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家族を壊したかった…セルフドキュメンタリー「アヒルの子」小野さやか監督に聞く

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幼い頃に農業・牧畜業を基盤とした理想社会を作るコミューン団体・「幸福会ヤマギシ会」に預けられたことで家族に捨てられたと感じ、また小学生の頃には家族から性的虐待を受けた――。こうした家族によって傷つけられた過去を映画という手法を通じて、向き合った作品「アヒルの子」(小野さやか監督)が公開されたのは7年前だった。日本映画学校の卒業制作としてつくられた作品だ。

この作品が、小野監督の新作「恋とボルバキア」の公開を機に、東京・東中野の「ポレポレ東中野」で1月19日まで上映され、連日、多くの人たちが足を運び、反響を呼んでいる。小野監督に改めて「アヒルの子」への思いを聞いた。

卒業制作として撮った「自分が作りたいもの」

ーー7年前に公開したときには私も作品を観させていただきました。当時は、NG事項がありましたよね。

小野:上映に際して、出身地である愛媛県では公開しないこと、また、DVDにはしない、という条件がありました。家族と交渉した末の妥協ラインでした。今回は、「ポレポレ東中野」で公開してもいいか?という、許可だけは得ました。やるたびに許可をもらう必要があると思っています。

ーー「アヒルの子」は自分で自分を撮影するセルフドキュメンタリーですが、なぜ、その手法を選んだのでしょうか?

小野:卒業制作でやりたかったのはもともと「汚れた女」という作品で、おじさんから性的虐待を受けた、というスカトロのAV女優を取りあげようと思っていました。撮影許可も出ていたのですが、家族を撮らせてほしいとお願いしたところ、「家族には仕事を言ってない」ということで、難しくなりました。

そこで、自分が作りたいものは何か?を考えたんです。当時の担任は原一男監督でした。彼は「セルフドキュメンタリーはやめてほしい。撮ったら撮ったでそれで満足して次は撮れないケースが多い」などと言っていたんです。この頃は、毎年一本は、セルフドキュメンタリーがあったんですが、女優さんに断られたことを伝えると、原監督は「お前はセルフドキュメンタリーでもいい」と言われたんですね。そこで、過去の卒業制作「ファザーレス」や「home」「家族ケチャップ」「極私的エロス・恋歌1974」などを超える作品を作ろうと思いました。

家族は劇場公開に猛反対

インタビューに答える小野監督

ーー映画の撮影は13年前。初めての劇場公開は7年前でしたね

小野:作ったのならば、劇場公開しようともともと思っていたんですが、家族が「学生内の作品であればいい。まさか公の場に出されると思っていなかった」といって、劇場公開に猛反対でした。そのため、映画のことを話すことができない状態が5年ほど続きました。映画の内容があまりにもショックすぎて、家族の出したくない部分がたくさん入っていましたから。

今回の劇場公開は、意外とすんなり許可が出ました。「恋とバルボキア」の公開に伴い、愛媛県でトークショーがあったんですが、「何を話そうか?」と言ったら、父親は「まずは映画を始めたきっかけ、その後、『アヒルの子』….」って、『アヒルの子』の話もしていいよ、と。昔なら考えられない。社会的にちゃんと評判を得たことで、客観的に見られるようになったのではないでしょうか。

ーー映画のテーマには「家族を壊したい」ということがありますよね。テロップにも流れます。

小野:当時は、ものすごかったんです。自分自身は人に愛される存在ではない。性的な部分も存在も含めてそう思っていました。電車の中で、男性が隣にいると吐きそうになったりもしました。授業もまともに受けられない。精神がしんどい状態でした。

その原因はなにか?と考えたときに、全部、家族の中に答えがあると思ったんです。次に進むために向き合うためにも必要でした。「家族を壊したい」というよりは、家族と話し合うことで次の段階に進みたかったという思いがあった。

ーー5歳の一年間、「幸福会ヤマギシ会」の幼年部に預けられていましたが、そのとき、どうして「捨てられた」という感情が作られたのか?

