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RADWIMPSの新曲「HINOMARU」に関するから騒ぎについて

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バンドの「RADWIMPS」が発表した「HINOMARU」という楽曲が、古臭い馬鹿げた軍歌のようだと話題になっている。(*1)

彼らがこの時期に「HINOMARU」という曲を作った理由はとても商業的な理由だろうと考えられる。つまり東京オリンピックに向けて「頑張れニッポン」の機運が高まっている時に、メディアで流してもらいやすい曲を作ろうと、彼ら自身や彼らの周りにいる人達が考えたのだろう。

しかし残念なことに、付け焼き刃の知識で作られたのであろう歌詞(*2)は、見事なまでに内容がなくボロボロだった。特に「僕らの燃ゆる御霊」と自分のことを「御霊」と言ってしまうのは、そもそも日本語を理解しているのか疑うレベルである。

また「たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ」という、戦時の特攻隊を揶揄するような部分もあり、戦争で亡くなった人たちに対する敬意など一切感じられず、ただ闇雲にそれっぽい単語を並べただけという印象は強い。

オリンピックに合わせた日本応援ソングなら「御霊」や「たとえこの身が滅ぶとて」という、少なくともこの2つの戦争を想起させるワードさえ避ければ単に「それっぽい言葉を使ったしょうもない応援歌」でしかなく、歌詞に対する批判は起こらなかっただろう。少なくとも歌詞が批判されたのは、RADWIMPSボーカルであり、歌詞をつくった野田洋次郎氏の未熟さが原因である。

これらの批判に対し、野田洋次郎氏は自身のTwitterに謝罪文を掲載した。(*3)

その謝罪文には「軍歌であるような意図は1ミリもない」と書かれているが、意図がないということは、単にそれに本人が気づいてないと言うだけのことである。飲酒運転をしている人が「人を轢こう、事故を起こそう」として飲酒運転しているわけではないのと同じことであり、意図がないから問題がないという言い訳は通用しないのである。

本来、この話は「RADWIMPSがしょうもない歌詞の曲を出した」で終わるはずだったのだが、この批判を「利用」する人たちが現れた。

それが「HINOMARUに抗議しよう」という人である。その人は「HINOMARUに抗議するライブ会場前アクション」というTwitterアカウント(*4)を作り「RADWIMPSの『HINOMARU』に抗議し、廃盤と2度と歌わない事を求める」として、ライブ会場前での抗議活動を企てているようだ。(*5)

しかしながら、少なくとも僕が見る限り、この抗議活動に賛同する人は全くと言っていいほど見当たらない。

歌詞を批判している人でも廃盤にしたり、歌わないことを求める人というのは、ほとんどいないのである。わずかに見つけたのは「賛同はしないが、廃盤にしろと主張すること自体は尊重する」という抗議活動をすること自体には反対はしないという考え方の人たちだった。

そして、さらに厄介なのが、この抗議活動をさらに「利用」する人たちが現れた。それはこの抗議活動の存在を指して「サヨクが愛国心を示すという表現の自由を攻撃している」と主張したい人たちである。

彼らは、この大して賛同する人もいない、ごく一部の主張を拡大解釈して「サヨク」全体がRADWIMPSを潰そうとしているのだと吹聴し始めたのである。

するとネット上では多くの人達が「リベラルが表現の自由を潰そうとしている」といい始めた。そのいずれもが「誰が本当にCDを廃盤したり、歌を歌うなと主張しているのか」をろくに調べておらず、ただ「多数のサヨクがそう言っている」という主張を鵜呑みにしてしまっているのである。

彼らは「抗議活動もまた表現の自由である」と主張する人たちを「歌うなと言っている」とみなして攻撃し始めた。(*6)(*7)

ファミコンソフトの「マザー」では、「ギーグ」という敵が「うたをやめろ」というセリフを言うが、今ネットで行われていることは、ギーグが「うたをやめろ」と言うからと、マザーに出てくる敵がみんな「うたをやめろと言っている!」と大声で主張するようなものである。

「サヨクが廃盤にしろ、歌をうたうなと言っている。表現の自由を集団の圧力で脅かしている」と彼らは言うが、実際にそのようなことを主張している人はごく少数であり、CDの絶版や歌うなと言う声は決して大きくない。一方で「サヨクが」云々と言っている人はたくさんいる。本当に集団の圧力で表現の自由を脅かしているのは、むしろ「サヨクが」と主張している人たちだろう。

