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ジャーナリストが中央政府よりのスペイン語新聞に違和感 ―独立問題で揺れるカタルーニャの今

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スペイン北東部のカタルーニャ自治州はスペインから独立できるのか、できないのか?

ここ数週間ほど、カタルーニャ地方が世界の注目を集めてきた。同州の州都は観光地としても著名なバルセロナだ。

これまでの経緯

注目を集めたきっかけは、10月1日にカタルーニャで行われた、スペインから独立するかどうかの住民投票だ。スペインの憲法裁判所はこの住民投票を違法としており、ラホイ首相は投票行為を止めようと治安警察を派遣した。機動隊などがカタルーニャ市民を殴ったり、押し返したり、はてにはゴム弾や催眠ガスを使う様子が世界中に報道された。およそ800人が負傷したと言われている。

結果は有権者の約43%が投票し、約90%が独立を支持。これを持って独立を宣言しようとするカタルーニャ自治州政権とスペイン中央政府との間で政治的駆け引きが続いた。

10月27日、プチデモン自治州首相(当時)が共和国の独立宣言を行うと、ラホイ首相は自治権を停止させる憲法155条を行使し、カタルーニャは中央政府の直接管理下に入った。プチデモン氏らの自治州閣僚らは解任された。

11月2日にはスペイン司法当局がベルギーに滞在中のプチデモン氏を含む前州閣僚らに拘束令状を発行した。スペイン国内にいる前閣僚8人はすでに当局によって拘束されている。容疑は「違法」な住民投票を実施したための反逆罪などになる模様だ。

5日朝、プチデモン氏らはベルギー警察に出頭し、判事による聴取を受けたが、数時間後に釈放された。スペイン司法当局からの逮捕状を執行するかどうかは、今後決定される見込みだ。

めまぐるしく動く政治状況だが、スペイン政府の直接管理下に入ったことで、カタルーニャ州に住む人々の生活や治安状況は大きく変わったのだろうか。

筆者は、カタルーニャがスペイン政府の直接統治下に入った10月28日から数日間バルセロナに滞在し、様子を見てみた。

繁華街、デモ、二ヶ国語の表記

バルセロナ中心部のランブラス通り(筆者撮影)

初日の28日は土曜日であったせいか、直接管理下による影響は特に見えてこなかった。

8月にテロがあった中心部ランブラス通りは多くの観光客でひしめきあい、近くの路上ではハンドバックやサングラスを販売する男性たちがいた。眩しい陽光の中、人々は初秋ながら夏のような晴天を楽しんでいるようだった。

空港内の表記はカタルーニャ語、スペイン語、英語だった

街中を歩いていると、看板などはスペイン語とカタルーニャ語の両方で表記されていることが多い。英語の表記もよく見かけた。

翌29日には反独立派の大きなデモが行われた。主催者によると約100万人が参加したという。どの人もスペインの国旗や欧州連合の旗を身にまとい、「スペイン万歳!」と叫んでいた。

30日、直接管理下に入って初めての月曜日である。プチデモン氏は執務室に姿を見せなかった。州警察の監視の下、中央政府に解任された職員らは私物の引き取りだけを許されたという。日常生活の上では、筆者が見る限り、バルセロナの市民が大きな支障を被った様子はなかった。

しかし、政治上の緊張感は消えていない。プチデモン前州首相や元閣僚の数人がブリュッセルに「亡命」状態の中、11月上旬には前州政府閣僚数人が当局に拘束されたことで、これに抗議する市民デモが発生した。

12月21日に予定されている州議会選挙前に、二転三転の政治劇が展開しそうだ。

独立に反対する人々のデモ(10月29日、筆者撮影)

カタルーニャ自治州のこれまで

カタローニャ州はスペインにある17州のうちの1つ。独自の文化、伝統、習慣と言語(カタルーニャ語)を持つ。

中世にはアラゴン=カタルーニャ連合王国として地中海で大きな勢力を形成したが、その後は覇権をオスマン帝国に奪われて国力を減少させ、1492年、後のスペイン王国の中核をなすカスティーリャ王国(首都マドリード)の一部となった。

18世紀初め、スペイン継承戦争(1701-14年)が発生する。スペインの王位継承をめぐってブルボン家とハプスブルク家が戦い、欧州のほかの国もこれに参加した。

最終的にブルボン家が勝利するが、カタルーニャはハプスブルク家を支援していたこともあって、ブルボン王朝の下、カタルーニャではその母語の使用を禁じられてしまう。

20世紀に入り、スペイン内戦(1936-39年)を経て成立したフランコ将軍による独裁体制(1939−75年)の期間、カタルーニャ人は自治を認められなかったばかりか、カタルーニャ語を公的場所で使うことを禁じられてしまう。

カタルーニャ州に自治が戻るのは、フランコ将軍が亡くなってから4年後の1979年である。ほんの38年前だ。

独立運動の再燃は2010年

スペインの中央政府とカタルーニャ自治州との軋轢が大きな政治問題化してゆくきっかけとなったのは、2010年だ。

カタルーニャの自治は1978年制定の自治憲章によるが、2006年、これを改正する動きがあった。カタルーニャ語の使用をさらに拡大することなどを決めたものだが、州議会、スペインの国会がともに承認したものの、2010年になって、フランコ政権の流れをくむ国民党(当時は野党、現在は与党)がこれを違憲として憲法裁判所に訴えた。それに伴い、裁判所は憲章の一部を違法とした。これが独立運動の盛り上がりに大きく火をつけた。

2014年には独立を巡る住民投票が実施され、票を投じた人の約80%が独立を支持した。しかし、中央政府がこの結果に強く反発したことで、州政府は「意見の集約」と見なすとして、いったんは事態を収拾させた。

しかし、独立運動は続いた。

2015年の州議会選挙で独立支持の政党が多数を占める議会が成立し、今年9月、正式に住民投票を行うことが決定された。これが10月1日の住民投票実施につながってゆく。

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