記事

人口比別「難関大学」合格者数ランキング

1/3

(小坂 真琴 図版作成=大橋昭一)

なぜ奈良が上位で、滋賀が下位なのか――。今回、プレジデントオンラインでは2017年のデータをもとに、18歳人口1000人あたりについて難関大学合格者数の都道府県別ランキングを作成した。対象は、東京大学、京都大学、大阪大学の3つ。その結果、「絶対数」ではみえなかった実態が浮かび上がった。この結果について滋賀県出身の現役東大生が分析する。

■「日本最高峰」の大学に同郷の人間が少ない

「下3つは、沖縄、大阪、滋賀」。都道府県別の東大合格率を整理したところ、その結果にショックを受けた。私は滋賀県(以下、滋賀)大津市出身の東大生である。中学校からは兵庫の灘校に通った。しかし、というよりは、だからこそ、滋賀への愛は人一倍強いと思う。大河ドラマを見る時には勝つはずのない石田三成を応援し、パ・リーグでは西武の肩を持つ。琵琶湖と比叡山が織りなす景色を楽しめて、かつ交通の便も良い大津は、最も住みやすい街だと信じて疑わなかった。

東大に入学し、なおさら強く滋賀のアイデンティティを持つこととなる。関東には「滋賀って半分琵琶湖でしょ」と真面目にいう人もまれではない。ふざけるなと思う。琵琶湖は滋賀の6分の1を占めるにすぎないことを知っているのは、たいてい身近に滋賀の出身者がいる人だ。滋賀の小学校に行けば必ず習う基礎知識である。ちなみに、滋賀は琵琶湖の面積より森林面積の方が大きい。

東大は日本最高峰と言われる大学である。大学側にもその自負があるようで、例えば医学部のガイダンスでは「トップだからこそ臨床よりは研究を」と繰り返し聞かされた。その、「日本最高峰」の大学に同郷の人間が少ないという事実がショックだったのだ。

■奈良、富山、鹿児島、兵庫が強い

まずは上位のランキングを見よう。18歳1000人あたりで、1位東京10.3人、2位奈良5.2人、3位神奈川3.8人、4位富山3.5人、5位鹿児島3.4人、6位兵庫3.3人と続く。この上位6都県のうち、東京から離れた(首都圏以外の)地域にあるのは、奈良・富山・鹿児島・兵庫の4県である。

兵庫・奈良・鹿児島はそれぞれ、灘・甲陽学院、西大和学園・東大寺学園、ラサールといった私立の進学校が大幅に寄与している。特に奈良県は、京大と阪大への進学率で全国トップを独走している。これについては後述する。富山だけは強さの構造が異なるが、ここでは詳述しない。


冒頭にも書いたが、自分にとっては衝撃的な数字だった。全国で0.05%を下回るのは、滋賀・大阪・沖縄の3府県だけである(編注:図表は記事末尾にまとめて掲載)。東大に合格するのは18歳2000人につき1人以下ということになる。わが郷土滋賀は学力が低いのか。

答えは否だ。京大・阪大の進学率を見れば明瞭である。いずれも0.5%の大台を超えている。京都や兵庫に実績のある中高一貫校があるので、東大を目指すのであれば中学や高校の段階からそちらに通うイメージが強い。自分もその一人である。一方で滋賀の進学校の生徒は、京都・大阪の大学を志向するのだ。

滋賀は、京阪神地区との結びつきが強いからこそ、東大進学率では弱く映ってしまう。実際、県内トップの膳所は、東大進学者3人に対して、京大進学者66人を誇る。彦根東も、平成28年度では東大1人に対し、京大10人、阪大18人の実績を誇る。

これは大阪も同様である。大阪の梅田から電車で30分ほど、神戸市の東端に位置するわが母校・灘では、1学年220人中70人余り、つまり3分の1が大阪府在住者であった。下宿を除くと、兵庫県在住者は約100人であり、なんと半数にも満たない。大阪は奈良の私立高校へのアクセスも良い。東大を志向する生徒は高校から県外に行き、そして大阪府内の高校は、京大・阪大を志向しているのだ。

■滋賀と京都・大阪の結びつき

滋賀の高校生はなぜ京都・大阪を志向するのか。

膳所の卒業生は、「親が、自宅から通える大学にという制限をかけることも多い。また、学校の先生も京大を推していて、京大に比べて東大の印象が薄い」という。さらに、膳所には高大連携授業などで在学中から京大の研究・授業に触れる機会が用意されているので、親しみが湧きやすい側面もあるのだろう。ミクロに見れば、親や高校の先生、先輩など、周りの環境が意思決定に大きな影響を与えているのは明らかである。

