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なぜ上海中心部で"街娼"が増えているのか

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上海市内にある集合住宅の中庭の様子。四方を囲む形にして外部と遮断し、通り抜けできないようになっている。(筆者撮影)

中国には「裏通り」や「路地裏」がない。敵の侵入を防ぐため、町全体を壁で囲うという精神やスタイルが脈々と受け継がれてきたからだ。道幅の狭い通りはあるが、どれも「表通り」で、交差点は極端に少ない。だが2016年から、中国政府はこうした壁を取り払うことをはじめた。その結果、なにが起きたか。上海中心部の住宅街で、「街娼」が増えているというのだ――。
※本稿は、山田泰司『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』(日経BP)の第3章「昼の町に立つ女たち」を再編集したものです。

■中国には「路地裏」が存在しない

日本文学史に残るそうそうたる作家たちが書き残した日本以外の国の町、という点で、上海はほかの町を圧倒しているのではないだろうか。

ロンドンに船で留学に向かう途中に寄航した夏目漱石が、新聞社の視察員として訪れた芥川龍之介が、父の赴任先を訪れた当時十七歳の永井荷風が、杭州に駐留する火野葦平に芥川賞を授ける使命を帯びてやってきた小林秀雄が、愛人に傾く妻の気持ちを再び自分に向かせるために夫婦で旅立った金子光晴が、日記、エッセー、小説とスタイルはさまざまだが、当時の上海を記録している。金子光晴が、じっと何かを考え込んで一時間も動かない魯迅(ろじん)を見かけた横浜という名前の橋や、永井荷風が庭園の壮麗さに打たれた豫園(よえん)など、当時の面影を今も残す場所は少なくない。

これら作品の収録された文庫本や電子書籍の入ったスマホをガイドブック代わりに散歩するのに、上海は格好の町である。残念なことに最近は、PM2.5などの大気汚染がひどすぎない日ならば、という条件付きだが。

ただ、上海、そして中国の町歩きでもの足らないなと思うこともある。それは、裏通りや路地裏、横町を歩く楽しみがないことだ。中国には表通りしかなく、裏通りや路地裏が存在しないのである。

こう言うと、上海や北京を知っている人の中には、「何を寝ぼけたことを。裏通りや路地裏ならそこらじゅうにあるじゃないか」「北京の胡同(フートン)こそ裏通りではないのか」と指摘する向きもあろう。しかし、中国の都会にある道路は道幅が広いか狭いかの違いだけで、すべてが表通り。上海や北京にも裏通りや路地裏があるという人が頭の中に思い浮かべているのは、ただ道幅が狭いというだけで、表通りにすぎない。

■壁の外に出なくても最低限の用が足せる

中国の町に路地裏や裏通りが存在しない理由は、住宅の構造にある。

中国は古来、囲う文化である。町全体を城壁で囲い、一族や共同体の住む複数の住居を壁で囲う。町を城壁で囲うことで外の世界と遮断し、住宅の四周を壁で囲むことで、一族以外の人間や、通りがかりの見知らぬ人物の侵入を防いできた。住宅の中に入るにはいったん、通りに面した門をくぐって囲いの中に入り、中庭などを通ってようやく自分の家の玄関にたどり着くというスタイルである。

町づくりや住居づくりにおけるこのような精神やスタイルは、現代に至るまで脈々と受け継がれてきた。こうした住宅群の中には数百戸、数千戸が入居する大規模なものもあるため、囲いの中に学校、スーパー、病院、銭湯、美容院、レストランなど生活に必要なものが揃っていて、壁の外に出なくても最低限の用が足せるようになっている所もある。

こうした居住区の中にある小さな路地が、壁で囲う文化のない都市における路地裏、裏通り、横丁に相当するものなのだろう。ただ、囲いの中の路地には、閉鎖された他人の空間に入っていくような居心地の悪さと、あくまで壁で守られた生活の空間という予定調和の空気が流れている。無防備に外界にさらされている場所に自然発生的に形成された路地や裏通り、横丁で感じる危うさやスリル、ドキドキ感やワクワク感が、囲いの中には欠如しているのだ。

■2016年から中国政府は「城壁文化」を廃止へ

さて、住居群を壁で囲って住人以外の出入りを制限する居住区を形成することで困るのは、誰でもが通行でき利用できる一般道の数が少なくなることである。壁や壁代わりの商店で四周を囲った四角い積み木のような居住区をすき間無く敷き詰めた結果、行けども行けども次の道との交差点にたどり着かない町が出来上がってしまったというわけだ。

その中国で2016年、壁で四周を取り囲むスタイルの居住区――中国語では「封閉式小区(フォンビーシーシャオチー)」と呼ぶ――を禁止しようという動きが持ち上がった。

提案したのは中国共産党中央と中国政府だ。この年の2月下旬、これから新たに開発する住宅については壁を設けず、居住区の敷地内を通る道路も、クルマと人の往来を自由にさせようというのがその内容。さらに、既にある居住区についても、段階的に壁を取り払って誰でも自由に通り抜けできるようにしていくことを目指すという。

当局が理由として挙げているのは、誰でも通れる一般道を増やすことによる交通渋滞の緩和。なかなか解決の糸口がつかめないPM2.5をはじめとする深刻な大気汚染も、交通渋滞が元凶の一つだから、理由としてはごくまっとうなものだといえる。

■壁撤廃の議論は始まったばかり

ただ、中国の庶民は当局の説明を額面通りに受け止めてはいない。当局の真の目的は、土地に課税することにこそあるというのである。

それは、こういうことだ。現在、壁で囲っているがために公共の場所扱いになっている花壇などの公共スペースを、壁を取り払うことで個人に分け与える。そこを私有財産と見なして課税し税収を増やすことにこそ真の目的がある、というわけである。

また、人やクルマの通り抜けを認めることで事故の確率が増すなど、安全が確保されなくなると反対する声も上がっている。

壁撤廃の議論は始まったばかりであり、当面見送りとされたり、強い反発に合って廃案になったりする可能性だってある。ただ、町ごとすっぽり取り囲む城壁は取り壊しても、住居を囲うことだけは頑なに守ってきた中国で、これが撤廃されることになれば、それはやはりエポックメイキングなことだといえるだろう。自分の周囲を囲うことで培い積み上げてきた文化や思想、習慣にも変化が生じるかもしれない。なにより、壁の撤廃により、路地裏や裏通りの文化が中国に出現するかもしれないのだ。

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