記事

天声を克えた人語 - 書評 - 日本語は亡びない

筑摩書房松本様より献本御礼




本書に至るまで過去834点あったちくま新書の中で、最も感動した一点。


ここに、「日本語が亡びるとき」は完美に論破された。


本書が感動的なのは、2009年度小林秀雄章を受賞した憂国の書を論破したという結果ではない。本書の感動は、その過程にあるのだから。結果は引用できても、過程は引用できない。全世界1億4000万の日本語話者は、それぞれの読み方で本書を味わっていただきたい。




本書「日本語は亡びない」は、「日本語が亡びるとき」が提示した懸念、あるいは仮説に対する、否定的かつ「ポジティブ」な回答である。


目次
はじめに
第一部 日本語は亡びない

第一章 水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む

なぜ日本語ブームなのか/日本と中国/すでに体験ずみの外国語の波/自然と対峙せず順応する知恵/「叡智を求める人」とは誰か/多国語に翻訳される現代日本文学/現代日本文学は「豊饒の海」だった/日本語を守ったのは庶民である



第二章 日本語は乱れているか

三宰相の日本語力/「お伝えを致しました」/「あなたとは違うんです」/麻生元首相は「読字障害」なのか/それでも日本語は揺るがない



第三章 日本語を守る「堀川」――五つの免疫効果とは

日本語は植民地言語か/日本語の五つの免疫効果/二モーラの不思議/モーラは表記と発音で変わる/「二モーラ」による外来語の日本語化/庶民が体得した生活の知恵



第四章 「死にかけた」のは英語の方――歴史的検証

英仏言語戦争/英語に残る仏語の爪痕/英語はクレオール化した言語である/英語と日本語の発想の違い/英語にも主語はなかった/自然中心の発想から、人間中心の発想へ/「神の視点」の怖さ



第二部 日本語を発信する

第五章 偽装する日本語

学校文法の三大誤謬/主語という先入観/「ハとガの違い」という疑似問題/主語という幻想へ反論する/非科学的な学校文法/自動詞と他動詞の教えられ方/「ある」と「する」/自/他動詞と受身/使役の体系的理解/日本語は閉ざされた言語でいられない



第六章 日本語文法と世界平和――日本語の世界観

切る言葉vs繋ぐ言葉/「行って来ます」と「行ってらっしゃい」/「ただいま」と「お帰りなさい」/広島で考えたこと/ワシントンのベトナム戦争慰霊碑/どちらも恐い「原理主義」と「正義病」/行きすぎた資本主義


第三部 二人のみゆき――日本的視点の表現者

第七章 宮部みゆきの下町

宮部みゆき――人と作品/下町が舞台/『理由』にみる「地上の視点」と「上空の視点」/エレベーターによる視点の切断/人の心は環境によって変わる/『火車』――クレジットカードの「浮遊感」/東京と地方/自称「天才でエリート」の『模倣犯』/胸のすく大団円/英雄願望で空の高みへ/新しい座標軸――男と女/人名にかくされた暗号に挑戦/「居場所」について



