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映画『ダンケルク』で考える集団的自衛権の歴史

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 先日、映画『ダンケルク』を観ることができた。私の場合、なかなか映画館に行く暇もないため、なんとか機内で観たりする。気になっていた映画だが、どのような評論がなされているのかは、よく知らない。ただ国際政治学者として、この映画を観て、あらためて思い直すことがある。それは、集団的自衛権の歴史だ。

第二次世界大戦初期、圧倒的なドイツの兵力の前に、英仏軍は大陸で大敗北を喫し、1940年5月末、ドーバー海峡に近いダンクルクに、約40万の兵力が追い詰められた。もはや戦況の転換を望むことはできず、撤退しかありえない。しかしドイツはダンクルクを完全に包囲していた。近づいた船舶も魚雷や爆撃によって次々と撃沈されてしまう。救出は極めて困難であった。しかも、イギリスが本国に温存している兵力を投入しすぎれば、ドイツによるイギリス侵攻を不可避にしてしまう。

しかしそのうえで、イギリスは、民間の漁船や遊覧船にも働きかけて、ダンケルクに向かわせる。ドイツによる攻撃を避け、兵力の浪費を防ぎながら、追い詰められた兵士をできるだけ救出するための決死の奇策であった。このダンケルク作戦は成功をおさめ、第二次世界大戦の歴史に残る奇跡の脱出劇によって、約33万人以上の英仏の兵力がイギリスに帰還した。1940年5月10日にイギリス首相に就任したばかりであったチャーチルは、大陸での軍事作戦の失敗を反省しつつ、作戦の成功を喜び、「新世界」の勢力、つまりアメリカが、やがて旧世界の危機を救いに来るはずであることを述べ、国民の士気を鼓舞した。

ダンケルクの作戦が失敗に終わっていたら、最終的には連合軍の勝利に終わる第二次世界大戦の行方がどうなっていたかわからなかった。島国イギリスだけでもナチスドイツの支配から免れ続けることができたことが、その後の戦争の帰趨に大きな意味を持った。

しかしそれにしても、なぜドイツは、追い詰められたイギリス軍に対して、より大規模な攻撃を仕掛けなかったのだろうか。ノルマンディー侵攻によってイギリス軍が戻ってくることを知っていたら、ヒトラーは兵力を集中投下する大作戦を敢行したはずではなかったか。

正確な史実から言えば、ヒトラーは、イギリスが戻ってくるとは思っていなかっただろう、というよりもむしろ、そもそもイギリスと戦争を続けるつもりがなかった。

ドイツは、ダンケルク以降、イギリス本土に対して、しばしば奇襲的な空爆作戦を行ったが、侵攻しようとしていた形跡はない。西のフランスを占領し、ヨーロッパ大陸をほぼ掌握したヒトラーは、むしろ東のソ連に侵攻する作戦を命令することになる。しかしヒトラーは、なぜナポレオンの二の舞となるため独ソ不可侵条約を結んでまで避けたかったはずの二正面作戦となるソ連侵攻を敢行したのか。

広がり切ったドイツ帝国の領域を維持するための資源の確保等の物質的理由はある。だがそれにしてもイギリスとの戦争を清算してからのほうがよかったはずだ。イギリスが持ちこたえたため、やむをえずソ連への侵攻を決断した。これによって第二次世界大戦の行方が変わった。ダンケルク救出劇が、その展開を用意したのだ。

そもそもヒトラーは、イギリスと戦争などしたくはなかった。イギリスの介入はないと読んでポーランド侵攻したところで、ヒトラーの誤算は始まっていた。さらにダンケルクをめぐってイギリス海軍との大海戦などを挑まなかったのは、双方の兵力を温存することを、ヒトラーが認めていたことを示唆している。

日本人にはあまり知られていないが、ダンケルクの後、ヒトラーは中立国スウェーデンなどを通じて、イギリスに対して和平工作の提案を行っていた。それを無視し、閣内で和平について語ることを禁じたのは、チャーチルのほうであった。

ヒトラーは、そもそも最初からイギリスと戦争をするつもりなどなく、始まってからも戦争を終結させることを狙い続けていたのである。時間切れになってソ連との開戦に踏み切り、日本の真珠湾攻撃以降、アメリカとの戦争も強いられることになり、結果として、最終的には大敗北を喫した。

ダンケルクの作戦を指揮し、徹底抗戦して和平を退けながら、ソ連とアメリカとの大同盟を作っていったチャーチルは、まさに第二世界大戦において最も重要な人物であり、英雄であった。

歴史に関する大著を何冊も持つ歴史家チャーチルは(ちなみにイギリスでは歴史学の地位が高く、政治家にも歴史学を修めた者が結構いる)、数百年にわたるヨーロッパの歴史への洞察から、ドイツ帝国と対決し続けなければならないことを確信していた。そして数多くのイギリス人がそのように信じていたため、ポーランドが侵攻されたときに、低地諸国(ベルギ-・オランダ)の防衛を企図して、ドイツとの開戦を決断したのである(チャーチルが首相に就任したのは、ドイツが低地諸国への侵略を開始した日であった)。

そのとき、イギリスの宣戦布告の法的根拠となったのが、国際連盟における共同防衛体制であった。チャーチルの行動は、第一次世界大戦後の国際法秩序の原則にもそったものであった。しかし、当時の国際連盟は、アメリカ、ソ連、ドイツ、日本が加入しておらず、実態としては広範に弱小国を従えただけの英仏同盟と変わりがなかった。およそ普遍的な集団安全保障などと主張できるような代物ではなかった。今日でいえば、ポーランド侵攻にあたり、英仏が集団的自衛権を行使することを決断した、ということである。

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