのままの親を受け入れる、ということです。

先ほど、生産性で人をみてはいけないという話をしましたが、現代社会で生産性至上主義に毒されてしまった人は、自分の年老いた親に対してさえも、とかく生産性の観点から評価しがちです。例えば、一家の大黒柱としてバリバリ働く父親や、家事や育児に奮闘する母親など、何でもできる親の姿を理想としてみてしまう。

すると、年老いて生産的なことが何もできなくなってしまった親に対しては、失望するしかありません。理想からのギャップがありすぎて、現実の親を理想から引き算してみるしかできなくなります。そうなると、親の介護はつらいものになりますね。親と接するたびに、弱った親を見て胸が痛むはずですから。

みんなの介護 そうなると、親との接触をためらってしまうかもしれません。

岸見 しかし、生産性で人をみることを止めれば、親に対する見方も違ってきます。人は、生きて存在しているだけで価値がある。そう思えると、年老いた親をありのままに見、ありのままの親を受け入れることができるようになるでしょう。

「親をありのままに見て、ありのままを受け入れる」ということが、親を「尊敬する」ということなのです。

みんなの介護 『老いる勇気』には、「介護が必要になった親は『今、ここ』を生きている」と書かれています。一方、「今、ここ」はアドラー心理学のキーワードでもあります。だとすれば、アドラー心理学の考え方は、介護という営みにおいても有効だということでしょうか?

岸見 有効という言い方は好みませんが、「今ここ」を生きることができれば、介護も親のことも違った風に思えるようになるでしょう。

介護はしばしば、子育てと比較されます。「介護と子育てはどちらも大変だけど、希望を持てる分だけ、子育てのほうが楽」といわれることがあります。子育ての場合、今日できなかったとしても、明日にはできるようになるかもしれない。だから希望が持てるし、努力もいつかは報われるというわけです。

一方の介護では、今日できたことが明日にはできなくなるかもしれない。しかも子育てと違って、介護はいつまで続くか先が見えない。だから介護は希望が持てないし、努力も報われない。そんなふうにいわれたりします。

みんなの介護 いつまで続くかわからない介護は、やはり先を見越す必要があるのでしょうか。

岸見 私は、介護も子育ても、明日どうなるかを考える必要はないと思います。大切なのは、「今日一日」をどう生きるか。「今、ここ」に常にスポットを当てていれば、介護もそれほどつらいものではなくなるはずです。

認知症だった私の父は、会話するとき、常に現在形で話をしていました。過去は思い出せないし、未来には考えが及ばない。つまり父には、常に「今、ここ」しかなかったわけです。そんな父は、ある意味において、人間の生き方の理想を体現していたのかもしれない、と思います。私たちのように、過去をいつまでも引きずって後悔することもなければ、未来を思って不安になることもない。ただ、そのときどきの瞬間瞬間を生きていました。

現在、私には8ヵ月の孫がいますが、屈託のない孫の笑顔を見ていると、晩年の父もこの子のように楽しく生きていたのでは…と、ふと思います。認知症になった父は、「今、ここ」に生きることの大切さを、身をもって私に教えてくれていたのかもしれません。

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