記事

初来日! イスラーム発祥の地「サウジアラビア」の絢爛たる「至宝」 - フォーサイト編集部

1/2
[画像をブログで見る]

 アラビア半島は、古代から重要な交易路が張り巡らされ、諸文明が繁栄してきた。このアラビア半島の大部分を占めるサウジアラビア王国は、アラビア語で「サウード(家)によるアラブ(の王国)」という意味を持つ専制君主国。マッカ(メッカ)とマディーナ(メディナ)というイスラーム教の2大聖地を擁するイスラーム世界の中心的存在だ。

 サウジアラビアは1972年、国内の考古学の重要性を考慮し、現「サウジアラビア国家遺産観光庁」(長官はスルターン・ビン・サルマーン王子)の前身となる「サウジアラビア考古最高評議会」を設置。その40年あまりの考古学的調査、発掘活動で発見された考古遺跡は、1万カ所を超えるという。

 1月23日から東京国立博物館で開催されている『アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝』では、サウジアラビア国内の博物館の収蔵品から選ばれた400件以上のまさに「至宝」と言える貴重な文化財が、日本で初めて公開される。前期旧石器時代に加工されたアジア最古級の石器をはじめ、約5000年前に砂漠に立てられた『人形石柱』、ヘレニズム時代、ローマ時代に栄えた古代都市の出土品、イスラームの聖地マッカの『カァバ神殿の扉』、サウジアラビア初代国王の遺品など旧石器時代から現代まで、数千年にわたるサウジアラビアの躍動の歴史と文化を今に伝えている。

90センチの裸身

 人類がアラビア半島に移住したのは、100万年以上前のことだという。サウジアラビアの旧石器は、アフリカで生まれた人類がユーラシア大陸へ歩み始めた、その足跡をたどる貴重な資料でもある。また近年、南部のマカルで発見された遺跡から動物を象(かたど)った多数の石像が掘り出され、その中には首に紐を思わせる線がある「馬」のような石彫があり、この「馬」が歴史を覆すのではと注目を集めたことがあった。と言うのも、これまでは馬がアジアで家畜化されたのは紀元前3000年頃からだと考えられてきたが、この石彫は紀元前6500年頃のもの。今後の調査が待たれる「大発見」となる可能性を秘めているのだ。

[画像をブログで見る]

 そんなアラビア半島が歴史文書に初めて登場したのは、今から4500年前の紀元前2500年頃。メソポタミア(現イラク)ではすでに大きな都市が生まれ始めていたが、そこで出土した粘土板文書に、アラビア湾(ペルシャ湾)沿岸の地域が「ディルムン」と呼ばれていたことが記載されていた。ここは、インダス文明とメソポタミア文明を結ぶ中継地点として繁栄していたことがわかっている。

 「タールート島という当時の貿易拠点から出土した『祈る男』に、活発に交流する文化の片鱗が見えます」というのは、東京国立博物館の小野塚拓造東洋室研究員。

 「スキンヘッドのどんぐり眼の人物が胸の前で手を重ねるポーズは、メソポタミアの都市シュメールで見られる様式です。ただシュメール様式の像は30センチほどと小さく、長いローブ(上着)を羽織っていますが、これは94センチもあって、裸身。異質な感じを受けます。このことからメソポタミアの影響を受けながらも、独自の人物像に発展していったことがわかります。

 もう1つの見どころは、文様が刻まれた緑泥岩の容器。絡み合う2匹の蛇やナツメヤシなどの文様は豊かさの象徴でした。現在のイランで生産され、それをディルムンの商人が輸入。そしてメソポタミアの都市社会の支配者層に輸出していました」

[画像をブログで見る]

 紀元前1000年まで時代が下ると、アラビア半島ではヒトコブラクダが家畜化し、荷駄として利用されるようになった。そのため、陸路での長距離交易が可能になり、内陸部のオアシスを結ぶ「隊商の道」が発展し始めたという。

 「アラビア半島の南部の山で採れる乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)などの香料は、宗教儀式に使う薫香として、また殺菌作用のある没薬は防腐剤としてもメソポタミアやエジプト、地中海世界で珍重され、金と同じ価値を持つようになりました」