そもそも、今回「廃盤にしろ、歌うなとは何事だ!表現の自由を守れ!!」と叫んでいる人たちは、日頃は「テレビ朝日を停波しろ」とか「朝日、毎日新聞は廃刊にしろ」とか、是枝監督がカンヌで賞をとった映画「万引き家族」に対して反日映画であるとして「上映中止にしろ」と主張している人たちと重なることも多く、彼らが表現の自由など全く尊重していないことは明らかである。あくまでも彼らは表現の自由をネタに、自らのイデオロギーを主張しているに過ぎないのである。

そして当のRADWIMPSの野田洋次郎氏は、謝罪文を出した後のライブで「自分の生まれた国を好きで何が悪い」と叫んだらしい。(*8)

謝罪文はクライアントなどの要望で出したものなのかもしれないが、それを受け入れながら、味方の多いライブ会場では謝罪を台無しにするようなことを叫ぶなど、クソダサいにも程がある。

いわば、上司の前では理不尽に言い返すことができず、それにハイハイと従いながら、上司のいない酒の席でだけは不満を言って「本当はそんなことをやりたくないんだ」とか愚痴っているような、うだつの上がらないサラリーマンと同じである。

謝罪するくらいなら最初から配慮のない幼稚な歌詞を書くべきではないし、いかなる形であれ謝罪をしたならその内容を全うするべきである。それが最低限の大人としての責任というものである。ところがそのいずれも達成できずに、ライブの場で愚痴る。実にクソダサいという他はない。まぁ本人が選んだ道なのだから、クソダサいのもご自由に。

さて、僕が今回の事態に対して思うのは「多くのサヨクがCDを廃盤にしろ、歌を歌うなと主張している」という嘘が「流言飛語」と化しているということだ。単純なデマではなく、「ある意図」によってデマが流布、共有されることで、さも事実のように流言飛語は流通していく。

一例としては「子供を取り巻く環境がおかしくなっている」と主張したい人にとって「徒競走で、手をつないで一斉にゴールする学校がある」とか「給食でいただきますと言わせない学校がある」(*9)という流言飛語は非常に重宝される。

また、かつて80年台の後半から90年代にかけて「イラン人に子供がさらわれたとか、女性がイラン人に乱暴された」という噂が様々な街で飛び交うことがあった。しかし調べると、そもそもそのような事件は起きておらず、事実無根の流言飛語だった。

まだ日本に来日する外国人が少なかった頃、しかも外国人といえばイコール白人であった人たちにとって、中東の人たちという見知らぬ外国人は、底知れぬ恐怖を感じる対象だったのだろう。

その恐怖を、相手を知ることによって払拭するのではなく、実際に恐怖の対象であるということをうわさ話を通して確認し、自分の認識は正しいのだと「安心」する。そのような欲望から、長い間、中東の人達に対する素朴な恐怖という感情を通したこの流言飛語は、定番として語られ続けた。

僕は今回の「サヨクがRADWIMPSの曲を歌うなと言っている」という流言飛語は、これと同じものであると認識している。「サヨクなどの反日勢力が、表現の自由を脅かそうとしている」ということを、左派の主張をちゃんと聞くのではなく、ごく例外的な少数派の意見をクローズアップして「やはりサヨクは、私達のような国を愛する人間と違った、恐ろしい怪物だ!」と再認識して安心しようとしているのである。

もちろんそれは誤った認識なので、ちゃんと事実を認識している人からは批判されるが、その批判もまた「サヨクが文句を言ってくるということは、自分が正しいことを言っている証拠。サヨクは自分の正しい意見を弾圧しようとしているのだ!」と、偏見を強化するためのネタとしてさらに利用するのである。こうして、ある種の人たちにとってのごきげんなパラダイスが完成するのである。

それこそが彼らが「サヨクがRADWIMPSの曲を歌うなと言っている」という流言飛語を流すインセンティブであり、必要以上の大事になっている原因でもある。

最後に「図書館の自由に関する宣言」(*10)を取り上げる。

この宣言は、あるアカウントが今回の件に対して「表現弾圧は国家だけではなく、市民も行う証拠」として挙げたものだ。

第4 図書館はすべての検閲に反対する

 1,検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。

 検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。
 したがって、図書館はすべての検閲に反対する。

2,検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。

3,それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。

これを「市民も弾圧をする証拠」として取り上げた人は、この文章が図書館の自由に関する宣言では「国家による抑圧」と「市民などからの圧力や干渉」を明確に別のものとして提示していることを読めていない。

国が行う抑圧である「検閲」は民主主義と相いれないことを理由として、検閲そのものに「反対する」としているのに対し、個人・組織・団体からの圧力や干渉に対しては、わざわざ別項を作って「反対する」としている。前者は民主主義に相容れないから反対する、後者は民主主義に相容れないものではないが反対すると言っているのである。図書館の自由に関する宣言では、こうしてこの両者を明確に区別しているのである。

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