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「毎日、残してきた自宅の夢を見る」ドイツで暮らすシリア人難民ジャーナリストの思い

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シリアで内戦が始まって、もう6年が経つ。

2011年、前年に中東で広がった民主化運動「アラブの春」がシリアに飛び火した。アサド政権が反政府デモを武力弾圧したことがきっかけで、内戦となる。両勢力の戦いにイスラム過激派勢力も加わり、米国、欧州連合(EU)、トルコ、サウジアラビア、ロシアも関与。すでに2000万から3000万人がシリアから逃げ、死者は数十万人と言われている。

シリアで生まれ育った人は、こうした現状をどう見ているのだろう?

2年前にドイツに亡命し、今は家族とベルリンに住むあるジャーナリストに会う機会があった。生の声を紹介したい。

欧州の中でもドイツは、近年、シリアを含む他国からの難民を多く受け入れてきた。2015年以降では100万人以上もの難民・移民を受け入れており、これは人口約8000万人のドイツでは、1%を超える人数になる。

政治報道で2年間投獄された

ハンブルクのメディア会議でパネリストとして話す
(撮影:小林恭子)

ヤハヤ・アラウス氏(44歳)は、ダマスカス大学を卒業後、地方雑誌を始めとしてシリアの様々なメディアで執筆活動を続けてきた。「アラブ系の雑誌や日刊紙にダマスカス特派員として書き、オンライン雑誌にも書いた」。 オンラインの媒体では主に女性の権利や人権について執筆してきたという。

元々は政治記者だった。しかし、2002年、反体制の記事を書いたという理由で逮捕され、2年間投獄された。それまでにも人権や政府の腐敗について書いたり、講演を行ったりしていたが、たった1本の記事が「反体制的だ」と指摘された投獄されることになったという。

2004年に釈放されたが、「政治記事を書くとあまりにも大変なことが多い」ので、女性の権利などについて書くようになった。ウェブサイトを立ち上げて、人権、市民社会などについての記事を載せた。



「政府に気に入らない記事を書いた」

刑務所に送られたときの理由は「政府が気に入らない記事を書いたから」だった。

アラウス氏は当初、どんな嫌疑がかかっているかも分からなかった。当時は「もし政府があなたのやっていることを気に入らないなら、何の起訴状もなく、投獄される」のは日常的だったという。

「起訴をでっち上げることも簡単だ。裁判所や警察が協力するからだ。裁判もあったが、形式的だ」。

投獄中は家族に会うことは許されなかった。手紙も含め、いかなる形でも家族との接触を禁じられた。「本当に助けてくれそうな弁護士に連絡をとる権利もなかった。すべてが茶番劇のようだった」。

当時、子供たちはまだ生まれていなかった。妻は、夫が投獄されたために職場を解雇され、アラウス氏の親戚に助けられながら生活した。アラウス氏の弟も同じ処遇にあった。また、投獄中、家族や親せきは様々な人から嫌がらせを受けた。

アラウス氏は釈放後にジャーナリストとしての活動を再開したが、シリア国外に出ることを禁じられた。

外国人には自由な国だった

2011年の民主化運動が始まる前、シリアはどのような国だったのか。

アラウス氏は「外国人であれば、自由だった」という。しかし、「国内では全く改革が行われておらず、政治、民主主義、市民社会などに関連した仕事をする人にとっては厳しい状態」だった。「政治運動、民主化のための運動などは原則禁じられていた」。

シリアの国民にとっては「非常に悪い」状況であり、。「将来の展望が描けない。普通の生活がしたい、生活をより良くしたいと思っても、望みがない」という。こうした状況の中では、「民主化運動が起きても無理はなかった」とアラウス氏は振り返る。

市民による抗議デモは「最初の8か月くらいは本当に平和的な抗議運動で、誰も銃を使ったりはしていなかった」。

しかし、「政府からすると民主化運動は好ましくない。そのためデモに参加した民衆に圧力をかけてきた。暴力行為を触発するのは簡単だった。そのうちに他の勢力も入って来て、内戦状態となった」。

アラウス氏は「国際社会は暴力行為を止めようとしなかった」と指摘する。

毎日のように続いた攻撃

2015年にドイツに来る直前、アラウス一家はダマスカスの郊外に住んでいた。「発火点の一つになっていて、毎日のように近くで爆弾による攻撃があった。瓦礫があちこちにあって・・・・」。アラウス家の娘2人は当時10歳と5歳。「もうここでは暮らしていけない。ジャーナリストとしても家族にとっても、危険すぎる」。

アラウス一家は報道の自由を擁護する非政府組織「国境なき記者団」(本部パリ)の助けで、ドイツに渡った。

最初の4-5か月は難民を収容する施設に滞在し、その後はアパートを見つけて、引っ越した。「生活になじむための研修があって、食べていくには十分だけのお金をもらえている。悪い状況ではない」。

しかし、仕事探すのは簡単ではなかった。政府は難民にドイツ語の研修を提供しているものの、研修を終えてもドイツ語はまだまだ十分ではなかった。「流ちょうに使えるようになるには、4-5年はかかる。私のような年齢になると、特に難しい」。

ドイツメディアで執筆する機会を得るも将来に不安

しかし、アラウス氏はシリアからやってきたジャーナリストとしては超幸運だったとも言える。2015年4月にドイツにやってきて、新聞社から原稿を書くように依頼されて記事が出たのは8月だった。

「著名な週刊新聞『ツァイト』から原稿を依頼されたのだが、記事が掲載されると、大きな反響があった」。ツァイトは定期的なコラムの執筆をアラウス氏に依頼した。これが発端となって、ほかのドイツの媒体にもコラムを書くことになった。

アラウス氏は「まだまだ十分ではない」と考えている。「外国から亡命してきたジャーナリストが自国同様の収入を得るところまで行くのは非常に難しい。自国ならば、すでに情報や人のネットワークがあるが、外国ではゼロだ」。自国だったら読者が何を読みたがっているかの見当がついた。しかし、ドイツ人の読者のことを知り、何が読みたいのかを理解するには時間がかかる。

今はドイツに暮らすシリア人ジャーナリストが発見したことをテーマにコラムを書いている。「新たにドイツにやってきた人が、ドイツをどう見るか」。ドイツ人は外国人が自分たちをどう見ているのかについて、とても知りたがっているという。

「何かしら笑わせるトピックを選ぶようにしている。イデオロギーを押し付けるのではなく、くすっと笑ってしまうようなことを取り上げている」。

読者から感想を書いたメールもよくもらう。「ドイツはすごく良い国。ここでは安全だし、何でも言いたいことが言える。何でも批判できる」。ドイツに来る前はうつ病状態にあったが、今はコラムを書けば読者からの反応が得られる。

しかし、2人の娘を持つ父親としては将来に大きな不安を持つ。「ドイツにいて、ジャーナリストとしての経歴はどうなるのか?新しい分野を切り開くことができるのか。十分な収入を得る見込みはあるのか?」いろいろ考えこんでしまうというアラウス氏。「書くことに集中できないこともある。将来について、気にかかる問題がたくさんある」。

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