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中村喜四郎という男―オレと選挙と中村喜四郎と“選挙の鬼”との12年戦争(1)

「中村喜四郎さんの選挙を追っているんですよ」

茨城7区で地元の記者に挨拶すると、その記者は驚いた顔をしてこう言った。

「しぶいねぇ〜!旬でもないのに!」

こんな反応はいつものことだ。

私は「なぜ無所属の中村喜四郎が選ばれ続けるのか」に興味がある。政策なのか、長年の習慣なのか、それとも人なのか。私はそれを探るために喜四郎の選挙現場を追い続けてきた。本稿は、私が「最強の無所属」「選挙の鬼」と呼ぶ政治家・中村喜四郎との12年に及ぶ戦いの記録である。(全5回)

街頭演説はライブ会場 ぜひ体感してほしい

ダルマに目を入れて白い歯を見せる中村喜四郎(2014年・撮影:畠山理仁)

選挙は税金で行われる民主主義の大イベントだ。とくに、全国一斉に行われる衆議院議員総選挙の経費は600億円を超えている。今後の舵取りを任せる代議士を選ぶのだから、有権者はぜひ候補者を生で見て選挙に参加してほしい。これは長年選挙の現場を取材してきた私が常々感じていることだ。

街頭演説の現場で見る候補者たちは、ポスターや選挙公報だけではわからない情報に満ちている。たとえば有権者から政策の説明を求められた時、どう対応するのか。丁寧に説明を尽くそうとするのか。それとも聞こえないふりをして逃げるのか。

街頭演説には誰が来るかわからない。そこでのやり取りは決して予定調和ではない。何が起きるかわからない「ライブ会場」での振る舞いは、候補者が当選した後にどう行動するかの未来予想図にもなるだろう。

古河駅前での街頭演説を終えて支援者と握手する中村喜四郎(2014年・撮影:畠山理仁)

もちろん、声をかけずに演説を聞くだけでもいい。候補者が対立候補の攻撃に終止する演説をするのか。それとも自分の実現したい政策を愚直に説明するのか。聴衆一人ひとりと握手をするのか。それとも知り合いとだけ握手をするのか。そうした動きを見るだけでも現場に行く意味はある。だから私は選挙運動の場を一種のライブ会場だと思い、いつも楽しく現場巡りをしている。

ライブに行けば、自然と政治に興味が湧く。政治を難しく考える必要はない。わかったふりをする必要もない。選ぶのは自分たちの「分身」ともいえる「代議士」なのだから、自分のわかる範囲で選べばいい。最終的な責任が自分に返ってくることを受け入れるために準備する。そのプロセスが選挙なのだ。

それでも政治に興味を持てないと思う人は、一度、選挙をボランティアで手伝ってみるといい。きっと新しい発見がある。

選挙戦の現場には、普段の生活ではなかなか出会えないような多種多様な人たちが集まる。しかも、日本の選挙運動は短期決戦だ。一番短い町村議会選挙及び町村長選挙ではたったの5日間。衆議院選挙は12日間。最長となる参議院選挙及び知事選挙でも17日間しかない。そして、各陣営は投開票日という共通のゴールに向け、一丸となって突き進む。これくらいの短期間なら、政治を考えてみるのも悪くないだろう。

「勝てば天国、負ければ地獄」

その高揚感は、ちょっと他では味わえない。しかも、候補者は有効投票総数の10%を超えなければ、高額な供託金(衆議院議員選挙・小選挙区の場合は300万円)が全額没収されてしまう。自分の人生だけでなく、家族やスタッフの人生もかかっているから必死だ。

一方、ボランティアでの参加なら、そんな生身の人間の姿を間近で見ることができる。もっとドライに言えば、候補者のように高額な供託金を支払うリスクもない。新たな出会いもある。

候補者を手伝い、候補者たちを間近で見極めて投票することは、立候補するよりもずっと簡単なことだとわかるはずだ。

選挙の鬼・中村喜四郎という男

2014年12月総選挙での中村喜四郎出陣式。約5千人の参加者がみな同じ帽子をかぶっている(撮影:畠山理仁)

選挙に出る人も出ない人も、一生に一度はこの人の選挙戦を見てほしい。私がそう思う一人が茨城7区の中村喜四郎だ。

私は20年間選挙を取材してきたが、中村喜四郎の選挙戦ほどハズレがない現場はない。行けば必ず驚きと発見がある。そんな中村を、私は“最強の無所属”あるいは“選挙の鬼”と呼んでいる。

なぜか?

まず、選挙に対する心構えが違う。

中村の出生時の名前は「伸(しん)」という。中村は日本大学法学部在学中に田中角栄の秘書になり、1976年に27歳の若さで初めて衆議院議員選挙に立候補した。

この際、中村はかつて参議院議員を務めた亡き父の名前「喜四郎」を“襲名”した。戸籍名も「中村喜四郎」に改めた。なんと、四半世紀名乗ってきた自分の名前を変えたのだ。

ちょっと普通の感覚では考えられない。そして、この選挙に無所属で立候補した中村は初当選を果たし、自民党の追加公認を受けた。「二代目・中村喜四郎」の誕生である。

駐車場の案内表示は「中村喜四郎駐車場」だ(撮影:畠山理仁)

中村の母親・中村富美も参議院議員を務めていた。中村が選挙の度に「日本一の後援会」と呼ぶ「喜友会(きゆうかい)」は、親の代から引き継いだものだ。

初当選後の中村は田中角栄の木曜クラブに所属して順調に出世街道を進んだ。初入閣は40歳(宇野宗佑内閣での科学技術庁長官)。43歳の若さで建設大臣(宮沢喜一内閣)を務め、“経世会のプリンス”※とも呼ばれた。

※「経世会」は竹下登が率いた自民党の派閥

そんな中村に大きな転機が訪れたのは1994年。ゼネコン汚職事件にからみ、中村は斡旋収賄罪容疑に問われることになったのだ。中村は逮捕2日前に自民党を離党したが議員辞職はせず、現職国会議員のまま逮捕された。

この時、中村の拘置日数は140日にも及んだ。しかし、中村は雑談や挨拶にも応じず完全黙秘を貫いた。この中村の態度は支援者の間で今も「伝説」として語り継がれている。

「先生は検察の厳しい取り調べの中、完全黙秘を貫いた。これは誰でもできることではない。すごい人だ」

実際、供述調書が一通も作成されないまま裁判が始まった。中村は裁判の場でずっと無罪を訴え続けたが、1997年10月、東京地方裁判所で懲役1年6か月、追徴金1000万円の実刑判決を受けた。

中村はこの判決を不服として控訴(2001年に東京高裁が棄却)、上告したが、2003年に最高裁が上告を棄却して実刑が確定。中村は議員失職し、黒羽刑務所に服役することになった。

中村がすごいのは、実刑が確定するまでの間に行われた1996年、2000年の総選挙にも無所属で立候補し、当選し続けたことだ。そして自身の失職によって行われた2003年の補欠選挙(中村は不出馬)を除けば、2005年、2009年、2012年、2014年、そして今回2017年の総選挙でも無所属で当選を果たした。脅威の「14戦負けなし」。これは異常な強さだ。

両親ともに参議院議員。後援会どころか名前まで引き継いだ中村が選挙に強いことを「当たり前だ」と思う人もいるかもしれない。それはある意味では正しい。しかし、ある意味では間違っている。

中村は「親の時代の遺産」だけで当選しているのではない。中村自身の選挙運動は「これでもか」というほどに凄まじい。それは選挙戦での中村の動きを実際に見ればよくわかる。とにかく「すごい」の一言なのだ。

※次回に続く

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