第八章 中島みゆきの地上

なぜ暗くて重いのか/空を飛ぼうなんて悲しい話/善と悪の二元論は子どもっぽい/嘘と真実/男と女/「地上の星」



第九章 ハーンの憂い、クレーデルの祈り

日本人は「精神的西欧人」か/日本語は世界を救う




あとがき

掲載楽曲一覧


著者はまず第一部で、ある一点のみを残し水村を論破しきる。より具体的には


404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき

一つ。今何もしなければ、来世紀には日本語は本当に滅びうる、ということ。


二つ。日本語を遺すということは、現代の日本人に対するにとどまらない、将来の世界に対する我々の責任であるということ。


の二つである。




いきなりで恐縮であるが、以下の長々かつ雑然としたリストが何なのかおわかりだろうか。


P. 26-29

丸谷才一『樹影譚』『横しぐれ』、色川武大『狂人日記』、古井由吉『杳子』『白髪の歌』、平野啓一郎『日蝕』『最後の変身』、池澤夏樹『スティル・ライフ』『骨は珊瑚、目は真珠』『花を運ぶ妹』『南の島のティオ』、井上ひさし『化粧』『十二人の手紙』、絲山秋子『沖で待つ』、開高健『流亡記』『日本三文オペラ』『ロマネ・コンティ・一九三五年』、小松左京 『日本沈没』、小島信夫『抱擁家族』、川上弘美『センセイの鞄』『溺レる』『古道具中野商店』、河野多恵子『不意の声』『血と貝殻』『みいら採り猟奇譚』『幼児狩り』、栗本薫『グイン・サーガ(一〜四巻)』、松本清張『声』『砂の器』、桐野夏生『Out』、小池真理子『柩の中の猫』、小川洋子『完璧な病室』『揚羽蝶が壊れる時』『妊娠カレンダー』『博士の愛した数式』『沈黙博物館』『ホテル・アイリス』『ミーナの行進』『薬指の標本』『偶然の祝福』『余白の愛』、水上勉『雁の寺』『越前竹人形』、三浦綾子『塩狩峠』、宮部みゆき『火車』『R.P.G.』、宮本輝『蛍川』『錦繍』『夢見通りの人々』、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『羊をめぐる冒険』『アフターダーク』『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』『スプートニクの恋人』『神の子どもたちはみな踊る』、村上龍『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『69 sixty nine』『共生虫』『イン ザ・ミソスープ』『メランコリア』『タナトス』『エクスタシー』、村田喜代子『鍋の中』『水中の声』、長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』、奥泉光『石の来歴』『蛇を殺す夜』、中上健次『枯木灘』『地の果て至上の時』『日輪の翼』『岬』、中村真一郎『夏』、西村京太郎『ミステリー列車が消えた』『名探偵なんか怖くない』、野坂昭如『エロ事師たち』『火垂るの墓』、沼正三『家畜人ヤプー』、大庭みな子『ふなくい虫』『王女の涙』、大岡玲『ヒ・ノ・マ・ル』、斎藤憐『象のいない動物園』、瀬戸内寂聴『夏の終り』、司馬遼太郎『最後の将軍』『新史太閤記』、鈴木光司『リング』『らせん』、俵万智『サラダ記念日』、辻仁成『アカシア』『白仏』『海峡の光』、津島佑子『寵児』『黙市』『光の領分』『夜の光に追われて』『風よ、空駆ける風よ』『火の河のほとりで』『大いなる夢よ、光よ』、筒井康隆『時をかける少女』、山田詠美『ベッドタイムアイズ』『蝶々の纏足』、山村美紗『花の棺』『黒の環状線』、吉田修一『パーク・ライフ』、吉増剛造『オシリス、石ノ神』、吉本ばなな『不倫と南米 世界の旅3』『とかげ』『ハードボイルド/ハードラック』、吉村昭『少女架刑』『遠い日の戦争』、吉行淳之介『夕暮まで』『暗室』、柳美里『フルハウス』『水辺のゆりかご』『ゴールドラッシュ』『石に泳ぐ魚』、原籙『そして夜は甦る』、大岡昇平『花影』『俘虜記』『野火』、円地文子『なまみこ物語』、深沢七郎『楢山節考』、遠藤周作『火山』『海と毒薬』『口笛をふく時』『わたしが・棄てた・女』『スキャンダル』、ビートたけし『たけしくん、ハイ!』『教祖誕生』、坂東眞砂子『狗神』、浅田次郎『鉄道員』『蒼穹の昴』、有吉佐和子『華岡青洲の妻』『紀ノ川』『恍惚の人』、赤坂マリ『ヴァイブレータ』、綿矢りさ『インストール』『蹴りたい背中』、町田康『きれぎれ』『けものがれ、俺らの猿と』、片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』、角田光代『対岸の彼女』、石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』、堀江敏幸『熊の敷石』、青山真治『ユレイカ EUREKA』、阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』


文学作品のリスト?その通り。


この全てが、仏訳されているのである。


実はこれ、著者が勤めるモントリオール大学東アジア研究所の図書館の棚にあったものを、著者がメモったものなのだ。よってこれは、仏訳された現代--そう、「ありし日の近代」ではなく「きょうび」の現代--日本文学のリストのほんの一部。実際には貸し出し中だったり他の図書館に収蔵されていたりするものも少なくなく、リストはかなり歯抜けな状態にある。


歯抜けで、これだ。


著者の言う通り、これが豊穣の海でなくてなんだというのだ。



日本語話者--今や日本人とは限らない--は、何もしていないどころか作品を次から次へと世に問うことで、ただでさえ豊穣な海を、さらに豊かなものとしているのである。


そしてその流れが、さらに多くの人々を日本語へと誘う。


P. 14

一九七九年から二〇〇六年の間に、機関数は十一・九倍、教師数は一〇・八倍、学習者数は二十三・四倍に増加している。

その数、およそ300万。しかもこれは「海外の学校で日本語を学んでいる」人口であって、ネットや日本国内で学んでいるものは含まれない。海野先生ごめんなさい


もはや日本語は日本列島で日本人にしか話されない「閉ざされた言葉」(鈴木孝夫)ではいられなくなった

のは、ネットを見ればあまりによくわかる。


しかし、と読者は問うかもしれない。日本語はまさに「開国した」ことによってその力を失うのではないか。和服が洋服におきかえられたように、和語も洋語におきかえられてしまうのではないか、と。



その懸念を払拭するのが、第二部だ。ここでは日本語の勁さがいったいどこにあるのかを、英語の海の中で懸命にフランス語を守っているケベックで教鞭をとる著者が、日英仏三語を縦横に行き来しながら解説する。それは、


404 Blog Not Found:この手があったか! - 書評 - 日本という方法
おもかげを 残したままで うつろい行く

の、「日本語のおもかげ」の探求でもある。 Quebecoir たる著者の生徒たちも、そして数少なくない日本人--水村や私を含む--が早とちりしてしまうのは、うつろいだけを見て「日本語は滅ぶ」という錯覚にとらわれてしまうこと。ケベックがフランス語を守る手法というのは、まさに「うつろいを防ぐ」という方法で、そのために彼らは野球用語さえフランス語化している。 circuit がホームランのこととは知らなかった。


