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NHKと伊予原発の裁判判断の個人的印象

あらかじめ申し上げておきますが、私は自分の業務の一環で法律や裁判に携わる以外は法律に特段専門的知識を持っているわけではありません。ただ、裁判の判決とは客観性と論理性を基準に「なるほど」と思わせる説得力がなくてはいけないと考えます。つまり、専門家が解説してもわかったような分からないような判断が良いとは思わないのであります。

裁判官も人の子。個人の主義主張は当然見え隠れするわけで、判断に一定のバイアスがかかるのはやむをえません。そのバイアスにどれだけ蓋ができるか、これが問われるわけですが、もしもそれができないのなら裁判官は人工知能の「AI官」に代わってもらうしかない時代もやってくるかもしれません。

最近、二件の注目される裁判の判断がありました。NHKの受信料の支払いに関する最高裁の判断と四国伊予原発の運転差し止めの高裁判断であります。両判決とも一般人としてひとことコメントを差し挟みたく、あくまでも個人的意見として述べさせていただきます。

まず、NHKの受信料裁判。2006年にテレビを購入、11年にNHKから受信料の請求をされたものの拒み続けた人の受信料の支払い義務について最高裁はテレビを買った時からその義務が生じる、と判断しました。

裁判所に申し立てられた訴状だけを考えれば私はそう判断する以外なかったのだろう、と思っています。つまり、判決そのものには不服ではありません。被告のわがままは論理性がないのです。放送法64条の「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」はどうやっても逃れられない罠であるからです。

一方、私はこの放送法そのものが憲法違反ないし社会通例の流れからおかしいのではないか、とずっと思っていますが、法務大臣までがこれは合憲と太鼓判を押したため、裁判官は「そうですねぇ」という判断になびきます。

放送法は1950年に施行されていますが、もともとのコンセプトは国民に広く正しい情報を行き届かせるという手段が限られていたという前提があったはずです。ところが技術の進歩故に国民は溢れんばかりの情報を得らえる時代となっています。

にもかかわらず、国民に公平な情報を放送を通じて提供するためには国民から広く徴収する受信料による運営こそが適正、というわけです。つまり、例えば国家予算での運営は偏向報道が起きやすいとも取れます。

数日前のブログで書きましたように私はもしもNHKが国民から受信料を強制的に集めることで運営するならそれはNPOのようでもあり、国民全員が経営に参加する権利を有するという論理にもつながる気がします。しかし、それは困難であるし、許されないでしょう。ならば、NHKの受信料は消費税から出せばよろしいのではないでしょうか?広く国民から徴収するという基本ルールには則っています。

もう一つは放送法の根本に立ち返った時、広く国民に情報を等しく提供するのであれば、一歩進んだ双方向チャネルを確立したらどうでしょうか。政府からの緊急情報、例えば地震やミサイルなどを該当するエリアの人々に瞬時に知らせる仕組みとしてそのシステム使用料として徴収するコンセプトに変えるという発想もあります。放送とは送り手と受け手の関係ですが、国民が発信するのは紅白歌合戦の赤、白どちらが勝ったか、という程度の使い方を目指すものではないと考えます。

次に伊予原発ですが、これは原発再稼働賛成反対というより裁判所が機能しているのか疑問を呈す低次元の判断考察だったと思います。「野々上裁判長は『阿蘇山(熊本県)の火砕流が敷地に到達する可能性が十分小さいとはいえない。立地として不適』と断じ、重大事故で『住民の生命・身体への具体的危険がある」と認めた」(毎日新聞)とあります。

私はこの「可能性が十分小さいとはいえない」の論理的根拠が薄いと強く感じます。「9万年前の最大噴火で火砕流が敷地に到達した可能性が十分小さいと評価できない。原発の立地は認められない」(毎日)と述べる裁判長の判断基準こそ科学者でも研究者でもないのに専門家の判断を裁判官の判断で覆すのは全くもって論外と言わざるを得ません。

私もカナダでいくつも裁判経験があり、現在も最高裁まで引きずっている案件もありますが、技術的判断は原告、被告の専門家同士でバトルさせ、その論理性、客観性の行き着くところを裁判官が判断するものの専門家の判断を曲げることはしません。

野々上裁判官は12月20日に退任が決まっている中でのサプライズというか、判断を急いでいたというか、十分な客観性を逸脱したと言わざるを得ません。このような裁判ならば裁判制度、裁判官任命方法の見直しと裁判官の資質をもう一度見直さないとやり切れません。

仮に「この可能性が十分小さいと評価できない」を適用すれば日本は沈没するかもしれない、という理論展開も可能です。社会通念的に100%という状況が想定できないわけで、何処までの対策が妥当と考えられるのか安全係数というがあるものなのです。ところが、その判断が出来ず、150%の安全ではないと駄目、とするなら原発に限らず、野々村裁判官が生きている社会そのものを全否定することになりかねません。非常に残念です。

最近二件の裁判判断について思うところを記させて頂きました。皆様のご意見、お待ちしております。

では今日はこのぐらいで。

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