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"要注意"歌手同士の対談!なぎら健壱と高田渡の「悲惨な生放送」 ―田中秋夫

インターネットを利用したTVやラジオの「放送」が徐々に増えている。

地上波の放送とは違ってそこには放送法が適用されない為、極端な政治的主張を繰り広げても違法にはならない。

この「放送」と「通信」の融合の時代を理由に地上波の放送に適用されてきた放送法第4条の「政治的公平・中立」の条項を撤廃しようする動きも出てきた。

全国の民放テレビ・ラジオ各社が加盟している日本民間放送連盟には民放が誕生した1951年に制定された「日本民間放送連盟放送基準」があり、民放各局はそれに準じた各局の「基準書」を制定している。

その一環として59年に制定された「放送音楽などの取り扱い内規」の中に「要注意歌謡曲指定制度」というのがあった。

大衆に与える歌謡曲の影響力の大きさを考えて「公序良俗に反し、青少年に好ましくない影響を与える曲を放送に使用することを控える」ことがこの制度の骨子だった。その為に民放連の中に委員会が作られて、毎月発売される膨大な歌謡曲の中から「要注意曲」を選ぶ作業が行われた。

その中には高倉健の「網走番外地」や美輪明宏の「ヨイトマケの唄」、岡林信康の「手紙」、憂歌団の「おそうじオバチャン」等数十曲が「要注意歌謡曲」に指定されていた。

この制度は基本的には加盟各社が「放送するか、しないか」を判断する時の参考になるように設けられた制度であったのだが、事なかれ主義の民放経営者や番組制作者たちは「要注意歌謡曲」をそのまま「放送禁止曲」と認定して放送しないことが多かった。それが「言論の自由」を否定する制度だとしてフォークシンガーの山平和彦が72年「放送禁止歌」と題した曲を発売したことがあったが、予想通り「要注意」に指定されるという経過をたどった。

深夜放送ブームがピークだった77年、文化放送「セイ!ヤング」のパーソナリティに起用したフォークシンガー、なぎら健壱もこの「要注意歌謡曲」に指定された楽曲の制作者だった。

彼が73年に発売したアルバム「葛飾にバッタを見た」の中の1曲「悲惨な戦い」がそれだった。「私はかつてあのような悲惨な光景を見たことがない…」の歌詞で始まる曲で、国技館の相撲中継の最中に力士若秩父の付けていたまわしが外れる事件を歌ったコミックソングだが、日本相撲協会と行司の木村庄三郎を揶揄し、若秩父の名誉を傷つけたという理由で「要注意歌謡曲」に指定された経験の持ち主だった。

彼の「セイ!ヤング」に飛び入りゲストとして現れたのが、今は亡きフォーク界の吟遊詩人・高田渡だった。彼も「自衛隊に入ろう」や「生活の柄」などが「要注意歌謡曲」に指定されていた。「自衛隊に入ろう」は自衛隊に対する皮肉を込めた反戦歌で要注意に指定された理由は「自衛隊に入って花と散る~の歌詞が自衛隊を揶揄している」だった。

また、「生活の柄」は沖縄出身の放浪詩人である山之口獏作詞の名曲だが歌詞の中に「浮浪者」が出てくるという理由だけで「要注意」に指定されていた。

その「要注意」のフォーク歌手同士が深夜の生放送で対談することに担当者の私にも若干の危惧感が無かった訳ではない。しかし、なぎらも高田渡も普段は温厚で人々から慕われる人物だった。しかも、その日の渡は気を使って差仕入れに「中国の珍しい酒」さえ持参していた。実はこの酒が「悲惨な生放送」の要因になろうとは予測すら出来なかった。

高田渡が出演するゲストの時間までには多少の時間があったので彼にはロビーで待機して貰ったのだが、その間に彼は持参したその酒をかなり飲んでいたらしい。やがてゲストコーナーに移り、なぎらが高田渡の活動拠点である吉祥寺の街について聞きだすと話がはずんでいろいろ語りはじめた。そしてゲストの曲紹介になり「生活の柄」をオンエアーした。

私は当時「要注意歌謡曲」制度に懐疑的だったこともあって指定されていた曲でも構わず自由に選曲していた。その曲を完奏させて再び対談に移った時に事件は起こった。なぎらが彼に語りかけるのだが彼は下を向いたきり何も応えなくなってしまったのだ。

高田渡は数々のエピソード持ち主で、その代表的な話がステージで演奏中に静かになったと思ったら寝てしまっていたというのがある。今回もそれかとスタジオ内を見ると眼は開いている。

その時、なぎらが素っ頓狂な声で叫んだ。

「あっ!ひでえ!渡の奴がもどしやがった!」

私はすぐにオンエアーを音楽に切り替えてスタジオ内に飛び込んだ。鼻をつく異臭と共に床にぶちまけられた汚物が目に飛び込んできた。

「要注意」に指定された人物二人に対する危惧感は現実として目の前に展開されていた。

「悲惨な戦い」の歌詞には「NHKの生中継でまわしが落ちた若秩父の股間をアップで写した」とあるが、なぎらの実況中継によって状況はリアルにリスナーに伝えられ「悲惨な生放送」となった。

日本の放送史上、生放送のスタジオでこのような不祥事を起こした人物は後にも先にも高田渡だけだったのではないだろうか。彼は05年に56歳の若さで亡くなったが、最後まで反骨精神の持ち主だったと同時に愛すべき「要注意」人物だった。

なお、「要注意歌謡曲指定制度」は87年に廃止されている。

田中秋夫プロフィル

1940年生まれ。一般社団法人放送人の会・理事。元FM NACK5常務取締役。

1964年、文化放送にアナウンサーとして入局、その後、制作部に。「セイ!ヤング」や「ミスDJリクエストパレード」など深夜番組の開発に尽力し、ラジオ界での名物ディレクターとして知られる。1990年にFM NACK5に編成・制作の責任者として転籍。ラジオ番組のコンクールでは「浦和ロック伝説」「イムジン河2001」「中津川フォークジャンボリー」等で日本民間放送連盟賞受賞。

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