英語の海に浸食されていくフランス語を守るには、たしかにこれしか方法はないように見える。そしてその戦いにフランス語は破れつつある。そしてそのありさまが、水村をもってして日本語にも同じことが起こりうるのではないかという、懸念という錯覚をおこさせた。


しかし、実は英語こそフランス語に一度滅ぼされかけ、しかしそれでも生き延びたことを、著者は冷静に指摘する。


そう。かつてイギリス語はフランス語に徹底的に陵辱されたのだ。


ここまでは、西洋史を知る人であればある程度ご存知であろう。なぜ牛はCow/Bullなのに牛肉はBeefなのか。かつてブリテン島を支配したのがフランス人だったからだ。


しかし、今では英語で欠かすことができない主語が、実はフランス語に強姦されたイギリス語が孕んだ「不義の子」であるという驚愕の事実まではご存知だっただろうか。



この部分は、「日本語に主語はいらない」の著者の面目躍如であるのでここではその事実の指摘のみとどめるが、この「主語」というのは、単なる言語学的概念に留まらず、その使い手が「どのように世界と対する」のかという姿勢のありかたをも規定するものであることは触れておいてもよいだろう。


それこそが第三部の主題であるからだ。


そしてこの第三部こそが、第九の第四楽章なのだ。


「日本語を亡びるとき」がなぜあれほどの反響をもって迎えられたかと言えば、読者を憤らせたからだ。この憤りを鎮めぬ限り、いくら同書を論破したところでわだかまりは残る。ここまで同書を論破した者は少なくない。一部であれば私ですらしている。しかしそのいずれも「単なる論破」に終わってしまっている理由がそこにある。これこそが、「最後の一点」である。


著者はまずその憤りの理由から、第三部を開始している。


P. 120

水村氏はただの一人も具体的に現代作家の実名を挙げることなく、現代日本の数多くの小説家、表現者を説明もないまま一方的に、そして一まとめに弾劾している。誠に残念なことである、私はそこに「上から目線」つまり「神の視点」を感じてしまうのである。作家も千差万別であろうに、これでは一刀両断の切り捨てではないか。前にも引用したが、(タイムスリップでもして現代日本にやってきた)「漱石ほどの人物が(中略)今、日本語で小説を欠いている人たちの仲間に入りたいと思うであろうか」とまで言い放つとは。こういう叩きつけるような文章を読むのは、正直とても辛い。こつこつ自分の言葉を紡いでいるあろう多くの作家や表現者の気持ちを思いやって心が痛む。

これを鎮めるには、漱石に伍するだけの実名作家が必要である。著者はだれを持って来たか。



宮部、中島の二大みゆきである。


しびれずにはいられなかった。


水村が漱石を通して発した「天声」を、著者はこの両名の「地のことば」を持って押し返した。


日本語がなぜ亡ばないか。


地が、亡ばないからだ。


この地の力強さを表す者として、両みゆきほど適切な人物は思いつかない。


ところで、主語の「主」とは一体なんだろうか。


実は文字通りの主であり、父であり、神なのである。


主語のある言葉で考え、主語のある言葉で話すというのは、主、すなわち天の視座をから言い放つことでもあるのだ。それがどれほど地を荒れさせ、人を傷つけて来ているのか、我々は今やっと気がつきつつある。



P. 184

近年、アメリカは明らかに「正義病」国家となり、あちこちに軍隊を送り込んでいるのも、自分が反省できない「SVO脳」にその原因があると私は思う。

さすが「SVO脳」とは言葉遊びもすぎるのではないかと感じるが、しかし正義病の背景に主語があるというのは論証、あるいは反証するに値する設問なのではないか。


そう。設問。本書が数多の反「日本語が亡びるとき」論と一線を画すのは、設問に対して最大の敬意を払っていることにある。存在しない論は論破しようがないではない。ヒルベルトあってのゲーデルではないか。


P. 175

最後に水村の言葉を引用してこの章を終ろう。

人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本の血でもなく、日本語なのである。

こう言い切る水村に、私は立ち上がって拍手を送りたい。

そう立ち上がった著者に、私も立ち上がって拍手を送らずにいられない。



一日本語話者



記事をブログで読む

トピックス

ランキング

  1. 1

    デリヘルに素人専門が増えた理由

    PRESIDENT Online

  2. 2

    斉藤由貴に私刑行う週刊誌に疑問

    篠田博之

  3. 3

    橋下氏 新党で延命する議員は害

    橋下徹

  4. 4

    消費税の使途変更めぐり解散表明

    BLOGOS編集部

  5. 5

    正恩氏声明が「読めない」と話題

    ロイター

  6. 6

    共産と協力へ 前原氏は支離滅裂

    和田政宗

  7. 7

    野田聖子氏の文春砲を扱わないTV

    小林よしのり

  8. 8

    核放棄で北に6兆円 報道の思惑

    NEWSポストセブン

  9. 9

    太平洋で水爆なら 大災害の恐れ

    ロイター

  10. 10

    稲田氏守るべく地元は結束ムード

    NEWSポストセブン

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。