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電通やスカパーに勤務し、母校の監督も…元Jリーガー外池大亮氏が語るキャリア論

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“パラレルキャリア”や“副業”という言葉を日常的に耳にするようになり、1つの職業につきながらも幅広く活動をすることが認められる時代になってきている。

しかし、こと“スポーツ選手”という職業に視点を移すと、その考えが当てはまるとは言えない。「アスリートは競技に集中すべき」という論調は昔から強く、競技で結果が出せなかった際には、要因としてアスリートが行っている課外活動がやり玉に挙げられことが多い。

とはいえ、ただでさえ体に負担がかかるトレーニングや試合を四六時中続けることはできない。そして、“競技だけに集中してきた”結果、アスリートのセカンドキャリアの選択肢が狭まってしまうことも問題となっている。

もはやプロスポーツ選手ですら「スポーツだけをやっていけば良い」という時代ではなく、変化し続ける世の中において、引退後の人生を充実させるためにもビジネスマインドを持つことが重要になってきている。そして、そうした能力を身につける時間は、現役時代にも多く存在する。

今年から早稲田大学ア式蹴球部(サッカー部)の監督に就任した外池大亮氏は、早稲田大学を卒業後、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、11年に渡り7クラブでプレーを続けた。彼は現役時代からオフ期間を利用して一般企業へのインターンに赴き、引退後は電通に就職。

現在はスカパーJSATグループでサッカーコンテンツ事業として試合中継、関連番組編成や制作、広告営業などに関わっており、それと並行して大学サッカーの舞台でも指導を行っている。異色の経歴を持つ外池氏に、現役時代に競技以外の分野に目を向けた理由や、キャリアに対する考え方について話を聞いた。

26歳で経験した戦力外通告


現役時代は中田英寿や中村俊輔とのプレーも経験した外池氏

僕がプロ生活をしながら一般企業でのインターンを始めたのは2003年、ヴァンフォーレ甲府からサンフレッチェ広島へ移籍するタイミングのオフです。

きっかけは、2002年のオフに横浜F・マリノスから解雇され、全くオファーが来ない状況を経験したことでした。その年に第1回トライアウトがあって、そこでゴールも決めたので「これは絶対いける」と思っていたのに、他のクラブからなかなか声がかかりませんでした。そのまま2月になって多くのクラブがどんどんキャンプに入っていく。そのときに初めて、自分の頭に “引退”という選択肢がよぎりました。

そして、引退後の生活を相談しにJリーグ事務局に相談に行ったんです。すると、その年からキャリアサポートセンターというものが出来て、様々な企業が現役選手をインターンで受け入れるという活動をスタートしていくと聞きました。

その時、引退という選択肢に向き合っているにも関わらず、自分にはその後のキャリアについて引き出しもアイディアも意欲もないことを痛感しました。そうした中で、Jリーグにそういう制度があることを聞いて、すごく魅力的だと感じたんです。とはいえ、まだ制度が開始していなかったので、具体的に何かに取り組むことは出来ませんでした。

その年は結果的に、甲府から練習生の話をいただき、そこから契約を勝ち取りました。入団した甲府は当時J2の下のほうのチームで、環境も良くなく「とんでもないところに来ちゃったな」と思ったこともあったのですが、結果的には、甲府というクラブで自分の道が拓けたと思っています。

観客増に感じた“プレー以外の活動”の手応え

当時海野一幸(現ヴァンフォーレ甲府会長)さんが社長になったばかりだったのですが、彼が僕を導いてくれたんです。海野さんは、「お前は素質があるからサッカー以外のこともどんどんやれ」と言ってくれました。集客の方法や、地域創生といった形で地元を盛り上げていく時にJクラブとして何をすべきかを考えてどんどん行動しろ、と。

その動きはクラブのためにもなっているし、むしろサッカーだけやる選手よりも、アスリートとして、あるべき姿だということをいました。こうした方針もあって、地元の山梨日日新聞さんやYBS山梨放送さんなどと一緒にコンテンツを作るといった経験もしました。

それまで所属した横浜F・マリノスやベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)とは異なり、当時の甲府は地元のメディアと非常に近い関係だったので、毎日練習にもグラウンドにも足を運んでくれて、そこで収録された素材が毎日の夕方のニュースで流れていました。その中でインタビューではどういう話をしたら視聴者に興味を持ってもらえるか、どういう企画ならよいのかということをスタッフの皆さんと一緒に考えたりしました。

このように様々な活動に関わっていった結果、入団当初2〜3,000人だった観客が増えていきました。半年程ホーム無敗を続けたり、途中から小倉(隆史)さんも加入したり、と色々なスイッチが入ったことによって最終的には8〜9,000人がスタジアムに足を運んでくれるようになったんです。

こうしたクラブの変化を目の当たりにしただけでなく、自分もそこに関われたことは非常に良い経験になったと今でも感じています。そして試合での活躍も認められ、オフにJ1の広島からお話をいただいて移籍をすることになりました。

外部の世界に身を置くことで、サッカーの立ち位置を考える

甲府での1年は入団までの流れも含めて自分の人生の中でも大きく“跳ねた”期間だったと思います。その後も、広島、山形、湘南と移籍をする中で毎回オフ期には、先程お話ししたJリーグの制度を利用して、インターンに参加し、サッカー産業に関わる企業で働かせてもらっていました。具体的には中日新聞さん、アディダスさん、リクルートさんなどですね。

インターンに参加する時は、「自分が将来どうしたいか」という視点からではなく、自分が所属している“サッカー界”に関わる様々な領域で生きている人たちとコミュニケーションをとって、彼らが「サッカーに何を求めているのだろうか」ということを知りたいと思って動いていました。

「良いプレーを魅せる」ことは大前提ですが、サッカーあるいはJリーグが提供している価値はそれだけではないはずです。なので、外部の人が「サッカーにどの様な価値を求めているのか」という視点を持つことが、自分の選手としての価値も高めると考えていました。だからこそ、現役選手でありながらも、こうした活動を続けていたのです。

現役としては11年間プレーして、自分の中でやりきった感覚も生まれたので引退を決意しましたが、引退後に何をするかは決めていませんでした。結果的に、電通からお誘いをいただき、そこで引退後のキャリアをスタートさせました。

インターン中に感じた周囲からの冷ややかな目

現役中に、インターンに参加していたときに、「引退した時のことを考えているやつと一緒にサッカーをやりたくない」と言われたことがありました。「そう考えているのだったらすぐにやめた方が良くない?」と。

要は“選手を辞めた後そこに就職する”というような意味合いでしか、インターンという制度を捉えていなかったんです。もちろんプロ選手というプライドもありますし、そういう考えを受け入れたくないというのは、その局面だけで切り取れば理解できます。でも、自分はそういう台詞を言われたからこそ現役を長くやりたいと思いました。

インターンを始めてからも5年間現役で選手を続けましたが、それは “ここでやめてしまったら自分のやり方に全く説得力が無くなってしまう”と考えたからです。それをモチベーションにプレーを続けて、2007年に自分でも「やりきった」と感じたので引退しました。

「外池さん何やっているのかな」「あの人、周りと違うところにいるよね」と現役最後の年はよく言われていたのですが、今も交流ある当時のメンバーからは「あの時の外池さんの生き方が理解できるようになった」と一様に言われます。仲間達が当時はわからなくてもそれを今、感じてくれたのはすごく嬉しいです。例えば、僕が電通に入ってから「電通に行きたい」という人も出てきて、今元Jリーガーが10人以上いるはずです。

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