現職の国会議員では言えないことばかりをこれから書いていこうと思っている。
自民党に縛られていたらとてもこれほど自由に物を言えなかったと思うが、フリーの立場を宣言したので、右であろうが左であろうが、まずはどんな意見に耳を傾けても差し支えない。読者の皆さんがどんなことを言っておられても、私には私の肥やしになる。
一回スリムになった身体だから、どんな物でもまずは食べてみる。不味いと思ったら食べなければいいだけ。痛んでいると思ったら、飲み込まなければいいだけ。毒だと思ったら、吐き出すことだ。
そういうフリーな立場での私の発言だから、私の意見は自民党の意見ではない。まして法務省や政府の見解でもない。すべて、私の意見である。
石破茂氏が先日の予算委員会で田中直紀防衛大臣に対し、自衛隊が何故合憲なのか、という質問をした。
この質問に正しく答えられる人は、実はいない。これは答えないのが一番正解に近いので、石破氏の解説が絶対に正しいなどと鵜呑みにはしないことだ。
もっとも、石破氏の解説が間違っている、とも言えないから、ここが難しい。こういう時は、お説ごもっとも、と逃げるところだが、お説ごもっとも、と言うと、すべてを肯定したように受け止められるから、そこが厄介だ。
憲法9条2項の芦田修正を根拠に、国際紛争を解決する手段としての武力の行使や戦力の保持には当たらないから、自衛隊が存在し、自衛隊が武器を保有しても違憲にはならないというのは、一つの憲法解釈であって、それが政府の有権解釈だとか、最高裁がそのように判断している、ということにはならない。
自民党の中で博士という異名を取る石破氏の所説ではあるが、私は憲法論については石破氏の所論には同調していない。
いつも自信たっぷりに主張されるが、いや、私の解釈は違う、ということになる。
これは仕方のないことである。
憲法の条文が良くないから、みんなが自分勝手に解釈し、自分が正しい自分が正しいと言い募っているだけだからだ。誰もが定見を持てないようになっている。だから、素直な人は自分で判断をしないようにする。合っているかも知れないし、間違っているかも知れない。よく分からない、といったところだ。
田中直紀防衛大臣は、基本的に素直なのだと思う。よく分からないから、先生のご意見を参考に勉強させていただきますということになる。
枝野自称法制局長官とは、違うところだ。
正解はないのだが、知識のある人だったら、政府はこれまでこういう風に答弁してきました。これを私は踏襲させていただきます、と答えるといい。
自分個人の解釈ではなく、これまでの政府としての公式の解釈はこうなっており、これを自分はこの段階で変えることはありません、と答えれば、よくそこまで知っているな、勉強家だなということになる。
まっさらの気持ちで憲法の条文を読めば、自衛隊は違憲の存在になる。憲法学者は、だから違憲論になりやすい。憲法の変遷を受け容れる人は、これまでの政府の憲法解釈の歴史をしっかり受け止めて、自衛隊合憲の難しい理屈を長々と述べることになるだろう。
自衛隊違憲・合憲論の世界は神学論争の世界だから、こういう世界には滅多に足を踏み入れないほうがいい。何が何だか分からなくなって、それでどうした、ということになりやすい。
みんなが自衛隊は違憲ではないと言っていますから、一部に異論はあっても今は自衛隊は護憲の存在です、ぐらいの感覚がほどほどである。
私は、勿論、自衛隊は合憲だという説に立っている。政府の針の穴を縫うようにして作り上げた自衛隊合憲説などにいつまでも固執しないでいい、という立場である。
昭和27年4月28日に日本が主権を回復した時点で、憲法が凹んだ、というのが私の認識である。国家としての自然権である自衛権の行使が許されるようになり、当然自衛のための組織を持つことも憲法上許されるようになった。そんな風に考えている。
まあ、憲法の変遷論の一形態ではある。
しかし、こんなことを言う憲法学者は一人もいないはずだから、これは私の独自の見解である。だからと言って、これが間違いだとも断言できないのだから、やはりこの問題については正解がないというのが一番正しそうだ。
如何か。
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元衆議院議員。弁護士としての立場から社会事象を分析する。