小野:みんなあるかもしれないけど、自分が一人であることの裏返し。自分が絶対的に孤独である。なんでだろう?と考えたときに、あの体験のせいだと思った。捨てられたというのは、どう言葉にしたらいいか...難しいですね。

泣きながら家族と向き合うシーン

ーー映画の中では「恐怖心があった」とか「誰も助けに来てくれない」と言っていたが….

小野:人と向き合うのが難しかったんです。目を合わせられない。みんなは友達ができていましたが、いい関係が築けているのを横目に見ながら、自分がおかしいのか?と思っていた。コミュニケーションが圧倒的に下手だった。だからこそ、自分を変えないと、この先、しんどいな、と考えました。お昼も一人で食べていたんです。もう限界でした。

それに、自分の考え、自分のしゃべる言葉が家族というフィルターを通過しないと出てこない。オリジナリティがない。自分が家族から離れたあとに思ったので、その感覚を壊したかった。そういう自分を捨てたかったんです。

ヤマギシ会に預けられた子どもの多くが傷ついていた

ーー映画の中では、5歳の時の記憶がないため、他の同級生に会いに行き、記憶を取り戻すシーンが出てきますね。

小野:意外とみんな傷ついていたんです。登場してくる人の多くは、一度は親になぜ預けたのか?と泣きながら話をしていました。そのとき、幼年部内では、虐待が多く、裁判で訴えている子もいた。そのため、どこの家族も一筋縄ではいっていないんです。

ただ、どの家族にも問答があって、どこかで親も向き合っていたんです。しかし、うちの親はそういうものがなかった。「ヤマギシはいいもの」というイメージをずっと持ち続けていた。私としては、子どもの意見をぶつけられず、疑問を言えなかったんです。

ーー映画の中で父親が「そんなに傷ついていたとは思わなかった」と言っていた。あの場面まで自分の意見をぶつけていなかった?

小野:何回か言っているんでしょうけど、聞いてくれなかった。幼年部のほかにも、その後、ヤマギシの「楽園村」というところにも預けられました。子どもは親の言う通りにするものだという意識が親側にあったんでしょうね。長男以外はヤマギシに預けられました。姉とか次男も預けられたけど、脱走したりしています。私だけ脱走していないんです。

ーー同級生も多様な受け止め方だったが、家族内でもそうだったのか?

小野:次男はヤマギシでいじめられました。その反動で、実家に帰ったときは同級生に暴力をふるっていたと言っていました。姉もトラウマになって、起きたときは必ず泣いていたので、起こすのが嫌だった。二人ともそれなりに影響はあったんですが、二人はひきずらなかった。発散すべき場所があったからでしょう。私だけが、親にものを申したかった。

5歳の頃の小野監督

ーー眠っていた両親を起こして、話をする中で、はさみを取り出しますね。何をするつもりだったのか?

小野:本当は髪の毛を自傷行為的に切ってやろうと思ったんです。家族を傷つけるつもりというよりは、自分が傷ついていることを見せたかった。髪を切ったらふつうじゃないということがわかるかな?と。やっぱり、人間って、一度こういう人というイメージができたら、変えるのは難しい。私は、家族内では従順というイメージ。ひっくり返すのが大変でした。

ーーカメラなしで話せないのか?ということを両親に言われたようですね。

小野:なんでカメラが回っているのかとは何度も言われました。その度に「これが私だから」「死んでもいいなら止めるけど」といい、カメラを回しました。そのときは必死だった。映画ができないなら人生の意味がないと思っていました。自分がなしとげたいことが何もないと。

そのころ、売春しようかな?と思っていた。お店に行って風俗嬢になって、誰かのために自分も役に立てるのかな?とか。映画も作れないなら、生きている意味がないなと。

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