最近、インターネット禍みたいなものが続いているような印象を受ける。インターネット禍というか、Twitter禍と言った方がいいだろう。アディダスの人、ウェスティンホテルの人、伊勢丹内定の人、avex松浦氏、平野綾氏、蓮舫氏、ラサール石井氏、ネットマイルの人。他にもまだまだいっぱいいる。
いずれも、自らの不用意な発言によって痛い目を被っているのが特徴だ。しかも、感情的になって周囲から白い目で見られる。そうして、Twitterで発言したことを後悔させられる羽目に陥っている。
ここで予言を一つ言うと、Twitterというサービスの寿命はもうあまり長くはないだろう。そう遠くない将来、誰も使わなくなる。
なぜTwitterが使われなくなるかといえば、それは人を幸せにしないからだ。人を幸せにしないサービスが長続きするはずがない。
なぜ人を幸せにしないかというと、ユーザーの隠していた本音というものを、ついポロリと露呈させてしまうからだ(中島みゆきの『悪女』のようなものである)。あるいは、書いている本人を感情的にさせる。そうして、ユーザー自身はもちろん、他者(あるいは社会そのもの)にも迷惑をかける。社会に迷惑をかけるものが、それ以上の存続を許されるはずがない。
そしてまた、そういう本音を露呈させたり感情的にさせるという特徴を、Twitterというシステムそのものは抑制できない。Twitterは、そもそもがシステムとユーザーの心との距離が近くて、そこが一つには受けた要因だからだ(自らの心をスムーズに開陳できる、心に寄り添ったシステムとして面白かった)。
しかし、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」で、距離というのは遠くてもダメだけど、近過ぎてもダメなのである。Twitterは近過ぎて、つい言ってはいけない邪な考えが口をついて出てしまう。しかもそれが全世界に開陳されるのだ。Twitterには、本来的には、そういう危うさがはらまれている。
その危うさが、今、多くのユーザーによるTwitter禍を続発することによって、他ならぬTwitterというサービス自身を破滅に追い込もうとしている。何とも皮肉な話である。
ちなみに以下に紹介する本は、Twitterではないが、インターネットの醸し出す狂騒に巻き込めると大変な目に遭うというのが、実にリアルに、よく分かる一冊だ。
ぼくは、発売された当初に読んだのが、その生々しい破滅譚は、読んでいてドキドキさせられたし、当時はぼく自身が貧乏のどん底にあえいでいたから、他人事とも思えなかった。
ところで、ぼくのブログは炎上したことがない。ブログも時々炎上する人がいるけれども、ぼくのブログは炎上しないようなシステムになっている。そもそもコメント欄がないので、炎上しようがないのだ。おかげで、至って平和な毎日である。
よく思うのだが、ネットでの双方向コミュニケーションに問題の根がありそうだ。ネットでの双方向コミュニケーションなどというものは、メールで十分である。
メールも、常に「誤爆」の危険性をはらんでいるので心配は心配だが、ぼくなんかは用心に用心を重ねている。メールについて、ぼくが最終的に至った結論は、原則的に「誰が読んでもかまわない」ものしか書かないということだ。そうすると、不都合な部分が全くないわけではないが、快適だ。過去には何度かメールで失敗したこともあったけれど、今はもうそんなこともなくなった。
それから、メールでは誰に対しても敬語を使っている。これも頑なに守っている。後は、普段から自分の内面をどんどんさらけ出し、公私ともになるべく裸でいるようにも心がけている。普段から裸であれば、メールやブログに本音を書いても問題はない。裏表のない人間になれば、そもそも本音も建て前もなくなるので、何でも書けるのだ。
だから、ぼくのブログは炎上しないのかもしれない。もう3年以上書いていて、けっこうなアクセス数を誇っているが、いつでも平穏無事で、みなさんに喜んで頂いている。おかげさまで、アフィリエイトも絶好調だ。これは大変にありがたいことだ。
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