 この香料による隊商交易で、紅海に平行して伸びるナジュラーン、ヤスリブ(マディーナ)、ダーダーン(ウラー)、タイマーを結ぶ交易路が発達。半島を横断して東へ延びるルートも開かれ、その途上にあるカルヤト・アルファーウもまた目覚ましい繁栄を見せた。

[画像をブログで見る]

 「北アラビアのオアシス都市タイマーは、南アラビア、エジプト、メソポタミアを結ぶ十字路として、各地の王から注目されていました。新バビロニアがエジプトとの戦いに勝利すると、北西アラビアへの影響を強め、最後の王ナボニドス(在位前556~前539年)は香料交易から出る富を押さえるために、当時世界の中心だったバビロンを離れ、前553年から10年間、タイマーに滞在します。ナボニドスのタイマー逗留は、その後の北西アラビアの文化に多大な影響を与えました。この当時の出土品『柱の台座または祭壇』は、神官が儀式をしている場面ですが、羽が生えた日輪や星にはメソポタミアの、下部に描かれた聖牛アピスに似た牛と神官にはエジプトの宗教的モチーフが見られます。様々な地域の図像が混じりあっていたのです」

エジプトとヘレニズムの習合神

 交易都市カルヤト・アルファーウはサウジアラビアの首都リヤドから南西に700キロ、半島南部を占める広大なルブゥ・アルハーリー砂漠の端に位置する。1970年代から発掘調査が行われ、住居や市場、道路、墓地、神殿など多くの遺跡が発見された。東京国立博物館の白井克也考古室長は、「国際色豊かな都市だった」と話す。

 「ここでは青銅でできたギリシャ神話の英雄ヘラクレスや狩猟の女神アルテミス、エジプトのホルス神の子ども時代の姿がギリシャ化したハルポクラテス、エジプトの女神イシスとヘレニズム世界の女神テュケーが習合したイシス=テュケーなどが出土されています。異なる文化の神が交じり合っていて、文化交流が盛んだったのでしょう。豊かな家を飾っていたと見られるフレスコ画にもその影響が見られ、ギリシャのお酒の神ディオニュソスの背後に葡萄が描かれている『饗宴』からは、交易によって外来の文化を取り入れていたことがわかります。アラビア半島で葡萄は育ちにくく、ワインは輸入品でした。そのワイン用に使っていたと見られる杓子と器は、銀製で金メッキがほどこされていて大変贅沢なものでした。

[画像をブログで見る]

 カルヤト・アルファーウが栄えていたのと同じ頃、アラビア湾岸の海上交易で栄えたテル・アッザーイルからは、葬送用の黄金のマスクが出土しています。1世紀頃のもので、6歳前後の少女が金のマスクや手袋、ネックレスなどの装飾品を身に着けてお墓に葬られていました。葬送用ベッドの脚にも、女性の姿が彫刻され、非常に裕福な生活を送っていたようです」

 隊商都市の1つ北西アラビアのウラーもまた、ナボニドスが滞在した都市だが、ここを拠点に前6世紀にはダーダーン王国、前4世紀末にはリフヤーン王国が成立している。この辺りを中心に交易活動を行っていたナバテア人は、前168年にナバテア王国を建国。隊商都市を次々と掌握するも、106年、ローマ帝国によって滅ぼされている。

あわせて読みたい

「文化」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    新駐米大使で慰安婦問題が解決か

    一般社団法人日本戦略研究フォーラム

  2. 2

    JALの時代錯誤なアイデアに驚き

    笹川陽平

  3. 3

    志村けん新・側室はアノ女優の娘

    文春オンライン

  4. 4

    平昌五輪 フィギュアで採点不正?

    一般社団法人日本戦略研究フォーラム

  5. 5

    高木美帆&菜那「転べ」と嫉妬も

    女性自身

  6. 6

    大型空母の中国vs軽空母の日本

    木村正人

  7. 7

    五輪で見えた北主導統一シナリオ

    PRESIDENT Online

  8. 8

    橋下氏 夫婦別姓の実現に究極論

    PRESIDENT Online

  9. 9

    北の「時間稼ぎ」に乗っかる韓国

    NEXT MEDIA "Japan In-depth"

  10. 10

    獄中の籠池氏 一時は車椅子生活

    文春オンライン

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。