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貴乃花親方は被害者?加害者?

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混乱する貴乃花親方処分に関する議論

本日、日本相撲協会理事会は貴乃花親方に対して理事解任と二階級降格の処分?(八角理事長は「処分」とはしていない)を下した。テレビのワイドショーは理事会の様子を延々と実況し続け(もちろんメディアが会の現場に立ち入ることは出来ないが)、コメンテーターたちはどのような処分がなされるのかを注目していたが、議論がバラバラな点が不可解だった。とりわけ「被害者」「加害者」という言葉を巡っての議論がそれで、被害者であるはずの貴乃花親方がなぜ処分されなければならないのかとの疑問がしばし議論の焦点となっていた。

しかし、これら議論、どうも混乱しているとしか思えない。そこで貴乃花親方の処分を巡って「被害者」「加害者」、そして「身体」という言葉をキーワードに整理してみたい。はじめに断っておくと、貴乃花親方は「被害者」かつ「加害者」である。そして加害者の立場から捉えた場合、理事会の処分は妥当ということになる。

貴乃花親方の三つの身体

貴乃花親方には歴史学者のE.カントロヴィッチ風に表現すれば「三つの身体」がある(カントロヴィッチの場合は「王の二つの身体」だが)。平易に述べれば、貴乃花親方は三つの立ち位置=構えがあり、それらが親方の身体の中で無意識のうちに換骨奪胎され、その背後にある親方の無意識の欲望に基づいて全体が作動しているかのように僕には見える。

一つ目の身体は貴ノ岩の親方としての身体だ。これを「親方身体」と呼ぼう。いわば”息子”として貴ノ岩を私的に守ろうとする構えで、この身体からすると今回の事件は「ウチの息子になにすんねん!」ということになる。この感覚は、もし理事でもなんでもないヒラの親方のお抱え力士が暴力を振るわれたら、その親方が抱く感情=構えということになる。これは被害者としての身体ということになる。当然のことながら、暴力を振るわれた息子の親として警察に被害届け出を提出した(ただし、ヒラの親方だったとしても、まあ普通はまず協会の方に報告・相談するだろうが)。

二つ目の身体は相撲協会理事、そして巡業部長としての身体だ。こちらは「協会身体」と呼ぼう。巡業中にこうした事件が発生した場合、職務として自らを立ちふるまわせる構えがこれだ。たとえば巡業中に貴乃花部屋ではなく、他の部屋の力士が、これまた他の部屋の力士に暴力を振るわれた場合に親方が職務として取るべき構えで、公的な存在として、当然、状況を第三者的視点かつ巡業部長の立場から適切に判断し、理事会に報告する義務がある。ところがこれを怠った。再三の要請があったにもかかわらずである。加えて、理事会に断ることなく警察に被害届を提出している。こうした一連の行為は、理事・巡業部長という役職としては組織を根本的に蔑ろにするものであり、組織の運営そのものの亀裂を生みかねない行為であるゆえ、理事会が、理事としての貴乃花親方を処罰するのは当然だ。こちらは言うまでもなく加害者としての身体である。

貴乃花親方は今回、しばしば「ブレない」「信念の人」と、その性格を表現されている。しかし、実のところ、親方は「親方身体」と「協会身体」のあいだをフラフラと行き来し、都合のよいように接合している点では、完全にブレていると言わざるを得ない。親方身体がどうであったとしても、もう一つの協会身体を蔑ろにしてよいことには、あたりまえだがならないからだ。ところが貴乃花親方は親方身体が親方身体を利用しているようにみえる(言い換えれば、親方身体を前面に立てることで協会身体を否定している)。単刀直入に言えば「公私混同」。どちらの立ち位置からしても身体はブレているのだ。

しかし、貴乃花親方自身は「全くブレていない」と自分では思っているはずだ。つまり「私は信念の人」。そうした信念はもう一つの身体、いいかえれば二つの身体の上位の身体として貴乃花親方を行動させる身体を設定した場合、理解は容易なものになる。

「覇権主義」という三つ目の身体

そこで三つ目もまた名称を与えてみよう。それは「覇権身体」というものだ。貴乃花親方は「正義の人」である。親方は角界を概ね次のように認識していると思われる。

「現在の角界は腐敗している。また、外国人力士に上位を占有され、国技(実際には国技ではないが)としてのアイデンティティーが揺らいでいる。角界という「国体」(貴乃花親方のことば)をなんとしても再建・維持しなければならない。よって、現在の理事会を中心とした組織の改革は急務。そして、それを担うのは私だ!」

おそらく、このあたりが親方の信念の中心だろう。こうした考えを持つこと自体は問題はないのだが、問題はこの信念に基づいて行う、様々な「ブレない行動」だ。

よくよく考えてみても欲しい。「プレない信念の人は美しい」みたいにメディアは評価しているが、ブレなきゃ大丈夫なのか?そんなはずはないだろう。ブレない信念の人が、そのブレない行動によって百万人単位の人間を殺害したなんて歴史があることを考えれば、それはよくわかる。いうまでもなくヒトラーとポルポトだ。この二人、全然ブレてなかった。

僕が親方の行動から垣間見てしまう身体は、この三つ目の身体だ。つまり「覇権を握りたい」「、角界を支配したい」。ただし、これは典型的なパターナリズム(父性主義)的な身体でもあるので、本人は覇権を握りたいとはこれっぽっちも思っていない。つまり認識していない。ただただ単に「角界をよくしたい」という信念だけ。

ただし、こいうい構え=身体が、実はいちばん質が悪い。信念に基づいているゆえ、自分のやっていることは全く間違っていないと信じて疑っていないからだ。それゆえ周囲、とりわけ協会が間違っていると指摘しても、それについては全く感知しない(いや協会の指摘なら、却って本人をいっそう頑なにさせ、自らの信念強化に拍車を駆けることになる。協会は「腐敗している」ので)。あるいはスタンドプレーをやったとしても、それは「大義のため」には許される。ドストエフスキーの『罪と罰』に登場する主人公ラスコーリニコフの「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という犯罪理論と、その立ち位置はまったく同じだ。つまり、自らの立ち位置に対する省察回路が切られている。

こうなると貴乃花親方の考え方は本人からすれば無敵、どれよりも正しいという結論に落ち着く。それはもちろん、自分がそう思い込んでいるに過ぎないのだが、パターナリズムなので、そのことには全然気づいていないのだ。だから親方身体と協会身体の間の混同があったとしても、そんなことはお構いなしということになる。それどころか覇権身体は親方身体を支持することで協会身体を蔑ろにすることも正当化してしまう(だから業務を放棄しているのだが、本人は全うしていると認識している)。また、覇権身体は自らの欲望を実現するために、相撲協会という権威に対して警察当局という、同等あるいはそれ以上の権威をカウンターに当てるという戦略に出ることで、これまた自らの立ち位置を正当化しようとする。貴乃花親方は覇権身体が最終的な審級(中心的存在)=軸となって、他の身体や権威を自由に操っているのだ。

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