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アメフト問題の中に無形のコモンズを巡る葛藤を見る

日大の危険タックル問題は、ネット中立性の問題と似た構図の、コモンズを巡る立場の違いからくる対立が深層にあるような気がする

内田監督と宮川選手の意識の乖離と呼ばれているものは、ルールというものを無形のコモンズととらえるか、当事者間のネゴシエーションととらえるかの違いだと思う。あるいは、コモンズと自分の利害をゼロサムゲームと見るか、自分が依拠しているコモンズを維持、発展させていくことにこそ自分の利益の基盤があると考えるかの違い。

そもそも、アメリカンフットボールのようなコンタクトスポーツで思いきりぶつかれるのは、相手に対して「ここまではやるかもしれないがこれ以上はやらないだろう」という信頼があるからだ。それは単なるルールの条文ではなくて、ダイナミックに変化する試合の中のさまざまなシチュエーションを通して、「こういう場面ではこれくらいはOKだけどこれはありえない」という暗黙の合意があるということだ。

その合意は、過去の多くのプレイヤー、審判、大会の運営者などの関係者が長い時間をかけて、紆余曲折を通って築きあげたものだ。キレイごとではすまない部分も含めて、ゆるやかな合意があるから、このゲームに多くの人が魅力を感じて引き寄せられるのだろう。

空気のようにあってあたりまえでふだんは意識しないけど、なくなってみると、「これがないと我々みんな生きていけないね」というものをコモンズという。もともとは水源や牧草地などの有形の共有資産を指す言葉だけど、今は、むしろ無形のインフラを指すことが多い。

アメリカンフットボールで激しいタックルがどこまで許されるのか、という合意は、まさにコモンズだと思う。これが厳しすぎればゲームの面白さが半減するし、ゆるすぎれば選手が危険にさらされる。これの湯加減についてみんなが合意してはじめて、フットボールが競技として成立する。そして、おそらく、それはいったんできたら固定してそのまま使えるものではなくて、競技の技術や戦術の発展に従って、細かく微調整され続けなくてはいけない。マスコミやファンもそれが共有できるように、努力しなくてはならない。

「コモンズのおかげでみんな生きているのだから、当然、誰もがコモンズの維持に貢献しなくてはいけない」という意識をあたりまえに持てる人と、全くそれが見えない人がいる。

宮川選手は、前者のタイプで、「自分はアメリカンフットボールのコモンズを傷つけた」と考えている。だから、「資格がない」と自分を責めている。

内田監督は、後者のコモンズが見えない人で、ルールというものは、当事者間の合意でしかないから、たとえ問題となっても、関西学院と日大との間で話をつければ良いという考え方だったのだろう。

そして、関東学生アメリカンフットボール連盟が素早く厳しい処分を決めたのも、この問題をコモンズの危機ととらえているからだろう。ここでコモンズを守らないと、今後、選手も監督も、ゲームの中で自分たちは相手と何を競うのかについて、疑心暗鬼になっていく。それは、観客などの周辺にいる第三者にも伝わり、アメリカンフットボールという競技そのものの魅力が失なわれてしまうのではないか、そういう危機感があったように感じる。

コモンズが見えない人は、コモンズを意識する人のことを「幼稚で大人になってない」と見ることが多いような気がする。そういう意味で、内田監督が宮川選手に厳しいプレッシャーを与えて追いこんだことが「教育的な目的のため」というのは、私は嘘ではないと思う。内田監督にとっては、ルールというものを自分と同じように見る人間になることが成長の証しなのだ。

「ネゴシエーションによって自分に有利な方向にルールを動かす」ということは、立派な戦術であるだけでなく、そういう視点を持てることが「大人の条件」と考えていたのではないだろうか。大人というのは自分の属するコミュニティの利害を第一に考えるべきで、その利害の一つとして、コモンズを操作して自分の有利な方向に持っていく技術を、宮川選手に身につけさせようとした。だから、逆に言えば、それを極端にあからさまに行なうことは期待していなかった。

しかし、宮川選手は、コモンズの利害=全フットボール関係者の利害という見方から出ようとしなかったので、内田監督は、彼のこの意識を変えようとして、「追い込み」をした。これが宮川選手を、全く出口の見えない混乱に追いこみ、過激な反則タックルとなってしまったような気がする。彼にとっては、コモンズと自分のチームのゼロサムゲームという観点が想像を超えていたので、両者の利害をきめこまかく調整をする、つまり、もう少しわかりにくい反則をしてコモンズの被害を最小限にしつつ自分の利益を最大化するという発想は持てなかったからではないだろうか。

問題の試合後、内田監督は「宮川はひと皮むけた」と上機嫌だったが、宮川選手が「コモンズの利害=全フットボール関係者の利害」という呪縛から脱することができたと思っていたのだろう。

内田監督は、釈明の会見で、4年生と3年生の意識の違いを強調していた。これを場違いな意味不明の脱線と感じた人が多かったようだが、私はこれこそが問題の核心であるように感じる。コモンズが平等にみんなのものであるという「幻想」に執着し、コモンズの隙間をかいくぐり個別のネゴシエーションに引きずり落とすことができる「大人」になろうとしない世代が生まれつつあるのを感じて、その代表として宮川選手を「脱皮」させようとした。

これは「老害」と呼ばれる問題に多く見られる象徴的な構図だと私には思える。

日本が急速に没落しているのは、日本がネゴシエーションの技術を洗練させることで社会のさまざまなシステムを回してきたからだろう。相手や文脈によって言葉を微妙に変えることにネゴシエーションの本質がある。それができる人が「大人」と呼ばれていた。

しかし、今は全ての言葉は潜在的にパブリックであって、いつ録音されどこで公開されるかわからない。全ての個人と組織は常にコモンズに対して一貫した言葉を持てるようにしないといけない。それができて、コモンズの維持発展に貢献できる人間こそが、「大人」と呼ばれるべきだろう。

技術を理解することではなく、技術によって強制的に実体化しつつあるパブリックなものやコモンズを意識した言動が求められているのだ。

ネット中立性の問題も同じだ。インターネットが今のようなものであると多くの人が合意できている状態はコモンズである。この信頼があるから、多くの人が自発的にこれに献身してこれが発展しているのだ。

ネット中立性を無くすことは、この信頼を損なうことによって、特定の誰かが利益を得るということだ。ネットは見る人によって違うものが見えたり見えなかったりする世界になる。単なる通信速度の調整だと言うが、動画中心のユーザにとっては、遅いとはつながってないに等しい。これが進めば、インターネットが「インター」でなくなり、不公正で非効率なバラバラに分断された個別のプライベートな「ネット」になってしまう。

コモンズを損なうことで一時的な利益を得ても、大局的には自分も損しているという現実が見えない人の方が幼稚だと私は思う。

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