一方でマクロに見ると、交通の便と歴史的な流れがあると考える。まずは交通の便。京大は、大津・草津市内であればほぼ通学可能圏内に入る。大津市であれば阪大にもギリギリ通うことができる。滋賀の鉄道は、JR琵琶湖線とJR湖西線が動脈だが、京阪でも逢坂の関を超えて京都に出られる。京都から大阪へは、阪急・京阪・JRの三本が通り、さらに大阪から兵庫へは阪神・阪急・JRの3本がつながっている。

この結びつきを歴史的に見てみよう。古くから淀川(上流は瀬田川)が近江国から摂津国の大阪湾へと注ぎ、滋賀を通る主要街道は全て京都へと続く。この水運と陸路、西廻り航路が開発される江戸時代の前期までは非常に重要だったのだ。

琵琶湖博物館に行くと、巨大な丸子船の模型がある。この船が、北国からの「物流の要」として琵琶湖の上を行き来していた。若狭から峠を越えて塩津の港に着き、そこから湖上を大津へ。そして淀川の流れに沿って京都・大阪へ運ぶ流れである。石山駅の近くで瀬田川を渡り、大阪駅の前後で2度淀川を渡るJRは、まさに昔ながらの人・情報の流れに沿って走っている。

■交通の要衝であり続けた近江

滋賀は古くから歴史の中心地であった。667年には天智天皇によって近江大津宮が置かれ、古代最大の内乱である壬申の乱は瀬田の唐橋を舞台に決着を見た。

政治だけではない。最澄は天台宗の総本山・延暦寺を比叡山におき、紫式部は石山寺で源氏物語の着想を練った。宗教・文化に果たした役割も小さくない。

前述の水運、そして京都から越前や美濃へ抜ける街道も通り、交通の要衝として栄えた。その重要性は信長も立証している。足利義昭を奉じて上洛した信長は、義昭から副将軍の職を勧められたが、辞して代わりに大津・草津と堺に代官を置く権限を求めている。大津・草津は湖上交通の要衝だ。堺と並ぶ重要拠点であったことが伺える。そして、信長はその後近江の安土に居城を築いた。

■日本中に進出した近江商人

一方で、主要街道沿いに生まれた「三方よし」の近江商人が、江戸時代に日本全国に散らばって活躍した。

近江商人の活躍の形跡はわが家のすぐ近くにもある。西武大津ショッピングセンターだ。西武ライオンズが優勝した時にはショッピングセンター前で風船を配布するのが通例であり、小学校の頃はその風船目当てに西武を血眼で応援していた。家の近くにあるプリンスホテル、そしてプリンスホテルから家の前を通って大津駅まで走るバスは西武によって運営されていた(今年9月末で廃線)。幼稚園に通う際に毎日のように使っていた。なぜこれほど西武づくめなのか。

西武の創業者・堤康次郎の出身地が滋賀県愛知郡なのだ。衆議院議長も務めた堤氏は、大津市の最初の名誉市民でもある。西武発祥の地は滋賀にあり、西武が大津の皇子山球場で一軍の試合を開催したこともあった。今はマリナーズで活躍する岩隈(当時楽天)の投球を、滋賀で見られたのは幸運だった。

今自分が暮らしている東京でも、近江商人の足跡はしっかりと見て取れる。日本橋に本店を構える高島屋である。江戸後期、京都で「高島屋」という米穀商を営んでいた飯田儀兵衛は、近江国高島郡(現在の高島市)出身の近江商人だった。そこに婿養子に入った飯田新七が「高島屋」の屋号を継いで、古着と木綿を扱う店を始めたのが百貨店「高島屋」の始まりなのだ。要するに、近江商人ののれん分けである。今でも毎年春に「大近江展」なる滋賀の物産展が行われていることからも結びつきの強さが伺える。

あわせて読みたい

「東京大学」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    人気グラドル 枕営業告白の真意

    文化通信特報版

  2. 2

    NHK受信料700億円増も用途に疑問

    わんこ☆そば

  3. 3

    民進議員 無所属・岡田氏を批判

    櫻井充

  4. 4

    韓国籍離脱者が急増 兵役逃れで

    NewSphere

  5. 5

    年収1000万円の銀行員が続々転職

    キャリコネニュース

  6. 6

    橋下氏 統一会派破談に「当然」

    橋下徹

  7. 7

    農水省 一太郎→Word移行の本質

    大隅典子

  8. 8

    相撲協会が貴乃花の支援者を提訴

    NEWSポストセブン

  9. 9

    首相 北朝鮮情勢「むしろ悪化」

    ロイター

  10. 10

    官僚は徹夜も 消耗戦状態の国会

    松井孝治

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。