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今知る、震災市長のリーダーシップ

上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・福島県相馬市長立谷秀清氏が手記を上梓、震災直後の取り組みが明らかに。

立谷市長は震災当日夜「仮設住宅の為の土地、双葉郡からの避難者の受け入れ」を迅速に指示した。

・医療では内部被曝検査、土壌汚染検査、住民健診など住民目線に立った施策も実施、外部移住者を増やした。

 

8月1日、立谷秀清・福島県相馬市長東日本大震災 震災市長の手記―平成23年3月11日14時46分発生』(近代消防社)という本を出版した。災害対策に関心がある方には、ご一読を勧めたい。

文中1

東日本大震災 震災市長の手記―平成23年3月11日14時46分発生 単行本 – 2017/8/1

立谷 秀清 (著)  近代消防社

立谷氏は医師だ。相馬市に生まれ、仙台一高を経て、福島医大に進んだ。昭和52年に同大を卒業後、東北大学の内科に入局。昭和58年に立谷内科医院を開業した。この医院は、後に相馬中央病院(一般49床、療養型48床)へと発展する。

文中2

▲写真:立谷秀清相馬市長         出典)相馬市HP

立谷氏の政治活動は平成7年に福島県議に当選したことに始まる。その後、落選。平成14年1月に相馬市長に当選する。現在、4期目だ。

私が、立谷氏と知り合ったのは、震災直後に仙谷由人・衆院議員(当時)に紹介されたのがきっかけだ。仙谷氏からは「相馬市の市長が助けを求めている。私が知る中で、もっとも能力が高い市長の一人だ」と言われた。立谷氏の携帯に電話して、少し話をしたら、仙谷氏の評価が正しいことがすぐにわかった。指示、依頼が具体的で適確だからだ。

後日、相馬市役所の職員から、「震災後の市長のリーダーシップは凄まじかった」と聞いた。震災当日の夜には「棺桶を確保すること」、「仮設住宅のための土地、双葉郡からの避難者を受け入れる住居を確保すること」と指示したそうだ。避難所や食料の確保など、災害時の市役所の通常業務に加え、先を見据えた対策を立てていたことになる。

このことが後日効いてくる。海と山に挟まれた浜通りは狭く、空き地が少ない。相馬市が多くの支援者を受け入れ、仮設・復興住宅を速やかに建設できたのは、立谷市長の英断に負うところが大きい。

文中3

▲写真:相馬市大野台第七応急仮設住宅  出典)福島県建築住宅課(復興住宅担当)HP

 震災後、福島を訪問した上海の復旦大学の研究者は「中国では考えられない。大災害が起これば中央政府に「助けてくれ」と叫ぶだけだ。日本の実力は地方自治の強さにある」と感想を述べた。私も全く同感だ。

立谷市長は「本当に、この街を復興させたいと思えば、歯を食いしばっても前向きな発言をしなければならない」といい続けている。その理由として「銀行は晴れているときに傘を貸して、嵐が来たら取り返しに来る。人も同じだ」と言う。

東日本大震災や原発事故の被害を強調し、政府に援助を求めれば、確かに周囲は同情してくれるだろうが、「そんなに酷いなら、私もここを捨てて、他の土地に移住しよう」と思うだけだ。思惑と反対の結果を招く。

立谷氏は、その代わりに、地域住民の視点に立った多くの事業を主導した。医療に関して言えば、内部被曝検査、土壌汚染検査、住民健診だ。何れも地域住民に個別に対応した。厚労省や福島県が「県民健康調査」という調査研究事業を立ち上げたのとは対照的だ。立谷市長が主導した活動は住民を安心させ、外部からの移住者を増やした。一連の活動は、この本の中で紹介されている。

このような事業を支援した早野龍五・東大名誉教授(原子力物理)、渋谷健司・東大教授(国際保健)は、日本を代表する研究者へとプレゼンスを高めた。当研究室の関係者である坪倉正治医師、森田知宏医師、山本佳奈医師などは現地に移り住み、多くの実績を挙げた。彼らの活躍を見て、多くの若手医師や研究者が相馬地方に入っている。

立谷市長のイメージは、素朴で実直という東北人のイメージとはかけ離れている。私は大阪の商売人に近いものを感じる。なぜ、相馬の地に、このような人材が産まれたのだろう。

文中4

▲写真:相馬野馬追・本祭り 神旗争奪戦で神旗を持って羊腸の坂を駆け上がる騎馬武者 2005年

出典)Photo by PekePON

立谷姓は、福島県浜通りと宮城県南部に多い。ルーツは相馬郡立谷村だ。そして、その祖は桓武平氏の流れを汲む千葉氏に仕えたという。千葉氏は、常胤(1118-1201)の時代に躍進した。石橋山の合戦で敗れ、安房に逃れた源頼朝に加勢し、鎌倉幕府の大御家人となったのだ。

その後、常胤(1118-1201年)の次男である師常(1139-1205)は、現在の千葉県松戸から我孫子にかけての相馬御厨(荘園)を相続し、相馬氏と称した。1323年、一族の相続争いに敗れた相馬重胤が一族郎党を引き連れ、源頼朝から領有を許されていた陸奥国行方郡(現在の相馬地方)に入った。これが陸奥相馬氏である。この頃、立谷一族も相馬地方に入っている。

立谷家をルーツとする人々の集まりを紹介する「立谷ファミリー」のホームページによると、「江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。分業して、『材木』『米』『雑貨』『海産物』およびその他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。」という。立谷市長の実家は、相馬市原釜地区で醸造業を営んでおり、典型的な「立谷ファミリー」だ。

廻船問屋は物資とともに情報を流通する。上意下達では生き残れず、現状に即して、臨機応変に判断せざるを得ない。まさに、震災後の立谷市長の行動と被ってくる。

相馬地方は鎌倉時代以来、この地を治めた相馬氏の城下町だ。相馬氏は隣接する伊達氏と抗争を繰り返し、そして生き残った。それを支えたのは相馬氏の武力と、「立谷ファミリー」による情報力だ。

立谷市長は、このような伝統の中で育った。本稿では詳述しないが、東日本大震災後、相馬家は地域住民の精神的支柱としての役割を果たした。立谷市長は実務のリーダーとして獅子奮迅の働きをなした。この地域の伝統の力を感じざるを得ない。

東日本大震災 震災市長の手記―平成23年3月11日14時46分発生は、東日本大震災・原発事故から故郷を守った当事者による戦いの記録だ。一人でも多くの方にお読み頂きたい。

(この記事には複数の写真が載っています。サイトによっては全部の写真が見ることが出来ないことがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=35971にて記事をお読みください)

TOP画像:医療法人社団茶畑会相馬中央病院  提供)同上HP

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