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世論の8割が死刑制度を支持する中で英国が廃止に踏み切った理由

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 7月6日、日本で元オウム真理教の教祖や元教団メンバーなどの7人に対し死刑が執行されたことで、欧州に衝撃が走った。

 欧州連合(EU)は死刑廃止を加盟の条件としており、域内での死刑は行われていない。加盟国の1つで1960年代に死刑制度が事実上廃止された英国に住む筆者も「衝撃」、「ショック」としか表現できない感情を持った。

  追い打ちをかけるように、7月26日にもオウム真理教の元幹部6人に死刑が執行された。

 EUの駐日代表部は、7月6日と26日の死刑執行の直後、死刑制度の廃止を前提とした執行停止を求める声明文を加盟国の駐日大使らと連名で発表している。

▽7月26日の共同声明
https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48869/node/48869_ja

 こうした動きに対し、日本語のネット上では、「内政干渉だ」という声をよく見かけた。また、ここ数年、欧州では街中でのテロ事件が相次いでいるが、実行犯はその場で射殺されることがほとんどであるため、「裁判を通さずにテロ犯を射殺する一方で、日本の死刑制度を非難するのは偽善的だ」という意見も目にした。

 「なぜ欧州では死刑制度が廃止されたのか」、と素朴な疑問も投げかけられた。

 「死刑」という選択肢がない英国に住む筆者は、ひとまずこの国でどのように死刑がなくなったのかを調べてみた。

死刑執行は一般市民が多く参加するイベントだった

 以下は英国の人口の5分の4を占めるイングランド地方が話の中心になる。

 古代の歴史を振り返ると、極刑としての死刑には様々な手段がとられてきた。絞首、斬首、釜茹で、火あぶり、溺死、四つ裂き、そして軍事犯罪の場合は銃殺など。しかし、5世紀ごろから次第に絞首刑が主流になってゆく。

 11世紀初頭、欧州大陸・ノルマン公国のウィリアムがイングランド王国に上陸し、ウィリアム1世として即位(在位1066~87年、ノルマン朝の開始)した。この時、死刑はいったん廃止された。しかしヘンリー1世の時代(1100~1135年)に再開され,重大犯罪(殺人、放火、追剥、窃盗など)を犯した人は裁判を経て死刑になった。

 「重罪」に相当する違法行為の範囲はその後の世紀で拡大してゆく。貨幣の偽造、強姦、横領、教会への攻撃などが追加され、18世紀までに教会、家屋、馬小屋などに重大な損害をもたらすような暴動を起こした人も死刑の対象になった。

 「魔女」とみなされる女性も死刑の対象となり、1720年代には死罪になる罪名は150、1810年代には300近くまで膨れ上がった。

 罪名が多いこともあって死刑を宣告される人は増えたが、恩赦が行われる場合もあり、宣告された人が必ずしも死刑となったわけではなかった。18世紀以降は当時英国の植民地だったオーストラリアに流刑する形も取られた。

 18世紀末ごろまでは、死刑執行は一般市民が多く参加するイベントの1つだった。日刊紙はいまだ十分に発達しておらず、字が読める人も限られていた中、公開処刑は正義が行われる場所として機能し、犯罪予防の意味も込められていた。貧富の差にかかわらず人々は処刑場の周りに集まり、処刑がよく見える場所を取るため、高額を払う人もいた。

 「極刑UK」というウェブサイトを運営するリチャード・クラーク氏によると、罪人は処刑台に上り、執行直前に白い布でできた袋を頭からかぶせられた。当初は荷車の後ろやはしごに付けた縄を首に回され、縄が首を絞める形で命を落としたが、死に至るまでには時間がかかった。そこで、足の下に深さ50センチほどの落下空間を作ることで、致死までの時間が短縮されることになった。その後、この落下空間は14~15メートル以上に伸びた。

知識人や新聞界から廃止の声上がる

 19世紀に入って、死刑に値する罪名は増えていたものの、実際の執行は増えず、イングランド地方から見て北のスコットランド地方、西部のウェールズやコーンウオール地方は殺人以外の罪名では死刑が執行されない流れができていた。

 議員の中に死刑につながる罪名の範囲を狭める運動を始める人が出てくると同時に、知識人、市民の間にも公開処刑の残酷さを指摘し、これを廃止するよう求める声が上がってくる。後者を主導したのはクエーカー教徒や著名作家のウィリアム・サッカレー、チャールズ・ディケンズ、世論の行方に大きな影響を持つようになった新聞界である。

 1840年7月、サッカレーはロンドン・ニューゲートで公開処刑に立ち会っている。執行の最後の場面は直視しなかったものの、それから2週間にわたって処刑の記憶に苦しめられたという。

 1861年、「殺人」、「国家反逆罪」、「暴力を伴う海賊行為」、「王室造船所への放火」のみが死刑に値する罪状となり、1869年には公開処刑が廃止された。これ以降、死刑は刑務所で行われるようになる。

 

 国全体で死刑廃止が支持されていたわけではないが、冤罪と思われる複数の女性犯罪者の処刑には多くの人々が同情の意を寄せた。

 1920年代、死刑廃止運動が新たな盛り上がりを見せた。エディス・トンプソンという女性とその愛人がトンプソンの夫を殺した罪で絞首刑となったが、トンプソン自身が実際に殺害に手を貸したかどうかには疑わしさが残り、執行に疑問符が付いた。

 道徳上及び人道的理由から刑法改革を目指す「ハワード同盟」や「死刑廃止全国協議会」が中心となって死刑廃止運動を進める中、1927年、労働党は時の党首でのちに首相となるラムジー・マクドナルドの指揮の下、廃止を求める「死刑についてのマニフェスト」と題された文書を発表する。篤志家の女性バイオレット・バンデル・エルストは、死刑は「野蛮」で「社会の害悪」として廃止運動を活発に行った。

 議会も死刑廃止を取り上げるようになり、1929年には死刑制度について考える委員会を設置。翌年には死刑執行の5年間の停止を提言した。しかし、重要性が低いと考えられ、死刑問題は政治の場からいったんは姿を消した。

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