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四半世紀の時を経て明かされる「検証しない国・日本」への警鐘―書評『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』

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20年以上封印されていたカンボジアPKOの「真実」

読みながら、何度か目に涙を浮かべた。

事実を淡々と記述することは、これほどまでに胸を打つことなのか。徹底的に事実を積み重ねることにこだわる姿勢がひしひしと伝わってくる。当事者たちの手記、そしてインタビュー内容を中心に構成する手法が、あまりにも深く心に響いてくる。

著者がディレクターとして属するNHKの調査能力は確かだ。それにしても、事実の積み重ねの中で浮き上がってくる、約四半世紀にわたって封印されていた当事者たちの強い思いが、あまりにも圧倒的なものとして、読者に迫ってくる。

「当事者」とは、1992年から93年にかけて、カンボジアの国連PKO(国連カンボジア暫定統治機構[UNTAC])に派遣されていた、75人の文民警察官のことである。

彼らのうちの一名は、車両で走行中に武装勢力に銃撃されて殉職した。今日にいたるまで、高田晴行警視は、日本の「国連PKO協力法」で派遣された要員の中で、唯一の殉職者である。

カンボジアに派遣されていた岡山県警の高田晴行警部補が武装グループの襲撃を受け、死亡。仲間に運ばれバンコクに到着した高田警部補のひつぎ=1993年5月(提供:共同通信社)

本書『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実 』は、高田警視の殉職に焦点にあてながら、カンボジアに派遣された75名の警察官たちの当時の思いと、現在の姿を克明に描き出す力作だ。1992年から93年にかけて、カンボジア各地に飛び散っていった文民警察官たちが、どのような苦労をしていたか、ということだけが描かれているのではない。高田警視の殉職という不可逆な事実に対して、彼らがその後の人生でどのような思いを抱えてきたのか、ということも明らかにされている。

連日のように銃撃音が鳴り響く中で暮らし、カンボジア各地で国連要員を狙った事件が頻発していく中、文民警察官たちは、現実に憤りながらも、必死に自己防衛の策を講じ、心配する家族を案じ、そして離れ離れになっている仲間たちを励まし続けた。その姿は涙ぐましい。

武器の携帯が禁止されているにもかかわらず実は自動小銃を購入していたと告白する者、職場放棄をせざるをえない心理状態に追い詰められお金を払って同僚に自分の身代わりをさせていたと懺悔する者、当時は語られていなかったエピソードが、本書では克明に紹介されている。

カンボジア以降、日本の警察官の国連PKOへの参加は滞っている。断続的であるとはいえ、施設大隊派遣による貢献を、東ティモール、ハイチ、南スーダンで行った自衛隊と比しても、警察官の貢献の欠落は顕著である。四半世紀前、カンボジアに75名を派遣してからは、東ティモールに3名程度を短期で送っただけで、あとはほとんど送っていない。

本書を読めば、日本の警察にとって、カンボジアでのPKO参加、そして高田警視の殉職が、いかに重たい事件であったかが、わかる。だがそのことは、当時カンボジアに派遣された警察官一人一人にとって、どのような意味を持っているのか。そして今日のわれわれ日本人一人一人にとってどのような意味を持っているのか。本書は、淡々とした筆致の奥から、様々な問いを投げかけてくる。

成立の瞬間から時代遅れになっていた国連PKO協力法

1991年の湾岸戦争の際、巨額の財政負担を果たしながら、人的貢献ができなかったことは、日本に大きなトラウマを残した。そこで国連PKOに参加して「国際貢献」を果たすために、1992年に国連PKO協力法が作られた。カンボジアにおけるPKOに参加することを意識して急ぎ成立させた法律であった。

しかし世論は分断された。自衛隊の海外派遣につながる国連PKO協力法に対しては、いわゆる「護憲派」勢力からの激しい反対運動が巻き起こった。「海外派兵」は「日本を戦争をする国にするもの」で、「憲法を破壊するものだ」といった批判の声が、大きく高まったのであった。同法の成立後も、自衛隊のカンボジアへの派遣をめぐって、いわゆる護憲派勢力による反対運動は続いた。

宮澤喜一を首相とする当時の自民党政府は、カンボジアの国連PKO活動に自衛隊、文民警察、そして選挙要員を派遣し、撤退をさせることはなかった。しかし自衛隊施設部隊約600人と停戦監視要員8人の任務完遂を待たず、宮沢内閣は衆議院選挙で過半数割れを喫し、93年8月に退陣した。

国連PKOへの貢献が、自民党下野の直接的な原因であったわけではないが、要因の一つとなったことは否めない。25年を経た今もなお、1993年のカンボジアの国連PKOへの貢献が、日本政府による最大数の人的貢献の記録となっている。

国連PKO協力法は、国内におけるいわゆる護憲派勢力の反対に直面した結果、矛盾を抱えながら成立したものであった。冷戦終焉後の激動の中で、国連PKOは大きな変質を経験していた。しかし国連PKO協力法は、冷静時代の国連PKOをモデルにしたものであった。ぞのため、成立の瞬間から時代遅れになっていた、と言っても過言ではない。

停戦監視を主任務とするのが国連PKOだという観念は、仮に冷戦中にはあったものだとしても、もはや骨董品のような理解だ。武力行使の程度の問題だけでなく、行政機構に深くかかわる支援を行うなど、活動の性格も大きく変わっている。紛争後の社会に「法の支配」の確立を目指す多岐にわたる活動を行うのが通常となり、たとえばかつて文民警察(civilian police)と呼ばれていたPKOの警察部門は、国連警察(UN Police)と名乗るようになり、積極的に法執行活動を行うことも珍しくなくなっている。

冷戦終焉後の飛躍的な国連PKOの拡大の中で、新しい活動形態も模索された。カンボジアにおける国連PKOは、そのような過渡期を代表する巨大ミッションであった。

しかし日本政府は、国連PKO協力法の成立、カンボジアへの要員派遣にあたって、現実が何であるのかについて率直に語ろうとはしなかった。国内世論が分断されている中で、できるだけ世論に動揺を与える内容を語ることを避けようとする配慮が、政府関係者に働いていた。

実際には、和平合意がなされた上で国連PKOが展開したとしても、脆弱な政治環境の中では、危険と隣り合わせの任務を強いられる可能性が高いことは必至である。ましてカンボジアにおける国連PKOは、当時の水準で最も野心的な内容を持つ活動であった。「平和だ」「何も起こらない」という説明を押し通すだけでは、やがて現実とのギャップが露呈するだけであることもまた、必至であった。しかし日本政府は、最後まで、法律と現実との間のギャップを語ることを避け続けた。高田警視が、そのギャップのただなかで尊い命を犠牲にした後も、なお現実を正面から語ることを拒否した。

言うまでもなく、何度かの法改正を経ているものの、本質的には、現在の国連PKO協力法も、同じような矛盾を抱えている。自衛隊の南スーダン派遣中に、「戦闘」と「衝突」の違いなどをめぐって発生した要領を得ないやり取りは、まだ記憶に新しいところである。

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